夏休みに残してきたもの


8月下旬までに、思い出や経験、実績や結果など、

良い形で残してきたものが多い方は、この夏休みを満喫し、

さらには、『夏』ではなく、『人生』として、

漫喫できたと言えると思います。



しかし、悪い形といいますか、わかりやすく、

『残してしまった』もの=夏休みの宿題がある方は、

この一か月間、頭の片隅、心のどこかで、

その不安や葛藤を抱えて過ごしてきてしまったと

思いますが、いかがでしょうか。



こういったこと、ものは、忘れよう忘れようと思っても、

つきまとってくること、ものですから、本当に気持ち良く、

気分良く、この夏を過ごせたとは言えない、思えないと

思いますがどうでしょう。



まぁ、もう最初から出す気はない、あるいは、

この下旬からやって終わらせると

予定・計画していたのであれば、

この一か月間を面白楽しく

過ごせたかもしれませんが。



しかし、『残した』という現実、事実が、そして、

残りの夏休みの『時間』が、『締め切り』が、

迫ってきて、どう思いますか。



大人のある世代の中には、そういった

追い込まれたほうが、力を発揮でき、

集中力が出て、爆発的に動けるという方、

そう考える方が多い世代もありますが、

今の世代の方は、そういった泥臭い

根性論や精神論が好きではない、

むしろ、そういった非科学的なものを

言ってくる、自らあるいは他人から

強制されるのはハラスメントだと

考えられると思います。



そうなると、『追い込まれる』

=もう終わり、諦めるという

帰結に至ってないのかと

懸念しております。



そういった世代の子供達に対して、

会社や親御さん世代の方々は、

どちらかというと、上記のような、

追い込まれてから力を発揮するという方、

そう考えられる方が多いように思えます。



その世代間のジレンマが今後どういったことを

引き起こすかは測りかねますが、

学校の勉強においては、

問題が後々になればなるほど、

もう手遅れ、救いようがないと

いうところにまで突き落とされるかの

ようになっていくことが予想されます。



すでに、私立校・中高一貫校での学力格差は

それを彷彿させるように、見えてきます。



大人であれば、自己責任という一言で

片付けられることかもしれませんが、

これからの社会を、未来を生きていく

子供達が、人生とまではいいませんが、

進路の岐路において、自己責任で

切って捨てられるようになってしまうのは、

あまりにも非情、無情のように感じられます。



しかし、私立校・中高一貫校の

進級・進学のシステム上、

記録された成績、数字によって、

そうなる方が一定数出てくることに

なることでしょう。



そして、そのことすらも『記録』として、

『残っていく』ようになっていくと、

人生というよりも、運命を変えてしまうものに

なってしまうように思われます。



大げさに書いているつもりではありますが、

近い将来、そうなる、そうなってしまうことの

ないことを祈ります。



話が壮大になりましたが、この夏休みの宿題も

残してきてしまったのであれば、早くそれを

終わらせ、別の良い思い出や経験、実績や結果を

残せるよう、頑張ってみて下さい。