なってみないとわからない意識からくる言動の格差


なってみないとわからない、

ここ数年、非常にこの言葉を使う

子供が増えました。



世界的な情勢不安や、

大人達の動向を見て、

冷静に、客観的に考えて

言っているのかもしれませんが、

学生時代は、これを、この言葉を

こじらせている限り、

「なってみた時にはすでに遅い」

という現実を突きつけられることになります。



学生時代を過ぎたら、ある程度の予定が

決まっていて、決まったことを決まった通りに

やってくれる、そしてそれをただやりさえすればいい、

なんてことはありえません。



そして、そのことを「なってみてわかった」で、

だから許してください、時間を戻して下さい、

これから心を入れ替えますから、

皆と同じように扱って下さい、

という言葉を誰一人聞き入れる

ことがないでしょう。



昨今は、こういった意識、そしてその意識からくる

言動の格差が激しくなってきています。



「気付いて、やる」人は、

「気付いていても、やらない」人や

「気付かない」人と、大きな差をつけて、

圧倒的に有利で優位な立場に立っています。



「気付かない」人や「気付けない」人は、

差別に近い扱いを、一部、あるいは

皆から社会から受けるかのように感じ、

劣等感だけでなく、実際に、「そういう」立場を

背負わされることになるかもしれません、

いえ、もうなっているかもしれません。



学生時代の、いついつのタイミングで、

気付くかは構いませんが、

そのタイミングが遅くなればなるほど、

気付いた時には・・・となってしまいます。



話が少し脱線してしまいましたが、この春休みも同じことが言えます。



テストが終わってから、ゆっくりしてから、

結果が出てから、部活動の日程が出てから、

春休みが始まってから、4月になってから、

「いつか」から、で先延ばしに考えていると、

無限の可能性と未来、つまり時間と機会を

失うことになります。



中学生2年生にもなれば、

すぐに「進学」がかかってくる

中学3年生になります。



高校生にもなれば、

毎年「進級」がかかってきます。



よく考えて、時間と機会を逃がすことの

ないようにして下さい。