成績表をもらったら・・・


成績表をもらったら、よく“見て”下さい。



まぁ、よく見たところで、

書いてある内容は変わりませんが、

それでも隅から隅までよく確認して下さい。



各教科の成績、先生のコメント、

自分の次学期の目標、前の学期、

4月の時に書いた目標など。



はっきり言って、いい加減です。



断言しても良いのですが、

先生のコメントなど、

●●の教科は頑張りました、

●●の教科は次回頑張りましょう、

もっと積極的に授業を受けましょう、

などは、ほとんどいい加減だと思います。



多くの生徒を四六時中

全てを見ているわけでもありません。



実は前回よりも●時間多く勉強した、

多く読み書きしていたなど、

わかりようがありません。



その上、教科によっては

単元によっては、

興味のあるなしがあり、

成績だけで、その人の持つ

潜在的な能力を測ることはできません。



ですので、各教科の成績の

“結果”から(だけ見て)

出ているコメントです。



成績の仕方を

批評しているわけではありません、

何が言いたいのかというと、

成績というのはある意味

いい加減だということです。



そのいい加減のさじ加減で、

進級・進学が決定される

という事実を知っておいて

ほしいということです。



もちろん、生徒を“正当”に評価するのに、

テスト・成績は必要です。



ですが、それは本当の意味で、

生徒一人一人、個人個人を“正確”に

評価しているわけではないということです。



“正確”ではない成績で、進級・進学が

“妥当”か“否”かを判定しています。



ふざけるな、じゃあ、こんなの

意味がないじゃないか!

と怒る・憤る方もいると思います。



しかし、残念ながら、学生時代に限らず、

今後生きていく人生においても、

その“正確”ではないが“正当”に評価する

システムで、全てが“妥当”か“否”を

判断されていきます。



難しい言葉遊びのように

聞こえるかもしれませんが、

“正確さ”は、個人の、個人による

価値観、主義・主張、力量・実力による

ところが多くなる傾向があるため、

要するに“自分としては”頑張った、

“自分なりには”頑張ったということを、

他人が評価しづらいから、全ての人を

平等に“正当”に評価するシステムが

存在するということです。



学校の成績もそうですが、

世の中の基準の多くには、

“いい加減”があふれています。



その“いい加減”に振り回されるのが

嫌ならば、その“いい加減”に

対応できるようにして、

評価されるようにして下さい。



成績として、出てきた数字、

コメントなどは、事実として、

“記録”されています。



“記憶”ではありません、

“記録”です。



よく見ておいて下さい。



そして、そのいい加減な評価に、

自分の進級・進学が左右される

悔しさをバネにして、二学期からの

学校生活、勉強、テストを

よく考えてみて下さい。



そう考えて、改めて見る成績表は

また違ったものとなると思います。