一学期始業時、進級・進学要綱、年間予定表、シラバスの確認を!


昨今、お子さんの自主性・自由を重んじる、

あるいは、中学生、高校生にもなったのだから、

もう自分でやりなさいと、子供任せにされる方が

増えてきているように思えますが、お子さんが

私立校・中高一貫校への入学・進級を果たされた

親御さんは、お子さんと“一緒”に確認しないと、

二年後、三年後の悲劇となります。



親御さんが、お子さんの通っている学校のこと、

ここでは『進級・進学要綱、年間予定表、シラバス』

とさせて頂きますが、これらに“興味を示さない”

という言動、態度、姿勢を取れば、お子さんは

“それ”に必ず『倣い』ます。



当然、その後の、学校の授業や学校生活、

テストや成績の結果に関しても、

同じように“倣います”。



そうして、お子さんは友達同士や先輩から

聞いた“噂話”を知り、さらには、実際に

学校生活を送っているのは、お子さん自身ですから、

“学校のこと”を親御さんよりも知ることになります。



それからは、学校のことをよく知らない

親御さんの言葉は、届かなくなります。



おそらく、時間が経てば経つほど、

『知りもしないのに偉そうな態度を取る人』として、

接してくることになるでしょう。



そうなると、親御さんの言葉はもちろん、

思いや願いなどは、お子さんに届くことは

なくなります。



進級・進学要綱、年間予定表、

シラバスの確認に関して、

ここ数年書いてきておりますが、

まずは親御さんが熟知しないと、

お子さんは親御さんの言うことを

信じられなくなります。



特に私立校・中高一貫校の

進級・進学要綱、年間予定表、シラバスは、

“大人でも難しく”、むしろ、書き方を

よく見ていると、『親御さん』に向けて、

“通知”されているものだとよくわかります。



中学生、高校生が、こういった

『公的な』書類を“熟読”することは

まずありません。



こういった公的文書は、

大人が読むべきものだと思いますが、

それを頭ごなしに、もう中学生、

高校生(大人になる段階)になったのだから、

自分でやりなさいと言っても無理だと思います。



しかしながら、昨今、

私立校・中高一貫校において、

大人である親御さんが、斜め読みどころか、

お子さん任せにしている方が増えてきている

ように思います。



さすがに、面談・呼び出しになって、

学校の先生の指摘を受けたら、

親御さんも、熟読されるようになると

思いますが、それでは時すでに遅しの

条件・状態となっていることがあります。



そして、さらに、お子さんが

どういった状況・状態で、

これから先どうなるのかが

わからないという中で、

塾や家庭教師に丸投げする方が

多くなってきているようにも思えます。



失礼ながら、当塾の統計上、

そういった状況・状態で、

進級・進学できた方は

10%もおりません。



特に丸投げしておきながら、

“今まで通りの生活”は頑なに守り、

『効率良く』『短時間』で

効果を求められる方は、

ほぼ100%進級・進学できていません。



もうそうなると、親御さんの

教育・しつけの賜物で、『お子さん』も

同様の言動、態度、姿勢を示し、

学校でも、塾や家庭教師にも、

そうされます。



それを防ぐ意味でも、そして、

これはもうすでに在校生となって、

進級してきた方、ご家庭でも、

もう一度、見直されることを

オススメします。



親御さんが真剣に進級・進学要綱、

年間予定表、シラバスを読み、

お子さんと学校とに確認をし、

今のお子さんの状況・状態、

今後の学校で予想されることなどを、

想定できれば、塾や家庭教師など、

頼る必要はありません。



それを面倒くさがって、丸投げするような

言動、態度、姿勢が、最も『悪影響』と

なると思って下さい。



時間がない、忙しいとは思いますが、

それもまた、『時間がない、忙しい』でも、

大事なことだから“必ず”“事前事前に”

やらなければならないと、

お子さんに教え示して下さい。



そうしなければ、この時から、お子さんは、

親御さんから学んだことを全てにおいて、

置き換えることになります。



もう一度書くと、

偉そうに聞こえるかもしれませんが、

時間がない、忙しい時期だからこそ、

『大事なこと』は、後回しにしない、

きちんと確認を行うということを、

“始まり”の今、お子さんに指し示せる

ようにしておくことをオススメします。



後々になって、問題になって、慌てて、

“他人(子供)にあたり”、

どうしてこうなったと“問い詰めて”、

文句を言うことが、

『“大人”が問題を解決する手段』なのだと、

お子さんが学ぶことのないように祈ります。