出来ないことが認められない勉強


昨今の失敗を認める、

褒めて伸ばす教育の風潮から

タイトルからして

批判・非難されそうですが、

基本的に、『学問』『勉強そのもの』は、

出来ないことを認めないものの

『象徴』だと思います。



『勉強“が”できるかできないか』、

これ自体は、個人の能力や努力、

あるいは、あまりこういったことで

差別したくはありませんが、

今なら発達障害など、

精神的・身体的な要因で、

出来る出来ないの差があるため、

勉強ができるかできないかで、

責め立てる、失敗を許さない

というのは、ハラスメントだと

思います。



タイトルに書いた、『勉強』は、『学問の体系』

『さらなる専門的な知識を身につけること』を

指します。



そういった意味での『勉強』で、

わかりやすいのは

『学校の勉強』だと思います。



算数を例に取りましょう。



小学校低学年で習う『九九』、

これが『出来ない』『覚えられない』

『計算することが出来ない』となれば、

その後に習う『九九』を使った計算や

物事の考え方などを、どんなに習おうが、

『出来ない』ことでしょう。



九九だけに留まらず、

分数、小数、割合、比例や図形の基礎は、

『出来なくても仕方ないこと』でも、

『出来ないでも許されること』ではありません。



講師の方で、このことを言い得て妙だったのが、

脳に組み込んだ、そもそもの『プログラム』に

『バグ』がある、あるいはその『プログラム』を

組み込んでいない以上、その『プログラム』を

使って動くシステムに支障が出る、システムが

動かないのは当たり前と表現されました。



つまり、『勉強』そのものが、

『学問の体系(システム)』

『さらなる専門的な知識を

 身につけること』である以上、

それを動かす軸となる

『勉強(プログラム)』に

不備がある、動かないとなれば、

そこから先は、いくらどうしようとも

システムが動くことはないとなります。



ですから、『勉強』そのものは、

『出来ない(プログラムが動かない)こと』を

決して認めない(その先のシステムが機能しない)

となります。



最近の中学生に多いのが、

自分は分数の計算が苦手なので、

嫌いなので、出来ないので、

と堂々といって、『許される』、

いえ『許されてきた』方が、

中学数学で点数を落して、

何とかして下さいと、言われます。



そして、では、分数の計算が

出来るようになりましょうと、

提案すると、ふてくされて、

『苦手だと』『嫌いだと』『出来ないと』

言っているのに、なぜやらせるんだという

言動、態度、姿勢を取り、一向に

出来るようになろうとはしません。



こうなると、ここから先、

『勉強』ができるように

なることはありません。



上記したように、『勉強』そのものが、

『学問の体系(システム)』

『さらなる専門的な知識を

 身につけること』である以上、

『分数の計算が出来ない

(プログラムが動かない)』ことは、

ここから先に習うこと、

学ぶことにおいて『許されません』。



にも関わらず、頑ななまでに、

『出来ないこと』を許せ、認めろ、

出来ないでも何とかしろという限り、

成績、点数が上がるどころか、

『勉強』が出来ることはないでしょう。



特に授業の進度が早い

私立校・中高一貫校では、

そのままでいる限り、学校生活は、

『思い出作り』となり、授業や勉強は、

苦痛、強制と感じながら、

人格否定をされるかのような

屈辱的な、点数、成績を付けられ続けて、

最終的に進級・進学できなくなります。



そして、通っている学校で

進級・進学できない“だけ”でなく、

その後の修学も困難になり、

学業の道に戻ることは

出来ないでしょう。



失礼ながら、親御さん、ご家庭の方は、

そうした『勉強』の出来ないことを

許してきた、認めてきたのであれば、

以前も書きましたが、学問、勉強においての、

『出来ないことが許されない壁』に

ぶち当たった時に、強制的でも躾け、

教育、指導しない限りは、お子さんが、

この考え、生き方から、抜け出すことは

難しいでしょう。



部活動を辞めさせて、

スマホを取り上げて、

詰め込みでも強制でも、

このことを教えない限りは、

このことに気付くことはないでしょう。



(能力的に)勉強が出来ないを許すことと、

『勉強』そのもの、『学問の体系(システム)』において、

“出来なければならない勉強”が

出来ないことを許すことを

掛け違いしないで下さい。



ソレ、つまり、

“出来なければならない勉強”が

出来ないことを許すというのであれば、

私立校・中高一貫校に限らず、

もっと自由に、学べる、既存の

学校教育、勉強ではない教育、勉強をする

学校に入学させない限り、お子さんは、

親御さんは否定され続けることになります。



最近、特にこういった、『出来ないこと』

『苦手なこと』、つまり『短所』を許せ、

認めろといった言動、態度、姿勢を

極端に示す方が増えてきましたが、

今後はむしろ、少なくとも

学問、勉強においては、

その『出来ないこと』を

責め立てられるように

なっていきます。



高校2年までに習うこと、学ぶことで、

あれはいや、これは出来ない、

やりたくないということを、

『出来ない』『やらない』で許されると

勘違いしていると、その代償は自分の、

お子さんの進路だけでなく、その後の

人生までも影響してしまうことを、

よく考えておくことをオススメします。



もう一度言いますが、

他の多くのことは、

『出来ないこと』が

許されるかもしれませんが、

少なくとも通っている

私立校・中高一貫校においては、

『勉強』そのもの、

『学問の体系(システム)』において、

“出来なければならない勉強”が

『出来ない』で許されること、

そのままで、学業の道に進むことは

出来ませんので気を付けて下さい。



分数の計算が出来ない、小数、割合が苦手、

比例、図形が嫌いなど、あなたの、お子さんの

都合など関係なく、学問の道を進む、

習得、修学するには、それらが『出来る』

必要がある、『出来ること』が前提に

なっていますので、注意して下さい。



それが嫌だ、やりたくない

というのであれば、

私立校・中高一貫校は、

どうぞ(それを認めてくれる)他校へ

行って下さいと、冷たい対応を

するだけです。



この二学期がその判断・決断の

分岐点になると思います。



よく考えて、どこまで我を通すのか、

お子さんを許すのか、決めることを

オススメします。