1.エサウとヤコブの違い
エサウとヤコブは大きくなりました(27節)。エサウは「獲物を熟知する男」となり、ヤコブは、「天幕に座る男」になりました。「穏やかな」は、訳者の挿入。(この物語を読めば、ヤコブという人が決して穏やかな人ではありません。料理=穏やかな性格という流れなのか、狩猟と比較して穏やかなのでしょう)
エサウは狩猟をしましたから、その生活は獲物次第です。ごちそうに与る時もあれば、何も取れないときもあります。ところが、肉は備蓄が出来ないのです。ですから、獲物が獲れた時は、一族に振る舞う一方で、獲物が無いと飢えるわけです。また、カナンの女を妻にしていますから、家族を養わなければなりません。
そういうことから、狩猟だけではなく、羊も飼っていたと思われます
ヤコブは、何でもできたのでしょう。羊を飼う傍ら、イサク家のすべての天幕を管理していました。つまり、食料の備蓄も仕事としていたと思われます。さらには羊毛や乳製品の取引交渉をしていたのでしょう。天幕の中で座ってする仕事は商売です。
イサクは長男のエサウを愛し、リベカは次男のヤコブを愛しました。イサクについてはその理由が記されています。イサクは単に肉好きだったというだけではなく、愛する長男の獲物だったから好んで口にしていたのでしょう。エサウは、父親の好み通りに調理することもできるようになります。一方で、イサクのヤコブへの思いについては、何も書かれていません。しかし、リベカがヤコブを愛していることだけが記されています。その理由は書いていません。
2.謀ったヤコブ
そんなある日のこと、ヤコブが赤い(アドム)豆を用いて煮物を煮ていました。そこへエサウが野から来ます。彼はふらふらになるまで働いていたようです。
空腹のあまり煮物を飲みたいとエサウはお願いをします。 するとヤコブは商談交渉を始めます。
『25:31 ヤコブは言った。「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」25:32 「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、25:33 ヤコブは言った。「では、今すぐ誓ってください。」エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。』
このやり取りを見ると、ヤコブはこのために機会を伺っていたと思われます。反対に、エサウは不意打ちにも気がついていません。まず第一に、狩猟に行ってなかなか戻ってこないときを狙うことです。獲物があれば、エサウはそれを捌いて、食事にありつけます。だから、「帰りが遅い」≒「獲物がない」ときを狙うわけです。野山を駆け回ってきて、時間も押していますから、よけい腹ペコなはずです。そして、ヤコブはエサウが赤い豆の煮物が好きなことを知っていたのでしょう。帰りが遅いのを見計らって、あえて赤い豆の煮物を調理します。
ヤコブの目的は、長子の権利を自分のものにすることでした。父親の愛情は望んでいません。欲しいのは、父親の財産、一族のリーダと言う立場、そして神様の祝福でした。ヤコブは、長子の権利を譲り受けるために、正式な契約を交わそうとします。ヤコブは、赤い豆の煮物で、エサウの長子の権利を買うことを契約したのです。「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」このヤコブの言葉から、一方的に有利(片務的)な主張を予定通りに、冷静に進めたことが伺えます。
エサウは、「長子の権利などどうでもよい」と答えます。彼は本気でそう考えていたのでしょうか?。たぶん、何も考えていなかったのだと思われます。狩りを仕事にしているので、勘と運動神経の勝負には強いのですが、冷静に考えることは不得意だったのでしょう。その点、ヤコブはエサウのものである長子の権利について、その価値と何もしなければ手に入らないことを、理解していました。
長子の権利と赤い豆の煮物が、等価でないことは明らかです。しかも、譲った長子の権利には、その煮物も含まれます。自分のものを受け取るために、自分の全財産を渡してしまったエサウは、冷静でなかったと言えます。エサウは誓約をして、自分の長子の権利をヤコブに売り渡しました。その契約成立を確認した上で、ヤコブはパンと(パンはヤコブのサービスですが、これもエサウのものです)赤い豆の煮物をエサウに与えました。
『エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行った。』
この表現によって、エサウの考えの無さが示されています。そして、最後に著者はこう締めくくります。
『こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。』
聖書は、エサウを批判し、ヤコブに肩入れしています。エサウに同情したくもなる場面です。ヤコブが悪意を持って計画的にエサウから長子権を奪ったのは、明らかだからです。なぜ、このような人が義人であるのでしょうか?エサウの何が問題なのでしょうか?。
①長子の権利は第一子以外は候補にならないのか?
イサクは第二子なのに、長子の権利を獲得しました。一方で、ヤコブは候補にもなっていない。
②長子だったら 誰でもいいのか?
ヤコブは、家を治める仕事が出来ていた。一方で、エサウは短慮。一族の長として、ヤコブが相応しい。
③家の宗教は変えるのか?
エサウは、カナンの女と結婚。神様の祝福は、受けられません。
こういったことを考えて、求めたのがヤコブだと言うことです。①については、長子の権利を与えることを決めた時の言い訳でしかありません。②は、現実的に深刻です。また、権利に胡坐をかくエサウという面でも、エサウはふさわしくありません。他の候補から選ぶべきです。③は、神様への罪ですから、エサウは長子の権利を争う立場にありません。(イサクがエサウを愛し、間違いを犯そうとした。これは不義です。)