日曜日の過ごし方


日曜日の過ごし方は、おそらく

人生をかけて学ぶことになるでしょう。



休日としての過ごし方なのか、

何か締切などに追われて

過ごしてしまう日なのか。



仕事と休みを完全に割り切って、

何がどうなろうと、一切合切を忘れて、

休日として徹することは、なかなか

難しくなってくるでしょう。



学生時代ですら、なんとなくでは

あるかもしれませんが、

『宿題・課題』が残っている、

喉に小骨が引っかかっている感じで、

すっきりしないけど、日曜だから

休みたい、寝ていたい、何も考えたくない。



不安要素(宿題・課題)を残している時点、

そのことを全くすっきり忘れるということは、

不可能となります。



これは大人になっても、大人になったから

といっても、“うまく”やれる、

割り切れるわけではありません。



その人の性格や考え方もあるでしょうが、

休みを休みとして全うできる人は

少なくなってきていると思います。



情報化記録化もそうですが、

科学技術の発展はもちろんのこと、

生き方や余暇の過ごし方まで

多種多様になってきていて、

何をするのもどうするのも

自分の自由、自分の勝手、

自分に権利があると思うがゆえの

ジレンマに陥ることになるでしょう。



収入などの格差もそうですが、

やりたいこと一つとっても

その行動による格差、

結果による格差、満足度による格差が、

年々拡がってきているように思えます。



そのため、どこかの誰かがやっていることに、

他人の幸せに、他人の夢や行動に、

どこか自分と、自分の幸せと、

夢や行動と比較してしまうように

なると思います。



そうなるとこの休日、日曜日などの

過ごし方は顕著に格差となって、

見えてくることでしょう。



『リア充』などという言葉が

出てきているのは、その典型だと

思いますが、いかがでしょうか。



学生時代は、ともに馬鹿をやれる、

言い合える仲間・友人・知人、

同級生、先輩後輩などがいる、

あるいは部活動などがあって、

土日も練習で汗を流せる。



しかしそうした環境にいる間に、

それらが無くなった時、

自分一人となった時、

家族とだけ過ごすとなった時、

自分がどうするのか、

何をしたいのか、何をするのかなど、

『学んで』おいたほうが良いと

思います。



よく推奨されるのが

『趣味を持つ』ことではありますが、

そういうと天邪鬼な方は、『寝ること』が、

『(ゲームなど)遊ぶこと』が、

趣味で、それだけやっていればいい

といわれることが多いです。



一つ皮肉を言わせてもらいますが、

それは、それが本当に、それ『だけ』が

趣味になってしまう可能性がありますので、

気をつけて下さい。



失礼ながら、それ『だけ』で過ごす週末、

それ『だけ』で過ごす人生、それ『だけ』で

過ごす毎日となった時、果たしてどう思うかを、

よく考えて下さい。



私個人的には、むしろ『趣味』ではなく、

『任務』を持つようにしてはいかがと

思います。



日曜日、休み、普段とは

異なる非日常なわけですから、

普段とは異なる非日常的なことを

やると自分に課してみては

いかがでしょうか。



軍隊的な、強制的な、表現で、

任務と書きましたが、普段の自分では

決してやらないことでも、

そういった意識を持ってやる

ことにしていれば、意外に

やれるようになると思います。



一度試してみてはいかがでしょうか。