やる気の出る方法


昔、講師の方が言っておりましたが、


やる気というのは、やっている間にしか出ないもので、

やる前にやる気が出てくることはまずない。


特に、普段やる気のない人間が、追い込まれて、

ふってわいて出てくることはありえない。


だから、とにかく手を動かせ、頭を働かせろ

という話でした。



実際に、やる気という目に見えないものが、

CMみたいにスイッチがあれば、楽なのですが、

人間にはそんなスイッチはありません。



だから、悩んでいる、困っている、迷っている、

手をこまねいていると、人は弱音を吐くのですが、

その「時間」が長ければ長いほど、チャンスと未来が

遠のいていくことになります。



個人的には、

やる気うんぬんよりも、

この締め切りに対して、

「残り時間が減ってきている」のに対して、

“そう”言って、やらない、できないと、

だだをこねていることが、

“たかだか”学校の勉強“ごとき”よりも

大問題だと思います。



今後、社会に出れば、学校の勉強、

テスト、問題よりも、簡単なことばかりだと

勘違いされている方は、学生時代にその意識を

変えておくことをオススメします。



社会に出れば、“そんな”ものよりも

複雑で、面倒で、時間もお金もかかり、

やる気を出す出さないでなく、

常に追及されるように、

追い立てられることばかりです。



その追い立てられることに対して、

上記の“言い訳”が通用しないどころか、

信用を失い、果ては、相手側が権利を主張しはじめ、

訴えられるようになったりと、さらに面倒なことに

なってしまいます。



それもまた、いずれ嫌でも経験する、

なってみてわかることになってしまうと

思いますが、学校の勉強、テスト、問題は

その先が簡単に予想できます。



やらなければ、確実にテストで点数が取れません。

テストで点数が取れなければ、成績は取れません。

成績が取れなければ、進級・進学・卒業できません。



これらを“許されるもの”“必ず与えられるもの”と

勘違いしている方が、やる気うんぬんを

言い訳にしていると思いますがいかがでしょうか。



それともわかっていても、

その言動、態度、姿勢なのでしょうか。



毎回書いてきていることではありますが、

皆さん自身が、“そう”は思っていない、

“そう”は考えていないと、どんなに主張されようが、

他人が、先生が、学校が、“そう”見ている、

“そう”考えているように見えると、

「決め付け」て、物事が淡々と

事務的に進んでいきます。



決定事項が揺らぐことはもちろんのこと、

覆るようなことは決してありません。



と、ここまでわかっていて、

やる気が出ないというのであれば、

やる気がない、学校で勉強したくないと

(先生・学校に)思われるのは、

仕方ないことだと思いませんか。



まがいなりにも教育関係者としての立場で、

こう言うのは問題かもしれませんが、

そこまで強迫観念にとられて、そこまで

悩んで、迷って、葛藤して、まで、

無理をしてまで、ストレスをためてまで、

学校に居る必要はないと思いますが、

それでも、あえて学校に居たい理由は何ですか?



その理由があっても、頑なにまでも、

勉強しない、やる気が出ないというのはなぜですか。



勉強がつまらない、先生が嫌い、大人がウザい、

親がうるさい、さらには、先生の教え方が悪い、

教科書・教材が悪い、もっとじっくり教えて

もらわないとわからない、社会に出て役立つ

勉強を教えろ。



それを、それらを、“今”言いますか、

それとも追い込まれた“今”だから言うことですか。



うるさい説教に感じるかもしれませんが、

このことは、自分自身の大きなテーマだと

思って、「時間がある」時に、よく考えて下さい。



今は、“そんな哲学を考えない”ことが、

「やる気の出る方法」です。



目の前の教科書を、ノートを、プリントを、

問題集を、わからなろうができなかろうが、

やって、やり切って、何度でもやって、

やり切って、一つ一つ問題をクリアしていって下さい。



やる気が出る、最も有効な方法は、

やる気の出ないことをしない、

考えない、思わないことでしょう。



やる気の出る方法を、自分で知っている方は、

その方法をやって、やる気を出して下さい。



しかし、“その方法”を知らない方が、

“その方法”を探す、試す「時間」は、

もうありません。



ですから、やる気の出ないことをしない、

考えない、思わないで、ただただ、教科書を、

ノートを、プリントを、問題集を、やって下さい。



教科書を学校に忘れた、ノートを書いていない、

プリント・問題集を無くしたという程度の

「理由」であれば、普段大事にしている

友人関係を大いに活用して下さい。



今は便利なもので、携帯・スマホで

写真にとって、簡単に、すぐに送れるのでしょう。



「便利なものがあるならば活用しないのは頭が悪い」

というのが、今の方々の考え方だと思ってましたが、

いかがでしょうか。



“こういう”時には、「使えない・使わない」ですか。



便利なものというのは、“こういう”時こそ

使うべきではありませんか。



嫌味に聞こえるかもしれませんが、

与えられた「時間」そして「機会」、

さらには「便利なもの」を使えないことは、

それこそ、社会に出て役に立たないものだと

思えませんか。



「理由探し」して、今の状況・状態の

「報告」をしている限り、やる気はおろか、

うまい「言い訳」すら出てきません。



ほとんど説教になってしまい、できることなら、

宣伝文句や自己啓発のうまい言い回し、

心理学や統計学・教育学などに則った、

科学的で実用的な、「やる気の出る方法」を

提案できれば良かったのですが、残念ながら、

私はそんな方法を聞いたことがありません。



もし皆さんが、“それ”を本気で、本当に求めるであれば、

本気で、本当に探してみることをオススメします。



「時間のある時」にじっくりと探してみて下さい。