1学期・2学期の積み重ねの差


3学期は、特に2月中旬の時期には、

このことを感じ取れると思います。



自分と他人とを比較して、卑下する必要はない

という格言のような言葉もありますが、

いかがでしょうか。



特に学生時代は、同じ環境、つまり、

同じ学校で、同じ教室で、同じ時間、

勉強してきて、あるいは部活動など

行ってきて、自分と他人との“差”を

明確に感じられると思います。



もちろん、もって生まれた能力や

才能などもあったかもしれませんが、

それ以上に、『積み重ねた努力』の差は、

歴然となっていませんか。



中高時代は、ちょっと会わなかっただけで、

本当に人が変わったように、

一回りも二回りも成長していて、

気付いたら、自分だけが変わっていない、

変わらない、それどころか、下がっている、

成長していないと、感じることが

一度や二度ではないと思います。



そのたびに、葛藤したり、

悩まれたりするとは思いますが、

“たかだか”学校の勉強、テスト

“ごとき”で、学んでください。



本当に、人は、『数カ月』“努力”を

積み重ねただけで、『差』をつけられる

ということを。



勉強以外のことでも、自分と他人とを比較して、

“才能”を『理由』にして、『積み重ねた努力』の

こと“も”否定しますか。



つらく長い受験勉強を経て、最高学府の大学に行って、

その中で努力すらも凌駕する天才に出逢って、

そう打ちひしがれるなら、まだわかります。



しかし、事前に授業で教えてもらえて、

事前に準備・用意ができて、

事前にテストの予定が決まっている、

“たかだか”学校の勉強、テスト“ごとき”のことに

『才能』はさほど必要ありません。



そのことを、証明した友人・知人が

必ずいるはずです。



その証明は、一学期・二学期の

『積み重ねた努力』の結果だったと

思います。



そういう方でも勝てない、そういう方より

楽して同じ結果を出している方も

いるかもしれませんが、それは

要領の良さであって、決して

『才能』ではないと思います。



“たかだか”学校の勉強、テスト“ごとき”であれば、

努力次第で、天才と思われる方と

肩を並べることができるはずです。



なぜなら、点数・成績の上限が決まっているから。



その結果を得るための時間は

異なるかもしれませんが、

『結果』は同じです。



さすがに、そこまで(勉強)しましょうとは

言いませんが、せめて、一学期・二学期と

『積み重ねた努力』によって、成長した

友人・知人を素直に認め、『自分』も

やってみようと、やってやると思って下さい。



そして、そこから『やり続ける』ことに苦しみ、

(他人と比べて)『なかなか伸びない』ことに悩み、

葛藤しながらも、『去年の自分』『先月の自分』

『先週の自分』『昨日の自分』“より”は、

成長していることを“信じて”、

やり切ってみて下さい。



その時、自分なりにでも、自分的にでも

『積み重ねた努力』を感じられると思います。



行動を起こし、一歩でも進んだ人の後ろには

必ず『道程』ができます。



その道程が長ければ長いほど、達成した時に、

感慨深いものになることでしょう。



一学期・二学期と『積み重ねた努力』を

してきた友人・知人は、今まさにそれを

感じていると思います。



もっとも、もうその先を見据えていて、

『今まで通りにやる・進む』のが

当たり前になっているかもしれません。



そうなると、その友人・知人との『差』は

どんどん広がっていくことになるでしょう。



“たかだか”学校の勉強、テスト“ごとき”での、

その意識の『差』、『積み重ねた努力』の差は、

大きなものと感じられると思います。



出来る方は、そこから、夢や将来・未来にまでも、

手を、選択肢を広げていきます。



それがやがて格差となって、自分と他人との差を

明確にすることになります。



自分と他人とを比較して、

卑下する必要はないとは思いますが、

同じ環境、同じ学校で、同じ教室で、

同じ時間、勉強して、同じ時代を生きた

友人・知人との差に関しては、

いつまでも付きまとうことになると思います。



少なくとも、『去年の自分』『先月の自分』

『先週の自分』『昨日の自分』“より”

『今年の自分』『今月の自分』

『今週の自分』『今日の自分』は、

努力を積み重ね、『差』を付けたと

思えるように、今年を、今月を、今週を、

今日を生きていけるように、

行動することをオススメします。



それができれば、

『自分と他人とを比較して、

 卑下する必要はない』と

胸を張って思えることでしょう。