夏休み前の三つの意識改革


一学期期末テストを終えた方は、

夏休み前を向かえ、

いかがお過ごしでしょうか。



希望に、夢に溢れ、今年は、今学年は、

頑張る・変わると言った・思った結果、

1学期、3ヶ月間の成果、その成果が、

評価が、皆さんの思い・気持ちに対する

評価・結果です。



思ったより、考えていたより・・・

と思う方は、そろそろ気付いてください。



思う“だけ”では、考える“だけ”では、

願う“だけ”では、その“程度”の

評価・結果なのです。



皆さんの頭の中、心の中ではなく、

外、“現実のもの”に、具体的に

行動を起こし、継続し、力を蓄え、

評価が、結果が伴う、平常点、

テストの点数というものに、

評価が結果がつくということを

学んで下さい。



そうは言っても、人間なのですから、

自分の都合のよい、未来・将来、

希望・夢に向かって、考えるものです、

思うものです、願うものです。



自分が具体的にどうこうしたい

ということよりも、どうなりたいかが

先行するのもわかります。



だから学生時代は多くの方が迷い、

悩みます。



皆さん個々人の性格、性根、

考え、思い、主義、主張、

生き方、人生観、など、

それら全てあるいは一部を、

否定する気も肯定する気もありません。



ですから、自己啓発をしてもらおうと

思ってもおりませんので、

「“勉強”をするなら」、なんて

“壮大”なこと言うのは

止めておきましょう。



“学生”で、“進学生”で、

“学校”で“テスト”で“受験”で、

“進学”したい“進級”したい“合格”したい、

または“留年”したくない、“落第”したくない、

“不合格”になりたくないというのなら、

以下に挙げる三つの意識を改革することを

オススメします。



 1、なってみないとわからない、できない


 2、わからないところがわからないから、

   考える・できることを放棄する


 3、後出しで、わかってた、できてた、

   わかった、できるを言う・思う



この三つの意識、考えを、思いを、主義を、

主張を、生き方を、“しない”ようにして下さい。



学生のうちは、“学校”内、

“青春時代”内のこと“だけ”で

済みますが、いずれわかる

ことになります。



この三つの意識を持ったまま、

大人になり、社会人になり、

子どもを持つ親になり、

子どもが成長する時、

子どもが巣立つ時、

そして老人になり、

死が近づいてきた時。



この三つをやっていると、

様々なことを“それ”で

済ませてしまうと、どうなるのか。



するなするなの説教ばかりしていても

何の解決にならないですから、

じゃあ“具体的”に、これらをしないように、

考えないように、どうするか“提案”してみます。



あくまでも“提案”です。



変われるか・変われないかは

皆さん自身です。



しかし、2のように、変われなかった、

わからなかったからと、考えることを

放棄すると、“いつまでも”同じままで、

ただ時間が、人生が過ぎていくことになります。



気をつけて下さい。



さて、順繰りに提案させて

頂きたいと思います。



まずは、この日記にもよく書きますが、

1の「なってみないとわからない、

できない」ですが、これは簡単です。



想定・予想する

→計画・予定する

→実行・実現・体現するです。



これができたのなら、

“次”の事柄でも“練成”して

やり続けて下さい。



できなったら、最初の想定・予想から、

何度でもやり直し、必ず、

実行・実現・体現するまで

できるよう挑戦し続けてください。



「なってみないと」は

「なった」場合と

「ならなかった」場合を

想定・予想すればいいだけです。



「わからない・できない」は

後ほども書きますが、

“やってみて・やり切ってみて”

から“気付く”ことです。



「“何もしていないのに

 ”わかる・わからない、

 できる・できない」なんて

言っているなんて、

「わかる人・できる人」から

バカにされるのが当然です。



わからなかろうが、できなかろうが、

「やってみて」から“弱音”“強気”を

言ってください。



そうであれば、“まだ”周りの皆から

同情・納得される余地があります。



つぎに、2の

「わからないところがわからないから

 考えることを放棄する」ですが、

わからないところがわからないのですから、

わかっているところもわかっていないところも、

「わからない」のですから、

その「確認」が必要です。



考えることを放棄するのではなく、

「確認」という“作業”を行って下さい。



この「確認」という作業を

皆さんないがしろにします。



わからないところがわからないの

「確認」する手段はたった一つ、

“総当り”です。



まずは、今学期やった範囲の教科書を

“一行一句”を、黙読、一読ではなく、

音読で全て読み、問題集にのっている

問題を“例題問題も含めて全て”やり直す、

解きなおしてください。



それが終われば、前の学期、

前の学年と遡ってください。



高校生にもなって、中学生にもなって、

中学・小学校時代の見直しなんて・・・と、

わからないところがわからない方が、

格好をつけている限り、次も、また

その次も苦しむこととなります。



ちょうど夏休み、長期休み

となるわけですから、

ぜひ“やって”みて、“やって”から、

弱音を言って下さい。



また、その確認の際、

「これはわかっているから飛ばして~」

なんていうことは許されません。



「わからないところ」が

“わからない”のに、

「わかっているところ」が

“わかる”のですか?



じゃあ、逆に言えば、

“わからないところ”も

“わかる”じゃないですか。



「わかっているところ」以外のところが、

「わからないところ」です。



その「わからないところ」を、

学校の先生に、友達に、

塾や家庭教師に、

自分の満足行くまで、

わかるまで、できるまで、

聞き、理解すれば、

問題解決です。



では、なぜ、こうまで“総当り”や

“全て”にこだわるかというのは、簡単です。



「やってみて」、覚えていなかった、

間違った、できなかったところが全て、

「わからない(=わかっていない)ところ」

だからです。



いやいや、たまたま、偶然、

ど忘れしただけの間違いだと、

3の「後出しでわかってた、

できてた、わかった、

できるを言う・思う」を言いますか?



学校のテストにおいて、

受験のテストにおいて、

いやいや、たまたま、

偶然、ど忘れしただけの

間違いだろうがなかろうが、

それは本気で本当に

“間違えていた”“勘違いしていた”、

“無記入”の人と同じ扱いを受けます。



テストで成績で点数はつきません。



いやいや、たまたま、偶然、

ど忘れしただけの間違いと

主張されるなら、親御さん、友達や

他の第三者に懇願する、納得してもらう、

説得するのではなく、学校に、

学校の先生に、本気で真剣に、

そう言って下さい。



“そう”しないのは、皆さん自身が

よく“わかっている”のでしょう。



“それ”が通用しないということを。



“その”通用しない“それ”を、

普段の勉強やテスト勉強、

テストの時に使っている限り、

いやいや、たまたま、偶然、

ど忘れしただけの間違いの

積み重ねとなります。



テストでは、さらにその先、

覚えている・解けることは

当たり前、テスト時間内に

早く多く、正確にを

求められているわけです。



いやいや、たまたま、偶然、

ど忘れしただけの間違いは、

一番厄介な「わからないところ」です。



学校の先生の説明でわからない、

自分がなかなか理解しづらい、

「わからないところ」よりもです。

気をつけて下さい。



いやいや、たまたま、偶然、

ど忘れしただけの間違いの

「わからないところ」を探し出すには、

やはり“総当り”の「確認」しかありません。



面倒くさがれば、その「わからないところ」が

増えていくだけです。



なるべく早くにその「わからないところ」を

見つけることをオススメします。



最後の3、

「後出しでわかってた、できてた、

 わかった、できるを言う・思う」、

これは、三つの意識の中で一番厄介です。



第三者に対してもそうですが、

これは自分自身を都合よく

偽ることのできるポジティブな

意識(反省しすぎない)なため、

防衛本能として、しばしば、

使うことがあります。



だからこそ、危険な考え方、

思考、思想、主義、習慣に

なりかねません。



後出しでのわかってた、

できてたという方の、次の言い分は、

「人間だから間違えることはある」です。



しかし、もうわかっている、

体験していることでしょう。



「人間だから間違えることはある」で、

“何事も済まされわけではない”ということを。



一番わかりやすいのが、

学校の成績・テストの点数でしょう。



「後出しでわかってた、できてた、

 わかった、できるを言う・思う」

という、考え方、思考、思想、主義、習慣は、

捨て去る気持ちでいないと、いつまでも

そのぬるま湯につかってしまいます。



この夏休みで、テスト明けのテストで、

二学期以降の定期テストで、その意識を、

その言い訳を“断ち切って”ください。



長くなりましたが、以上です、

いかがでしょうか。



これが正しいというつもりはありませんが、

少なくとも上記三つの意識を持っている、

持ち続けている限り、学校でのテスト、

成績、受験においては、苦しむ、あるいは、

苦しむだけで済むのなら良いのですが、

自分にとって“最悪”の状況・状態になる

可能性が高くなることを、“予言”しておきます。



“こんなこと”は、大きなお世話、

余計なおせっかい、おおげさな説教だった

と言える、学校生活、青春時代を過ごせる、

そして将来・未来に繋がることを願います。