決められたスケジュールの強みと弱み


よく学校の年間スケジュール、日程表に関して、

これほど、綿密に決められていて、ほぼ決定事項、

日時通りに行われるものはないと書いておりますが、

コロナ過で、その強みと弱みが明らかになったようにも

思えます。



強みに関しては、事前に対応できることなど、

散々書いてきましたが、弱みに関しては、

コロナ過で、皆さん散々振り回されてきて、

痛感させられたかと思われます。



学校行事などに限らず、

部活動の大会やイベント事においても、

ギリギリまで開催するのかどうかの

判断が決まらないことに、憤慨、不安を

覚えた方も多いかと思われます。



こういった決め事に関して、鶴の一声で、

えいやと決めることが出来るのは、

各個人の自由や権利よりも強力な独裁体制で

成り立っている組織・集団で無い限り、

難しいというのがよくわかったと思います。



コロナ過において、何をするにも、あるいは、

何をしないとするにも、様々な意見や考えが

出てきて、なかなかまとまらないということは、

皆さんも見聞きした、または、実感したと思います。



振り回される側となった学生の皆さんにとっては、

そんなことも決められないのか、決断力が無いな、

もっと単純に、簡単に、こうすればいいじゃないかなどと

思われたかと思います。



決めることはもちろんのこと、何をするにしても、

遅い、煮え切らない、結局どっちつかず、

曖昧な指示でわかりづらいなどとも思われた

ことでしょう。



不測の事態に弱いというのは、厳密に決められた

スケジュール、日程、規定の弱みではありますが、

これは同時に、なかなか決められない理由と原因が

あるということを考えてみて下さい。



例えば、東京ではここ数年、『何年かに一度』

大雪になることがあり、交通機関が滞ることが

あります。



その時は、皆さん、何で対応しておかないんだと、

不平不満が出てくると思われますが、では、

毎年、その対応のために、臨時で休みにしましょう、

あるいはその対策のために、何億、何十億という

お金をかけましょう、そのためのお金は当然、

都民の皆さん一人一人が負担しましょうとなると、

これもまた反発されることでしょう。



そんな、『何年かに一度』のために、

何で毎年やらなければならないんだ、

何で何億、何十億ものお金をかけなければ

ならないんだ。



災害対策や不足事態の対策、対応について、

つまり『未来に起こり得る(かもしれない)こと』に

関して、対応・対策しようとすると、必ずこの問題が

出てきます。



というよりも、そんなことより『今』困っていること、

問題になっていることを最優先でやるのが当然だろうと

思われる方が多いことでしょう。



厳密に決められたスケジュール、日程、規定の多くは、

そうして『今』、あるいは『毎年』行われること、

行われるべきことを優先的に盛り込み、それを

『絶対的に』行うこと、行われることを

前提に作られていることが多いです。



ですので、徐々にそれが通例化していき、

災害や不測の事態が前提、仮定、想定から

除外されていき、果ては、そういったことは

起こらないことが前提のスケジュール・予定、

日程となっていってしまうことになります。



コロナ過の学校教育、行事のスケジュールや日程もまた、

そうしたものとなっていることが露呈したと

思います。



ですので、余裕が無く、延期としたり、

中止としたりとなり、代替案も、

ガイドラインも無いために、

対応が二転三転してしまったと思われます。



そのことを、誰が悪い、システムが悪い、

想定していない方が悪いといっても、

元々のスケジュール、予定、日程の、

無理、無駄、さらには過密さ、異常さを

見直さなければ、同じ問題は必ず出てくることでしょう。



特に私立校・中高一貫校では、学校独自の

行事や予定、日程が盛りだくさんだったと

思われますので、多くの先生が対応に追われたと

思われます。



これを機に、皆さん自身も考えて欲しいのですが、

何でも綿密にスケジュールが決められているほうが

良いのか、それとも臨機応変に、やるかどうかも

前日になるまでわからないぐらいの適当な

スケジュールのほうが良いのかどうか。



その折衷案、中庸を取って、

無理が出てしまっているのが、

昨今の学校教育のスケジュール、

予定、日程だと思われます。



月に一回二回は学校行事で忙しく、

部活動の大会なども、多くなってきており、

2・3カ月に一回の何らかしらの大会・予選があり、

長期休み中は合宿や短期留学など。



一見すると、今の子供たちは、

様々な経験を出来る機会に恵まれており、

充実した学校生活を送っているように

思えますが、機会過多、経験過多で

忙しすぎるようにも思えてきます。



コロナ過で、それらが一気に

“奪われた”かのように見えますが、

これを機に、もう一度、学校生活、

学生時代をどう過ごすのか、

よく考えてみることをオススメします。