人生の岐路、今年の目標


進級・進学に関して、何の権限もないから、

パワハラや差別とならずに、

言いたい放題言えているだけですが、

比較的『事実』そして『現実』を

厳しく書いてきたつもりです。



可能性を否定されるのは

ムカツクことでしょうし、

ウザいことだと思います。



昔は権限がある方が言うので、

仮にその方が冗談で言ったつもりでも、

恐ろしく厳しく感じて、自分の身を正した、

正そうと感じたものですが、今は、それが

冗談でも失言でも許されなくなってきている

世の中ですから、こういった何の権限のなく、

関係もない、第三者が勝手にうるさく

書くくらいしかできないでしょう。



権限ある、責任ある立場の人間が、

厳しい『事実』『現実』を言えないとなると、

もう後は、自分で気付くしかありません。



しかし、学生時代、学校生活もそうですが、

気付くまでの自由・自主性が『許される』

『待ってもらえる』『期間』『時間』は、

限られています。



『たかだか』学校の勉強、テスト、

進級・進学“ごとき”のことなら、

まだ良いのですが、それが

『今年の目標』や『未来・将来の目標』に、

なった時、『自己責任』の重さは計り知れません。



『未来・将来の目標』などは明確に

誰のせいにすることもできないので、

社会が悪い、世界が悪いと、安易に

考えしまいがちになってしまいますが、

『たかだか』学校の勉強、テスト、

進級・進学“ごとき”で学んで下さい。



全て、『自分』が悪いんです。



厳しいようではありますが、今は、

それを『学校』で学べるように

なってきています。



昔は本当に社会からの、世界からの、

権力からの圧力や圧迫があったと思います。



ですから、自分の正当性、主張を、

正義の心を持って反抗できたのだと思います。



しかしながら、今はそんなことが

明るみになったら、世間から総叩きとなるので、

社会は、世界は、権力は、『記録された証拠』集めを

きちんとするようになってきているように思えます。



そうなると、個人単位での言い逃れの

出来ない『自己責任』追及と

なっていくのではと懸念しております。



最近のニュースなどを見ていると、

常々そう思うことがあります。



冒頭からうるさい説教となってしまいましたが、

この学年末テストは、ある意味人生の岐路に立つ、

このくらいの厳しさ、恐ろしさを秘めている

テストでもあります。



特に、記録されていく点数・成績で

進級・進学が決まる私立校・中高一貫校生は、

こういったことに敏感になっていないと、

大丈夫、なんとかなるで楽観的な考えでいると、

あっという間に追い込まれます。



それを笑い飛ばせるだけの基本的な性格、

生活、学力、精神力などが、『学業面』にも

発揮できるのであれば、問題ありませんが、

最近は勉強も、勉強以外のことも、

発揮できずに、不本意な形で、

学校を去る方が増えてきていると思います。



前記しましたが、これからは

『記録された証拠(結果)』が、

どんどん力を持っていく、というよりも、

これが全て、これが絶対と、

なっていくと思われます。



そうなると、若い皆さんには

さらに厳しいことかもしれませんが、

十代から、判断力・決断力を持ち、

『記録された証拠(結果)』に

常に敏感になっていないと、

権利剥奪や差別に近い区別を

受けるのではと懸念しております。



この傾向が進む仮定において、

最も懸念しているのは、

そうやって判断力・決断力を身につけ、

『記録された証拠(結果)』を

素晴らしい形で残してきた方が、

人の上に立ち、人を審査する立場に

なった時、道を外れてしまった

『記録された証拠(結果)』を持っている方を、

どのように見るのか、どのように扱うのかです。



塾生でも、ちらほらと過激な発言があります。



30代にもなって無職なんてありえない、

フリーターなんかになったら一生負け組、

普通の会社に入れなければ人間じゃない、

会社に入っても三流大学じゃ出世できない、

給料が上がらないなどなど。



おそらくは本や漫画、ドラマなど、

今ではネットからの情報も入ってきての、

かなりリアルな『事実』『現実』『結論』に

至ったのかもしれませんが、そう言っている、

そう思っての、言動、態度、姿勢を取れているのか

どうかとなると、何の根拠もなく『自分はそうならない』

と思われている(願っている)“だけ”となっていると、

思いますが、いかがでしょうか。



おそらく、『そうはなりたくない』の

裏返しなのでしょう。



しかしながら、『今年の目標』すらもそうですが、

思っている・願っているだけで、

叶うことなど、何一つありません。



叶うことがあるとしたら、思っていたら、

願っていたら、『時が経っていた』

ということだけが叶うでしょう。



もっとも、その前に『無駄に』か

『いつの間にか』という言葉が

つくかどうかは、その人次第でしょうが。



長い前置きとなりましたが、

こう書かれて、さて、いかがでしょうか。



今年の目標は、どうでしょうか、

続いていますか、叶えていますか。



上記の過激な発言を、今年の目標に

置き換えてみて下さい。



今年の目標ができてないなんて、ありえない、

自分が立てた目標すらできないなんて一生負け組、

人間じゃない、そんなことすら、できないんじゃ、

出世できない、成功なんてできない。



『たかだか』学校の勉強、テスト、

進級・進学“ごとき”で考えたくないなら、

自分の夢や趣味、あるいは部活動で、

考えてみてもいいでしょう。



『記録された証拠(結果)』は

人に誇れるほどのものですか、

これからどんどん追い上げてくる

後輩・若い方に、バカにされない

だけのものですか。



といったことすら、考えることができるほど、

やっていますか、やれていますか、そして、

今年始まってから今日まで、やり続けていますか。



そもそもですが、覚えていましたか。今年の目標を。



時間が無かった、ついうっかり

忘れてしまっていたなどですか。



嫌味のように聞こえるかもしれませんが、

こういったことも、これから、誰も、誰からも

『何も言われない』世の中になっていくことでしょう。



そうして、一定の時間が『経って』から、

『記録された証拠(結果)』によって、

全て『自己責任』で済まされることになります。



かなりうるさい、ウザい、ムカツク

忠告・説教・小言だったと思いますが、

こんなことを偉そうに書いてきて

言うのもなんですが、安心して下さい。



私の言う事に何の権限も権力もありませんし、

根拠も原理もありません。



全部が全部、大嘘、ペテン、大ぼらと、

ぜひ『して下さい』。



『可能性がある』、そして

『物理的に“時間”がある』

今の若い人たちは、

こんなうるさい、ウザい、

ムカツク忠告・説教・小言

『通り』になんか、なる必要はありません、

なる可能性もありません。・・・今はまだ。



ただ、『なってみてからわかった』で

後悔することのないように、よく考えての、

言動、態度、姿勢を取れるように

しておくことをオススメします。



この学年末テストもそうですが、

学生時代は、若い内は、何度かの

人生の岐路が必ずあります。



その岐路をうまく使って、自分の人生を、

より良い方向へと、進まれるように祈ります。