無関心と使い捨て


最近の生徒の傾向で、

問題などで間違えたことに対して、

その後の行動が、変わってきています。



数学ではその傾向が顕著に出ています。



昔の生徒でも、問題を間違える生徒は

たくさんいましたが、大きく違うところが

2つあります。



一つ目は、先生に答えが

間違えていると言われると、

まず、“自分の書いた途中式・回答”を

見ました。



最近の生徒は“先生の顔”を見て、

答えを求めます。



これはあまりにも自分の書いた

途中式・回答に無関心すぎます。



先生の顔には答えも、答えを出すための

ヒントも書いていません。



答えを導き出せる、ヒントが

書いてあるのは問題文や図と

自分の書いた途中式・回答の中です。



二つ目は、自分の書いた

途中式・回答を見直し、

“自分が間違えそうな箇所を

自分でめぼしをつけて”

自分で間違えを探します。



どこが間違っていると思うか聞くと、

大抵、この辺りの計算が複雑だったので、

多分ここで間違えたと思うと返答がありました。



最近の生徒は、どこで間違えたのか

検討もつかないと、まるで自分の書いた

途中式・回答は使い捨ての感覚で、

間違っている途中式・回答には

何の価値もないかのように

見ようともしません。



これは、後々になって、学力に関らず、

今後の能力の大きな差となると私は思います。



社会に出て、仕事をするようになった時、

この感覚では仕事ができません。



間違えや失敗に対して慎重な態度をとる

「わからないことがあったらすぐに聞く」ことに

関しては、良いところも悪いところもあるので、

一概に悪いとは言えませんが、

この「自分の書いた途中式・回答に

無関心、使い捨て感覚」は大きな問題です。



自分の導き出した回答、

その回答を導いた途中式に関して

何の関心も持たない、使い捨て感覚では、

勉強に限らず、何事においても

成長・発展していきません。



できることならば、正解している問題でも、

もっと簡単に答えを出す方法はないか、

実は違う解き方があるのではないか、

ここまで考えるようにしてほしいです。



塾では、指導の際に、答えが合っていても、

途中式で遠回りしている箇所があれば、

それを指摘して、より簡単に、より正確に、

より早くできる方法を指導します。



人によりますが、

答えが合っているなら、いいじゃないか。

という態度をとる生徒もおります。



数学では、無駄のない解き方で解いた回答を

エレガントと言います。



逆に遠回りで無駄の多い不細工な解き方を

エレファントと言います。



私個人的には遠回りで無駄の多い

不細工な解き方でも正しい答えを

導けるのであれば、エレファントでも

いいと思います。



ですが、効率を求めて、

なるべく勉強したくない、

勉強に時間をとられたくないと

考える人ほど、こういった遠回りで

無駄の多い不細工な解き方をしていきます。



また、解き方なんて、どうでもいい

という態度をとります。



その解き方・態度を見ていると、

非常に矛盾を感じます。



勉強はしたくない。

ならどうやって無駄を減らして

効率良く勉強するのか?

これを考えて勉強すべきです。



“無駄な”勉強はしないことに関しては、

賛否ありますが、少なくとも、効率良く

勉強したいのであれば、一度その態度

「自分の書いた途中式・回答に

 無関心、使い捨て感覚」を

考え直してみて下さい。