『思った、願った、考えた』“だけ”の人と『行動』した人との差


学校の勉強“ごとき”は、最終的には

(お金と時間がかかりますが)『浪人』

という選択肢で、最終学歴となる、

大学入学を目指せますが、

社会に出るとなると、

誰も『待ってくれない』

『与えてくれない』ですし、

『テスト』があって、『合格』さえ

すれば全て報われるということも

ありません。



その時の、そのことの、後回し、先延ばしは、

“後悔”なんて二文字で、笑い話で、

言えるほどのものではなくなります。



昨今は、スポーツや芸術の世界でも、

若い世代の活躍が目覚しいものに

なってきていますが、それでも

各分野、各界において、十代の中で

活躍しているのは、注目されているのは、

せいぜい一人か二人、そうなると、

「その人たちは、天才だから、

 才能があるから」と思える、

あるいは、自分が活躍できてない

ことへの言い訳に出来るでしょう。



実際のその一人や二人の方が天才なのか、

才能があるのか、実は隠れて人並みならぬ

努力をしていたかは、わかりませんが、

ここで言いたいのは、“十代”はそう思える、

そう言い訳できるということです。



これが二十代、三十代、四十代

となった時の話を考えて下さい。



この方々は、各分野各界と、今を背負って、

代表し、かつ「努力をしてきた」ことが、

認められた、そして、そのことが

わかる人たちです。



その時、つまり皆さんが二十代、三十代、

四十代となった時、『同い年の方』で、

『後回し、先延ばし』せずに、

“行動した”方の活躍を見た時、

『天才だから、才能があるから』で

その人たちをひとくくりにできない時、

自分自身の過去を、つまり人生を

見つめ直すことになります。



その時に、あなたの、今まで積み重ねてきた

『思った、願った、考えた』“だけ”の量と、

後回し、先延ばしせずに、“行動した”方の

『思った、願った、考えた』の量は、

同じだけの量になっています。



違いは、後回し、先延ばしにしたかしなかった、

行動したかしなかった“だけ”のことです。



夏休み初め、皆さん、宿題を終えることに対して、

『思った、願った、考えた』量は一律でした。



ですから、この時点では、誰も、誰に対しても、

憧れなど無かったでしょう。



友達が、夏休みの宿題を終える、その瞬間まで、

『思った、願った、考えた』量は一律だったでしょう。



しかし、友達が夏休みの宿題を終えた瞬間、

友達の『思った、願った、考えた』量は

そこで止まり、その時のあなたとの差は、

後回し、先延ばしにしたかしなかった、

行動したかしなかった“だけ”のことと

なります。



学校の勉強や宿題は、“終わった”方から

別の『思った、願った、考えた』を

できます。



将来・未来、夢や趣味、

仕事といったものは、

終わりはありませんので、

たった一つのことの

『思った、願った、考えた』が

“積み重なって”いきます。



そう考えると、思った、願った、考えた“だけ”の

量が積み重なることが、つらいと思えませんか。



この9月、この二学期、

その思い、願い、考えを、

“だけ”の量を積み重ねるのではなく、

後回し、先延ばしにせずに、

“行動”した量をプラスしてみませんか。



そうすれば、一ヵ月後、

『思った、願った、考えた』“だけ”の人と、

必ず差がつきます。



二学期から、二学期は、次から、次は

を思っている方は、そのことを

強くオススメします。