学生時代からの
意識改革
~勉強の好き嫌い~
引き続き、ウザい・うるさい、自己啓発のような、
説教・小言をさせて頂きます。
勉強の好き嫌いと題しましたが、
教育関係者という立場上、
個人的には、基本的には
“勉強すること”自体に
好き嫌いは無いと願っております。
どんなに夢見ている方でも、
SF映画にあったような、
脳に直接データを送受信して、
次の瞬間、その道のプロのような
専門的な知識が即座に身につくということが、
現実にできるとは思っていないと思います。
今後の未来にそうしたことになる可能性は
否定できないかもしれませんが、
少なくとも、今日明日、今年来年で、
“そうなる”とは思えません。
ですので、そういった“想像上”のことは
置いておき、話を進めさせて頂きます。
私が一番懸念しているのは、
勉強するという行為、特に、
学校の勉強において、勉強する内容に
興味があるかないか、持つか持たないか、
それで好き嫌い=やるやらない・できるできない
という答えになる、考えに至っていないか
ということです。
“勉強すること”自体は好き嫌いに関係なく、
皆さん、自然にやっていることだと思います。
好きなアイドルの名前やプロフィールを覚える、
ゲームをシナリオに合わせて進行していく、
マンガを読む、など、一見すると、
こういったことは“勉強”のように
感じないかもしれませんが、
その“知る・知ろうする行為”、
そして“覚えている・覚えられる”
という事実は、“勉強すること”と
定義しても良いと思います。
つまり“勉強すること”自体は、生きている間、
自然に、日常生活でやっていることだと思います。
それを、“学校の”や“数学の”となった時に、
拒否反応が出るのだと思いますが、
いかがでしょうか。
その“拒否反応”が、興味のあるなし、
好き嫌い、得意不得意から来るものだと
『思い込んで』いませんでしょうか?
具体的な勉強の続きは・・・
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