挑戦しなかった挫折


受験などにおいて、目標、志望の

学校を決めて、入試に挑戦した挫折は、

ある意味、良い経験になると思います。



それは、自分の実力、学力、努力が、

自分の思い描いていたものでは、

『足りなかった』『認められなかった』と

諦めではありませんが、『次』に繋がる

指標として、原動力として、

心に戒めの念を残せると思います。



しかし、挑戦しなかった挫折に関しては、

後悔の念だけでなく、穿った見方、考えを

拗らせると、危険なものとなり、その後の

人格形成、人性、人生において、多大なる

影響を及ぼす危険性があります。



高校・大学と比較的楽に進学できる

私立校・中高一貫校で、進級・進学

出来なかった時は、この危険性を

持つことになります。



多くの私立校・中高一貫校生の

進級・進学の問題を見てきましたが、

昨今の大問題として、

このことが挙げられます。



どんな状況・状態だろうと

進級・進学出来るものだと、

タカをくくって、ギリギリまで

危機感を持たずに、それこそ、

ほとんど最後となるテストを受けても尚、

進級・進学が『当然』与えられるものだと、

認められるものだという

言動、態度、姿勢の方が、

増えてきました。



ほとんどの方は、

進級・進学出来なくなると、

そうそうに『姿を消される』ので、

その『本当』の実態を把握は出来ませんが、

自分なり、自分的に、

頑張った(つもり)だから、

それが認められない、それを認めない、

などということはありえないと

言わんばかりの姿を見ていると、

進級・進学出来なくなった後の末路は

容易に想像できます。



自分なり、自分的に頑張った、

あるいは、『文武両道』を

“挑戦した”つもりかもしれませんが、

“たかだか”学校の勉強、

テスト“ごとき”において、

追い込まれていながらも

『危機感』を持てず、余裕を見せて、

『挑戦した』ことのほとんどは、

挑戦にもなっておりません。



むしろ、後々になってから、

あの時、あーしておけば、

こーしておけばの後悔の連続で、

そのほとんどにおいて、

『挑戦したか』といわれれば、

『しなかった』ということが

わかると思います。



そもそも、“たかだか”学校の勉強、

テスト“ごとき”に『挑戦』するなんて

考え、思いなど、進級・進学出来なくなる

その時まで、微塵も思わなかった、

感じなかったことでしょう。



少なくとも、学校・先生側には

『そう見られた』からこそ、

進級・進学の合否の会議において、

無情の決断を下された

ということになったと思います。



そして、その『挑戦しなかった挫折』、

つまり、私立校・中高一貫校で、

進級・進学出来なかったことが、

その後も尾を引いていくように

なっていると思います。



機会や時間を十分に

『与えられ』過ぎたからこその

弊害なのかもしれませんが、

こうなると、学業の道への

復帰はかなり難しくなります。



危機感をもって、挑戦をした

経験がないので、何でも与えられ、

認められる環境・状況でない限りは、

何を、何度やろうとも、同じことの

繰り返しとなり、それが続くと、

与えない、認めない方が『悪い』

という考え、思いに行き着くと思います。



そうなっていった場合、学業だけでなく、

社会に出てからも、不満を抱えながら

生きていくことになります。



私立校・中高一貫校生は、

そのことをよく考えて、

一度、受験生並みに、

勉強を挑戦してみて下さい。



その上で、無駄だった、意味が無かった、

自分にはそこまでやる気になれなかった

というのであれば、通っている学校で

進級・進学出来なくなる『程度』のこと、

そこまで気にする、後々尾を引くことなど

ないでしょう。



問題なのは、自分と同じように

馬鹿をやって、勉強もしてない

(ように見えた)友人・知人、

クラスメートが、楽に、楽しそうに、

高校・大学と進学していく姿を見て、

自分『だけ』が差別されたかのように、

進級・進学出来なかったと

思い始めてしまうと、

そこからの学業の道への復帰や

別の道への出発が

難しくなってしまいます。



それほどまでに、

私立校・中高一貫校で、

進級・進学出来なかったことが、

『挑戦しなかった挫折』

となる可能性がありますので、

よく考えて、この二学期を、

過ごすことをオススメします。