先生、友人と代り映え無し?


私立校・中高一貫校で、中学・高校と

進学したとしても、先生や友人があまり

『代り映え』しないことがあります。



進級した在校生は、慣れてきた学校・クラス・友人に、

より強くそう思うことがあるでしょう。



しかしながら、確実に、この新学年新学期になって、

『変わって』きている人はおります。



それは外面的特徴として、身体の成長などありますが、

それ以上に内面的なものが変わってきていることがあります。



中学・高校に入学したことで、意識を変え、自覚を持ち、

これからの中学校生活、高校生活で、目標を持って、

走り出している方もいるでしょう。



その変化は、表には見えないものかもしれませんが、

中間テスト、期末テストと終える時に、

確実に差をつけてきます。



在校生は、もうすでに成績やテストの点数の

状況や状態が異なっているわけですから、

内面的なものに加えて、『今までの結果』としての

成績やテストの点数の状況・状態が、

各個人個人でかなり状況・状態が

変わってきています。



にも関わらず、『今まで通り』の生活をして、

新学年新学期としての意識や自覚が

無い方が、この一学期で大きな差を

つけられることになるでしょう。



絶対評価で、“自分”の成績、テストの点数“のみ”で

進級・進学が決まる私立校・中高一貫校で、

『他人との差』はそれほど関係することはありませんが、

ここでいう“差”とは、『可能性があった理想の自分』との『差』です。



その『差』が、大きくなればなるほど、

その『可能性があった理想の自分』の完成形を、

多くの友人から“見せつけられる”ことになります。



高校・大学まで進学する道がある、

私立校・中高一貫校で、これが一番の悲劇となります。



その選択肢を狭めたのは、その可能性を否定したのは、

紛れもなく『自分自身』であり、

『自己責任』だと思わされることになります。



その『自己責任』によって、自己否定はもちろん、

人生否定までされるなんてことになった場合、

その苦しさ、辛さは計り知れないものになります。



今後、記録化・情報化が発達していけばいくほど、

このことは問題になってくると思います。



その時になって、取り戻せない不名誉な『記録』や

『情報』が残らないことを祈ります。