強まる自己責任


数年前から、さらに今年度以降は爆発的に、

このことが重くなっていくと思います。



『自己責任』、

元々は、大人たちが

自分の失態を恥じて、

自らに課す言葉だったとは

思いますが、昨今はこの言葉を、

他人を突き放すために、

他人に向けられるように

なってきているようにも思えます。



直接、その人に、

『あなたの自己責任でしょう』

などと言ったら、冷たい人、

さらには昨今ならパワハラなどに

なってしまうのでしょう。



ほとんどの方は、そういうことは

言わないでしょうが、

『責任を取ってもらう』

ということに関しては、

無言の圧力で、その言葉を

連想させるようになっていると

思います。



学校のテスト、成績によって

進級・進学が決まる

私立校・中高一貫校の

進級・進学の合否は

これに当てはまるように思えます。



進級・進学の合否が決まるギリギリまでは、

文武両道を推奨し、応援してくれて、

『次頑張れば』『次で挽回しよう』と

言ってくれます。



いえ、昨今の風潮として、

可能性を否定するようなことを言うのは

パワハラ、差別、精神的虐待と

いうのであれば“それ”しか『言えない』でしょう。



そうして、『理想』や

『無限の可能性』ばかりを言われて、

そのことを原動力として、

本当に頑張って、挽回する方も

いるかもしれませんので、

そのことを悪いとは言えません。



しかし、“良い”とも言えない、

何とも歯切れの悪い言い方になりますが、

そうした推奨、応援で、大きな“勘違い”を

してしまい、現実を見ないで、

夢ばかりを追うことを、

可能性を追いかけることを、

絶対『正義』、『善』だと

言わんばかりの方が

増えてきているようにも

思えます。



縛りや制限のない社会、世界であれば、

それは救いの考えであり、

希望の言葉となるのでしょうが、

少なからず縛りや制限がある

社会、世界においては、それは、

自己責任の格好の的になってしまうと

思います。



学校のテスト、成績で

進級・進学が決まるという

明確な縛り、制限がある

私立校・中高一貫校において

だからこそ、昨今はこのことを

厳しく書いております。



ただ、逆に言えば、学校のテスト、成績

“ごとき”のことをクリアさえすれば、

私立校・中高一貫校では、最終的に

受験がある一般の学校や進学校に比べて、

素晴らしい自由を、多くの時間を、経験を

得られることも書いています。



しかしながら、そのことすらも

“勘違い”されるようになると、

もう本当に、『自己責任』という形でしか、

突き放すしかないと言えます。



元々、私立校・中高一貫校では、

他の一般の学校よりも

高い教養、勉強、指導が行われ、

その場所、環境において、

『一定の学力』を保てる

というのであれば、様々な経験して、

自由な発想、自主性を持った行動が

できるというものになりますが、

『大前提』になるのは『一定の学力』を

身につけている、持っていることになります。



その『大前提』を無視し、

夢を、無限の可能性を、『権利』を主張し、

好き勝手にやること、自由奔放に生きることを、

“本分”と思ってしまう、考えてしまう

というのであれば、通っている私立校・中高一貫校で、

『進級・進学できない』という“自己責任”を

取ってもらうことは致し方ないことになります。



今年度以降は、これが

より強くなっていくと思います。



この一学期の結果で、よく考え直して、

見直してみて、今後を決めるように

していかないと、早い段階で、

『自己責任』を取らされるように

なりますので気を付けておくことを

オススメします。