言葉の信用度


学生の皆さんは、各学年各学期の学校生活、

まがいなりにも、自分的にでも、

頑張った、精一杯生きてきた、

過ごしてきた、勉強してきた、

学校にいって、授業を聞いてきた、

親御さんの言う通りにしてきた、

学校、先生が言っている、

言われたことを、“こなして”きた、

『つもり』かもしれませんが、

もう一度自分の言動を思い直して、

思い返して、思い出してみて下さい。



人と人との間には、信用という、

目に見えない魔力のような

パラメータが存在します。



これの多くは、『言葉』によって

取り交わされて、『言葉』によって

互いに理解し、確認し、納得する。

その上で、途中の『態度・姿勢』を

考慮しながらも、『結果』で大きく

値が動くことになります。



どんな『信用』にも、まずは

『言葉』が関わってきます。



『信用』という言葉を聞くと、

多くの皆さんが、自分の性格や人格、

人生や考え方、生き方・生き様

などを考慮されて、成り立っていると

思われていませんか。



あなたの性格や人生を見てきた、

知っている親御さんは、

そんなあなたを

信用してくれるでしょう。



ですが、学校や先生、他の人、

今後出会う様々な人は、

あなたの性格や人生などを

知りませんし、見てきていません。



仮に、あなたがあなた自身の

性格や人生を、事細かく

正確に語ったところで、

それをあなたが思っていることと

同じように、相手に伝わることは

ないでしょう。



じゃあ、一体、皆さん、

“何”を信用しているのか。



答えは、あなたの「言葉」と、

そしてその「言葉」に対する、

途中経過の「姿勢・態度」、

最終的な「結果」を見て、

信用するかしないかを

判断しています。



あまり多くの言葉を

語らない人に対しては、

相手側が言う「言葉」を

理解しているかどうかが

判断基準となります。



つまり言葉一つで、その後の

行動・態度・姿勢一つで、

最終的な結果で、相手との

「信用」が決定されてしまいます。



若い皆さんにとっては、ふざけるな、

そんなのは人格・性格否定、あるいは

無視している、その人が生きてきた

今までの人生や生き方、

個人個人が持つ考え方、

主義主張をないがしろにしていると

思うかもしれません。



ですが、“そういった”

目に見えないものは、

人は判断、評価できません。



ですから、その人が語る「言葉」と、

その人が取る「行動・態度・姿勢」で、

その結果起きた事実を、それらを

実際に見て、判断・評価せざるおえないのです。



“昔”からあなたを見てきた

親御さんや身内の方、

旧知の仲の友人、幼馴染などなら、

“そういった”ものも、判断・評価基準に

してくれるかもしれませんが、

それはそれで、厳しいもの、

特に「昔を見られているからこそ」、

なかなか「変えることのできない」

判断・評価基準となります。



これは、これらの判断・評価は、

相手側、つまりあなた以外の人だけでなく、

あなた自身もまた、他の人に対して、

同じことをやっています。



例えば、●●先生は優しい、

わかりやすい、厳しい、ウザい、

うるさい、ムカツク、ちょろい、

親しみやすい、親身になってくれる、

生徒の味方、などなど、

多くの「判断・評価」を、

それぞれの先生に

対して行っていると

思いますが、いかがでしょうか。



それは、一学期、二学期と、

「時間をかけて」、その先生の性格や

人格などを見てきての感想だと思いますが、

時たま第一印象で決め付けることもあるでしょう。



うるさい「忠告」を受けた。

ムカツク言い方をされた。

一言二言の嫌味を言われた。

自分の「言っていること」を

信じてもらえない。

自分の「言うこと」を

聞いてくれない。

などなど。



このとき、『言葉の信用度』が

築かれるわけです。



適当なことを言って、適当にやって、

適当な結果が出て、適当に勉強して、

適当に生きて、進級・進学できるほど、

甘くないです。



特に私立校・中高一貫校は、

受験勉強は、受験先の学校は。



若い皆さん的には、お笑いの

「フリ」や「ボケ」といった

「ネタ」という冗談のつもりで

言ったことでも、現実の社会、

世界では、真面目に取られて、

信用を落としかねないこともあります。



あなたはその相手に対して、

冗談が通用しない、ユーモアが足りない、

センスが悪いと思うかもしれませんが、

それが、あなたの言動、つまり、

「言葉の信用度」となっている

可能性があります。



口がすべる、口は災いの元、

などのことわざがあるように、

言葉として発したことは

取り消せないので、気をつけて下さい。



ましてやその言葉に対しての、

途中経過の「態度・姿勢」が、

最終的な「結果」が、さらに

信用を落とすことのないように

して下さい。



進級・進学したいです、

受験で合格したいです、

上位校を目指します、

入りたいです。



皆さんの願望に対する熱意の言葉は

わかりましたが、じゃあその言葉に対する

信用度を高めているのか、

結果が出せているのかが、

次に問われることになります。



後々になって、多くの方の助言、

手助けを受けた後で、「冗談ですよ」

「本気にしたんですか」「嘘でした」

なんて言っていると、本当に、誰も、

誰からも助けてもらえない存在に

なってしまいますので気をつけて下さい。



赤の他人の私や先生にどう取り繕うが

構いませんが、最後の最後まで、

あなたを信用してくれる、

あなたの言葉を信じてくれる存在、

親御さんや友達、親友といった人への

「言葉の信用度」を下げることの

ないようにしておくことをオススメします。



この一学期期末テスト前、中間テスト後、

一学期が始まる時、あなたは、“誰”に

“何て”言っていたのか、少なくとも

自分自身に対して、自問自答していたと

思いますが、その思いや言葉の、

信用が上がるのかどうか、

テストで試されます。



そう気構えて、テスト勉強、

そしてテストに臨んでみて下さい。



そう思えれば、たかが一点でも、

されど一点、石にかじりつく思いで、

本気で取りにいけるでしょう。



言葉の信用度が上がるように、

ぜひ頑張ってみて下さい。