誰が悪い?


昨今の流行りの教育、怒らないで褒める教育や

無限の可能性を持つ子供達を応援するという

本来、素晴らしい教育方針、教育法が、

歪んだ形で子供達を『過保護に守る風潮』に

なってきたことに警鐘を鳴らす意味で、

提言をさせて頂きたいと思います。



もちろん、何の権限も、影響力の無い人間が言う

妄言、戯言のようなものですが、非難・批判、

さらには中傷等、頂くことになっても、

甘んじて受ける覚悟で書かせて頂きます。



現在の、怒らないで褒める教育や

無限の可能性を持つ子供達を応援する、

頭ごなしに否定しないや、

できないこと(失敗すること)を許し、

挑戦すること(我を通すこと)を推奨するなど、

子供達にとっては、自主性を高められ、

一見するとやりたいことが、『何でも』『自由に』

できるかのように感じられることでしょう。



しかし、実際の社会、子供達にとっては、

学校生活がそれにあたりますが、そこでは、

学校での勉強、テスト、成績という

『審査』によって、『評価』が下され、

『記録』されていきます。



上記した教育概念を穿ってみれば、

そんなこと=たかだか学校の勉強ごときのことで、

何で自分が審査・評価されて、さらには、

自分の進路までもが、将来・未来の選択肢までもが、

『決められなければ』ならないのかという考えに

行き着くことは当然のことだと思います。



ですから、

『学校の勉強が出来ないことが悪いこと』なのか、

『何で勉強しなければいけない』のか、

『学校で習うことを何でやらなければ、

 覚えなければ悪いこと』なのか、

本気で『考える』『考えている』方も

少なくないと思われます。



その先に、ソレらが『悪い』ことではないと

結論付けて生きている子供に、

出来ないこと(失敗すること)が

許されなくなる時に、ソレらはできないと

『悪い』と言われ(思わされ)、

まるで“ソレらが出来ない”『貴方』が悪いと

言われているかのように錯覚し、勉強に、

勉強することに反発心、反抗心を覚え、

より一層、ソレらから離れていくことに

なっているように思われます。



冒頭の教育理論、概念をもとに考え、

さらに昨今の歪んだ形で子供達を

『過保護に守る風潮』から、

子供達はいかなることにあっても、

悪くない、許されるべき存在として、

あることになりますので、ここで

矛盾が生まれることになります。



では、この場合、本当には、

誰が悪いのかを考えてみましょう。



そうなってしまった子供達、

つまり出来ないことが許されない時を

迎えても、出来ない状況・状態に

なってしまった子供達が

生まれてしまうのは、社会が悪い、

学校・先生が悪いのでしょうか。



社会、ここでは教育の代表として、

文部省としましょう、文部省は『日本』の、

『全国』の教育を担い、方針を掲げ、

子供達により良い環境を、学習を、

勉強をしてもらおうと、各施策、法令を定め、

それを全国の学校に施行するように指導、

通達を行います。



ですので、その結果は、

マクロなデータとして出てきますので、

各県単位、さらには、各地域単位では

いくつかの成功例が出てきますので、

仮に文部省が悪いとしても、

『成功例があります』、

『失敗したのは、各地域、

 各学校の力不足です』と、

言うことが出来ます。



まぁ、そうストレートには

言わないと思いますが。



同様に、各地域、各学校においては、

学校、あるいは、学校内の一部の生徒においては、

『成功例』が必ず出てくるわけですから

同じことが言えます。



そうして、問題追及が、下(個別)まで、

降りてきた時、最終的に言われるのは、

『各ご家庭』、『親御さん』の教育、躾けが

悪いということになります。



ここ数年、皮肉交じりに、今の学校、特に、

絶対評価の私立校・中高一貫校などにおいては、

お子さんのテストの点数、成績の評価は、

親御さん、ご家庭の教育、躾けの評価と

なっていると書いているのは、この考えを

もとにしております。



子供達が、子供は『一切』悪くない、

許されるべき存在という考え、立場となりますと、

では誰が悪いのかを突き詰めていくと、

“こう”なってしまいます。



親御さん、ご家庭、というよりも、

子育ての多くを担っているのは

お母様でしょうから、お母様の教育、

躾けが悪いということになります。



今までそうした書き方をしてきている手前、

信じてもらえないでしょうが、

これではあんまりにもお母様の負担、責任が

重すぎることでしょう。



個人的には、子供といえども、一定の年齢に達し、

自我を持ち始めたら、個(人)として認め、

子供でも、『貴方が悪い』と言う、するべきだと

思っております。



というよりも、今の親御さん世代以上の方なら、

思い出せることでしょうが、子供の頃、

学校の先生はもちろんのこと、周りの大人達からも含めて、

こう怒られたことは無いでしょうか。



『誰か(親、学校)や 何か(環境、物事)の

 “せい”にするんじゃない、出来ないお前が

 (一方的に)悪い』



今であれば、こんなことを個人に向けて

怒声しようものなら、一発で、パワハラ認定、

差別発言などとなるのでしょう。



ほとんどの方が、そうして『理不尽』に怒られた

記憶が多いと思いますが、しかし、このことを

きっかけに個(人)としての失敗に対する責任を自覚し、

それで、どうしていくのか、どう生きていくのかと

考えるきっかけにはなったと思います。



さて、昨今の現状の教育の現場において、

社会全体においても、こうした教育は

ハラスメントとなりますので、認められません。



守られるべき、許されるべき子供達が、

自ら気付き、自ら律し、自ら変わるように、

『導く』のが、教育となっております。



では、その教育で、救われなかった

(出来なかった)方はどうなるのでしょうか。



結論から言わさせて頂きますと、学校教育、

特にその中でも記録された結果が

進級・進学、さらには進路、将来・未来まで

決まる私立校・中高一貫校の場合、

『救いようがない』となります。



ここまで、過保護に機会も期間も環境も与えてもらい、

それでも尚、『出来ない』のであれば、それはもう

『(勉強に)適性が無い』と認められてしまうことに

なると思われます。



というより、記録されていく結果、データが、

それを指し示していくことになるでしょう。



そして、そうなったのは誰のせい? 誰が悪い?と

なった時に、白い目を向けられるのは、

親御さん、ご家庭の方となることでしょう。



このことをよく考えた上で、

冒頭の教育理念、方針、

教育法と向き合わなければ、

中学以降の学校での勉強、

勉学・学業の進路において、

悩むことが増えていくと思います。



学校での勉強、授業は今後、より複雑化、

さらには加速化が進んでいくと思います。



特に、私立校・中高一貫校の場合、

一般の学校よりも特色を、成果を出さなければ

なりませんので、その傾向が一気に

突き進むことになると思います。



学校教育に何を求めるかは、

親御さん、ご家庭で、

様々な思惑、要望があるかとは思いますが、

高校・大学に進学することを第一と

考えるのであれば、学校の勉強が

出来ないことをどうするかを、

どう対応していくかを、お子さんと

よく相談し合わないと、通っている

学校で進級・進学出来ないだけでなく、

勉強、勉学・学業の道は遠のくことになります。



現役時代、中高、それぞれ3年間、いえ、

内部進学を考えれば、2年間の内に、考え、

決断しなければ、最終的に受験をするとしても、

現役時代にソレを取り戻すのは難しいでしょう。



そのことをよく考えて、もう一度、

お子さんと親御さんとで学校で、勉強で、

将来・未来で、どうしていくのかを、

話し合っていくことをオススメします。