休みは休み


最近の方の「休みは休み」

という割り切り方は、

個人的には良い傾向だと

思っております。



この日記では、さも、

休み中でも勉強しろ、

気を抜くなというようなことを

書くこともありますが、基本的に、

“普段”からコツコツとやっていて、

“何も”問題がない、またはある程度の

“余裕”がある、一週間、二週間、

何もしないでも取り戻せるだけの

実力・自力がある、要領が良い方は、

休んで構わない、むしろ、

休むべきだと思います。



息抜きやリフレッシュは

大事だと思いますので、

そこまで気張らずに、

ゆっくり休まれると

良いと思います。



ところが、普段の自分はたなに上げ、

自分の“権利”や“主張”だけを

強調して、自分勝手なご都合主義で、

「休みは休み」ということを

前面に出して、それを

正義にされる方がおります。



そこで、では、

というわけではありませんが、

言わさせて頂きます。



「休みは休み」、その通りです。

休んで構いません。休んで下さい。



休むなとは決して言いません、

休んで下さい。



徹底的に休まれて構いません、

遊んでも構いません、

リフレッシュして下さい。



そして、その後は、その後に来る、

ツケに対する「責任」に関しても、

「責任は責任」として、

甘んじて受けて下さい。



宿題をやらないツケ、4月の授業で、

前の学年でわからないことで、

休み明けの小テストで、一学期中間テストで、

期末テストで、成績で、と続く、

学生としての切っても切れない

「責任」に関して、

「責任」をとって下さい。



と、こう書くと、遠回しに、勉強しろと

いっているように感じられますね。



考えてもらいたかったのは、

「休みは休み」「休みは休むべきだ」と

主張する、そう考える、そう強調する、

その真実・背景には、こういった意味合いも、

反論も、責任も含まれているということです。



実際のところ、GWの連休、そのものに、

そこまで深い意味合いはありません。

“あるわけがない”です。



少し、“大げさに”書いただけです。



ところがこの“大げさ”が、

積み重なった時に、上記の意味合いや、

事実・真実が襲ってきたら、

どうしますか?



「GW休み」はまだまだありますので、

もし、時間があれば、暇になれば、

少し考えてみてはいかがでしょうか。



今日も、明日も明後日も、

「休みは休み」です。



何をするのも、何を考えるのも、

「自由」です。



ご自由に、「お休み」下さい。