与えられた自由な時間をどう使うか


厳しいことを言いますが、

与えられた自由な時間をどう使うかは個人の自由です。

しかし、それに伴う結果がついてくるのも、現実です。



偉そうなことばかり書いておりますが、

大人になって、やっぱり偉そうなことだった、

大したことではなかったと

思って頂けるようであれば、幸いです。



多くの生徒に言ってきて、後々になって、

塾長(私)の言ってたことが身にしみましたと、

言われることが、非常に残念です。



私自身の言い方が悪かったのか、

タイミングを間違えたのか、

余計なことだったのか、

大きなお世話だったのか。

多くの子供達が学校を卒業する、

この時期は特に感慨深く思うことがあります。



私が言うことの多くが、理想論に近く、

おそらく子供達からすれば、

そうは言われてもできないんだよ、

と思われることでしょう。



私はそれでも構わないと思っています。



その状況で、例えできなくとも、

自分で考え、自分で取捨選択し、

自分で決めることができる人に

なって頂ければ、それで十分です。



私はよく生徒達に総理大臣になれと

言うことがあります。



中には冗談まじりに、わかりました、

目指しますと言ってくれる生徒もおりますが、

ほとんどの生徒が即答で、無理ですと答えます。



しかし、少なくともその瞬間は

総理大臣が将来の夢の候補に挙がり、

無理かどうか、なれるかどうかを

“考え”ています。



それで十分です。



問題なのは“考えもしない”ことです。

総理大臣になるということが

将来の夢の候補にもならずに、

初めからその考えを持っていない

ということ、これは問題です。



子供達が自分自身で考えることを

放棄してしまっているとも思えます。



ぜひ、春休み、与えられた休日、

与えられた時間を有効に活用してください。



具体的な何かを行動に起こせなくとも、

考えることはできると思います。



それが必ず将来の糧になると思います。