1年が始まって10日経ち、
1月も上旬が終わると、
残り約51週、355日、
8,520時間、
51万1,200分、
3,067万2,000秒。
こう書かれると、
時間は『ある』ように思えます。
しかし毎年、毎月、毎週、毎日、
忙しい、時間が無いと嘆かれるのは
一体なぜでしょうか。
まぁ、実際は『睡眠時間』、
そして『学校にいる時間』、
大人であれば『会社で
仕事をしている時間』が、
差し引かれることになりますので、
上記の2/3の時間がそれらを
占めると考えると・・・。
2,840時間、17万400分、
1,022万4000秒。
これは約120日、約16週、
約4ヶ月という期間です。
これが皆さんに与えられた
『自由な時間』です。
実際には、学生の場合、
長期休み分が追加されるので、
もう少し多くなりますが、
いかがでしょうか、
『時間が無い』でしょうか。
もし、これでも時間が無いと
嘆かれるのであれば、
事実として受け止めて下さい。
これが『物理的な』そして
『有限なる』、全人類に公平に
与えられた自由な『時間』です。
学生時代は、どうしても、
『無限なる』『永久なる』
『永続なる』ものとして
考えられがちな『時間』ですが、
実際は物理的に有限であり、
束の間であり、一時です。
皆さんが、あいつは天才だ、
あいつは才能がある、
あいつは頭がいいと
思っている方も、
この時間内で努力し、
結果を出しています。
もちろん、人によっては
少ない時間で効率良くできる方も
いると思いますが、そういう方も
上記の限られた時間の中で、
何にどれだけの時間を注力するのかを
“うまく”やれているに過ぎないわけです。
部活動や趣味において、
ライバルとなる方の
こういった『時間』を
考えてみるのも
面白いと思います。
例えば、極端な話、
スポーツ特科などがある
学校の運動部では、一日
10時間近くの練習を、
それも科学的に効率良く
やっていた場合、
365日×10時間=
3,650時間となります。
一般の学校に通う方が、
上記の自由な時間を
最大限使ったとしても、
2,840時間+80時間
(10日分)=2,920時間。
その差、730時間。
これを中高6年間積み重ねたとしたら、
730時間×6年間=4,380時間。
一般の学校に通う方の
約1.5年分多く、
“先”を行ってるわけです。
この時間の差を覆せるほどの
才能があるというなら、
それはもう天賦の才と
言えるでしょう。
才能、才能と言われると
抽象的な感じがしますので、
具体的な数値にしてみたいと
思います。
以下の概算は、
あくまでも適当ですので、
自分の部活動、趣味などにおいて、
変換して考えてみて下さい。
4,380時間の差を覆せる
ということですので、
『4,380時間内に
できること以上のもの』を
持っていると考え、
1時間以内にできることの、
種類、回数で置き換えて
みて下さい。
例えば、筋力トレーニングに
置き換えてみましょう。
専門家でないのでわかりませんが、
一時間で、腕立て100回、
腹筋100回、スクワット100回を
すると仮定します。
※若い皆さんなら
もっとやれるかもしれませんが、
あくまで仮定の話です。
すると、各々4,380時間×100回ですので、
43万8,000回×3となります。
つまり天賦の才を持つ方は、
43万8,000回×3の
それらを上回る力を持っている
ということになります。
こう書かれると、才能や天賦の才
というものを疑ってしまいませんか。
ちょっとできる、
うまくやれる程度の方が、
43万8,000回×3
やってきた方より
できる、やれると思いますか?
いかがでしょうか。
こういった積み重ねの『時間』、
そして他人との『差』、
具体的な『数字』を書かれると、
自分のやっていることが、
どれだけのものか見えてきませんか。
いやいや、こんなの極論で、
相手はそこまでやってないし、
自分との差はそこまで大したことないよ、
とタカをくくっている方が、
全国・世界に飛び立つ、
大賞・金賞を取るのはもちろんのこと、
県大会、地区大会すら、入賞・佳作すら
取れないと思いますが、いかがでしょうか。
これは“嫌味”に聞こえる
かもしれませんが、社会に出た時、
『様々な分野』『様々なこと』で、
その積み重ねの『時間』、他人との『差』、
具体的な『数字』を目の当たりに
することになります。
まぁ、それはまた大人に
なってからの話ではありますが。
今年も1月10日間を過ぎ、
2,920時間の自由な時間が、
2,840時間となります。
その残り時間を、どう使うのか、
どう生きるのか、それが皆さんの
今後の人生を決めることになる
かもしれません。
その時間、皆さんが
何をどうしようが、
皆さんの自由ではありますが、
ライバルや友達、家族兄弟、
知り合いすらも、虎視眈々と、
その時間を使って、皆さんが
羨むようなことを成し遂げる
かもしれません。
その時に、後悔するのは
もちろんですが、相手を羨んで
妬んだりするような、惨めで
情けない考えに至らないことを
祈ります。
そういう意味では、『時間』こそが、
この世で最も厳しい『自己責任』
となりますので、よく考え、
自分の時間を使えるように
してみて下さい。