できないこと(失敗すること)が許されなくなる時


昨今の教育の『流行り』として、

無限の可能性を秘めた子供達を応援し、

個性を伸ばし、褒めて伸ばす、

できないこと(失敗すること)を許し、

何にでも挑戦する姿勢、心構えを

芽生えさせることが推し進められて

いると思います。



この教育は人間性、人格形成における教育として、

素晴らしい、推奨されるべき教育だと思います。



先進国の日本においては、10歳ぐらいまでは

この教育によって、伸び伸びと育っていくことが

可能だと思います。



しかし、10歳以降は急転し、学校教育、

勉強においては、弊害を伴うものとなります。



その原因は、学問の体系にあると言いますか、

勉強する過程において、できないこと

(失敗すること)が許されなくなって

いくことにあります。



できないこと(失敗すること)を許して、

挑戦することだけで突き進んでいっても、

できない(失敗する)壁がやってくることに

なります。



小学校高学年においては

分数の計算が出来なければ、

中学数学が出来るように

なることはありません。



中学においては、方程式と

関数(比礼反比例→一次関数→二次関数)、

そして、その基礎の概念となる正負の数、

文字式が出来なければ、中学数学はできず、

当然高校からの数学においても

できないこととなります。



これは、無限の可能性が

どうとかこうとかの問題でなく、

『出来ないこと(失敗すること)』が

“許されている”限り、出来ません。



勉強において、出来る出来ないが

わかりやすいのが数学ですので、

例に挙げましたが、これに英語、

さらには理科においても、この傾向が

強く出てくることになります。



数学、英語、理科においては、

『出来ること』が前提に、

『次』に、『後』に続く、

『上』に進む知識を得ることが

出来るようになっており、それを

『出来ないこと(失敗すること)』が

許される前提で勉強しても、

授業を受けても、テストを受けても、

身につくことはないでしょう。



むしろ、その時間と結果は

苦痛の、屈辱の、苦悩の時間となり、

記録されていくことになります。



これは出来ないこと(失敗すること)が

許されるものだと、意識している、

考えている限り、決して治らない

病気のようなものとなると思います。



そして、学校教育のシステム上、

授業において各個人に合わせて、

進行を『止める』、あるいは

『遅らせる』ということが

出来ませんので、高校2年までの

教育課程をどんどんおし進めることに

なります。



この状況下において、出来ないこと

(失敗すること)が許されるのが

当たり前と考えている方が、

学校の授業に、勉強に

ついていけることはないでしょう。



少なくとも、どこかのタイミングで、

出来ないこと(失敗すること)が

『許されない』こと・ものがある

ということに気付かない限り、

現役で、高校、大学へと

進学していくのは困難でしょう。



最終的に受験によって、高校・大学への

進学が決まる学校においては、

その受験で、『勉強が出来ない』

あるいは『テストで点数を取らない』と、

高校・大学へと進学『出来ない』

ということを学ぶことになります。



しかし、この受験においては、

自分の学力に合わせた『学校』を

選ぶことが出来るので、

出来ないこと(失敗すること)が

あっても、自分に合った別の道が

あるということも学べます。



前置きが長くなりましたが、

高校・大学へと受験なく

進級・進学できる

私立校・中高一貫校の場合、

受験が無いということから、

このことを気付く、学ぶには、

各学期の定期テスト、成績、

最終的には進級・内部進学の合否によって、

気付く、学ぶ、いえ、気付かなければ、

学ばなければならないことになります。



さらに、通っている学校以外の学校を

『選ぶこと』が出来ないので、

通っている学校が求めるレベルの

『出来る』を示すことが出来なければ、

進級・進学が『許されなくなる』となります。



ここで、タイトルの、出来ないことが

許されなくなる時となりますが、

受験無く高校・大学へと進学が決まる

私立校・中高一貫校の場合、

進級・進学が出来ないことが決まる時、

上記した学力的にも、出来ないことが

許されないこと、つまり、知識習得において、

なし崩し的、芋づる式に、ドミノ倒しのように、

『次』に、『後』に、『上』に進むことが

出来ない状況・状態になる可能性が

高くなります。



そうなると、早ければ小学校、

中学1年の段階で、遅くとも

高校2年の段階で、知識習得上においても、

進級・進学の合否においても、

『出来ないこと(失敗すること)が

 許されない時』を迎えることに

なります。



この状況・状態になったまま、いつまでも

できないこと(失敗すること)が

許されるものだと勘違いしている限り、

人格否定されているかのような、

屈辱的な評価・結果、数字を

付けられることになります。



その結果、冒頭に書いた素晴らしい教育とは

かけ離れたものとなります。



高校・大学へと受験なく進学できる

私立校・中高一貫校の場合、

出来ないこと(失敗すること)が

許されないということを、

いつかどこかのタイミングで、

本人が気付く、あるいは

親御さん、ご家庭の方が

教えなければ、悲劇へと

突き進むことになります。



その出来ないこと(失敗すること)が

許されない時を迎えた時に、

“たかだか”学校の勉強、テスト、

成績、進級・進学の合否“ごとき”の

ことだけで済めば、問題ありませんが、

その後の進路、人生においても、

多くのことにおいて、出来ないこと

(失敗すること)が許されないと

追い込まれていくことになると、

社会生活が困難になっていくことが

予想されます。



幼いころから、出来ないこと

(失敗すること)を

許されてきた身において、

学校の勉強ごときのことだけでなく、

社会においても、多くのことで、

出来ないこと(失敗すること)が

許されないこと・ものを

経験していくのはより過酷な人生を

歩むことになると思います。



これを防ぐためには、できないこと

(失敗すること)を出来るようになるまで、

やらない限り、防ぎようがないとなります。



各ご家庭において、どのタイミングで、

どう教えていくかは、親御さん、

ご家庭の方の方針があるとは思いますが、

少なくとも、“たかだか”学校の勉強“ごとき”においては、

小学校高学年、遅くとも中学時代までに、

気付かせておかないと、高校以降の学業に

『現役』でついていくことは

困難となるでしょう。



高校・大学へと受験なく進学できる

私立校・中高一貫校の場合、

これを気付かせてくれる、

学ばせてくれる『受験』が

ありませんので、気付いた時には

手遅れとなりかねませんので

気を付けて下さい。



うるさい説教に思われるかもしれませんが、

そうなった時、学校も、先生も、他の誰も、

社会も、『救いようがない』と

記録された結果のみで切り捨てられて

しまうことを懸念しております。




出来ないこと(失敗すること)が

許されないこと・ものが近づいてきた時、

結果として出てきた時、そのことが、

お子さんの人生、家庭環境を

壊すほどのものとならないことを祈ります。