記録されたもの・ことの持つ『力』


今は、詰込み型学習、教育が否定され、

ゆとりをもって、中長期的な学習習慣を

身につけることが推奨されていますが、

最終的な大学進学、大学受験、

さらにはその先の就職、人生などを

見据えて、目の前のテストや成績などを

気にしないというのであれば、

それは、上手くいくと思います。



しかし、日本社会においても、教育機関でも

そうですが、今だ、そういった学習、教育に

対する、審査・評価のシステムが、

旧態依然となっており、ペーパーテストによる

根強い点数評価となっております。



徐々に変わっていくことにはなると思いますが、

これもまた、問題が起きれば、一斉に

原点回帰となると思われます。



というよりも、すでに、こうした

点数評価だけではない審査・評価を

しようとすることによって、

逆に点数の評価が高まってしまう結果に

なっていると思われます。



記録されていく『点数』『成績』などが

顕著だと思いますが、結果として、

そうした状況・状態になったほうが、

『点数』『成績』を“取る”“取れる”方と、

“取れない”“取らない”方が『浮彫り』に

なってしまったように思われます。



そして、どちらに高い評価をして、

採用するかとなれば、

当然、『点数』『成績』を

“取る”“取れる”方となり、

結果として、今まで以上に、

点数主義となっていくと

思われます。



またそうした点数主義を無くし、

差別しないとすればするほど、

はっきりとした『区別』が

生まれてしまっているように思います。



今後、これがAIなどにより、

より複雑に、そうした『区別』が

行われるようになっていくと、

『記録』された点数、成績に加えて、

過去の経歴、出席や生活状況なども、

判断されるようになっていくと、

記録されたもの・ことの持つ

『力』がより一層強まっていくことに

なると思います。



そうなると、とにかく

点数を、成績を、記録を

『取らなければならなくなった』時、

冒頭の考え方、やり方で、

正当な審査・評価を、

社会がしてくれるかどうかが

問題になってくることでしょう。



教育に何が正しい、間違いということは

無いと思いますが、少なくとも今、

そして今後の『日本の』社会において、

審査・評価システムが大きく変わり、

記録されていない未知なる可能性、

能力を見出してくれるようになるには

まだまだ時間がかかると思います。



それどころか、上記したように、

記録されたデータ至上主義的に

なっていった場合、

その中で勝ち上がってきた、出来た、

要領よくやってきた方が、

審査・評価する側になっていくと、

昔のような、家名・家柄で

物事・序列が決まる封建社会のように

なっていく可能性があります。



これからはそれが、記録された

データによって、決まることに

なると思われます。



まだまだ先の未来の話のように

思われますが、数年で携帯が

スマホに変わったように、

一気に一緒くたに変わる

可能性がありますので、

気を付けて下さい。



そうなった時、今の子供達の

『記録』は、もはや消せないものとなって、

土台となるデータとして残ってしまうと

思います。



すでにSNSなどの投稿で、そうした弊害を

受けてしまった方もいるかとは思いますが、

“たかだか”学校の勉強、テスト、成績“ごとき”の

『記録』でも、残ったデータが、自分の進路、

後の人生を決めてしまうものにならないように

しておくことをオススメします。