拳精
酔拳、蛇拳、笑拳と来て、すっかり人気者になったジャッキー・チェン。そうなると今度は過去の作品を・・ということになる。新作が出るまでの穴埋めに。少林寺の寺男ヤッロン(ジャッキー)は、いつも罰を食らってばかり。兄弟子達はうまくやって罰を逃れているけど。今度の罰は経蔵の不寝番だ。でも気がつかないうちに眠らされていた。忍び込んだ黒装束の男は、番をしていた僧達をかわし、一冊の本を奪って逃げる。盗まれたのは七邪拳の秘伝書。邪悪な拳法なので、門外不出とされている。これに対抗する拳法として五形拳があるが、こっちの秘伝書はありかがわからなくなって久しい。責任を感じた方丈は、100日間こもって祈ることにする。番をしていた僧達も三日間の罰を受けるが、ヤッロンはおもしろくない。自分は悪くないのにとブーたれる。三日間の断食の後は、カエルだのニワトリなどで鍋を作り、みんなにもふるまうが、またしても(彼だけ)罰を受けるはめに。もうずいぶん昔のことなのではっきりしないが、この映画を最初に見た時には会場がお客でいっぱいで、子供達も多かった。もしかしたら試写会だったのかもしれないが、場内は笑い声が絶えなかった。何しろジャッキーはドジばかりやって罰を食らう(が全然懲りない)。川だか池だかで後ろ向きだけどスッポンポンで、お尻を見せる。つかまえたものをズボンの中に突っ込む。立ちションをする。拳精はオナラをする。ジャッキーの顔を踏んずける。小さな男の子達が喜ぶことばっかりだ。幽霊(拳精)に向かって出てこいと言う時には、字幕に”ドラえもん”と出て、驚きの声が挙がる。今考えれば字幕の担当者がふざけたのだろうが、みんなジャッキーがホントにドラえもんと言ったのだと思ってる。ところでこの映画、「不良少年」との二本立てだった。東映はいつも二本立てなので、見たくもない併映作品をさんざん見るはめになった。おもしろいのならいいが、たいていはつまらなかった。何となく出てきて、何となく死んでいくような、何を言いたいのかさっぱりわからないようなものばかりだった。東宝東和みたいに一本立てなら、続けて二度も三度も見てこられるが、東映だとまずジャッキーのを見て、併映作品を見て、またジャッキーのを見て帰ってくるというのが普通だった。そのくり返し。
拳精2
話を戻して、兄弟子の一人をやっているのはディーン・セキ(石天)。いつもは大げさな身振りとか表情で憎まれ役をやるが、今回は素顔に近く、彼って意外と若いんだ・・顔立ちも整っているんだ・・とびっくり。七邪拳の秘伝書は謎の人物によってロク・チン(ジェームズ・ティエン)に渡される。ネットで調べると七邪拳は七殺拳あるいは七死拳、五形拳は五獣拳、方丈は慈明となってるが、いちおうNHKBSでやった時の字幕のままで行く。ヤッロンも本来はロン(龍)らしい。一龍にしたのは拳精の一人に龍の精がいるからか。また、この映画で話されているのは広東語なので、一龍はイーロンではなくヤッロンになる。広東語はイー、アㇽ、サン、スーではなく、ヤッ、イー、サㇺ、セイなのだと知ったのも、この映画を通じてだ。ついでに言うとテレビでは「チャイナ・ガール」は流れない。音的に単調な感じがする。ここは音楽があった方がいいのに・・と思う箇所がいくつかあった。当時サントラを買ったが、私はB面の「エブリバディ・ファイティン」の歌詞が気に入っている。♪けんかいや~よ博愛、やめなさい~、やめなきゃちょっと~激怒、頭きた~♪こういう歌詞ってあんまりない。どんなことがあっても戦って倒すぞ的歌詞が普通だから、聞いていて新鮮で。さて、ある晩隕石が降ってくる。経蔵は大揺れで、僧達は右往左往。経典が落ちてきたりする。その後一階部分がうつるが、こちらは何ともないのは不自然。でもやっと拳精の登場だ。経典を置く棚の後ろからボロボロになった本が見つかる。これが五形拳の秘伝書で、隕石のショックで拳精達が抜け出したのだ。赤毛の長めのおかっぱで、顔は白塗り、口だけ赤い。全身白で、チュチュのようなものをつけ、白タイツ、白手袋。頭には龍、蛇、虎、鶴、豹がついていて、口はきけない。拳精の一人はユン・ピョウらしいが、気がつかなかった。僧や兄弟子達が恐れ騒ぐ様子がおもしろおかしく描かれるが、ややモタモタしている。夜番をしていたヤッロンだが、拳精達はなぜか彼の胸に現われたしるしを見て服従する。なぜヤッロンにしるしが現われるのかは不明。ヤッロン自身は気づいていない。他の映画ならこの後拳精による特訓をいろいろ見せるところだが、この映画はそういうのはほとんどなし。
拳精3
その頃ロク・チンは七邪拳をマスターし、武術の盟主に推挙された男を殺しまくる。盟主って何?あの謎の人物が方丈なのは明らかだが、本を盗んだ黒装束の男は身が軽く、やせている。だから太っている方丈がというのはありえないんだけど、この映画はそれを無視する。黒装束がロク・チンだったという方がまだしも説得力があるのに。ある日少林寺に盟主セックが娘フンイを連れて現われる。彼は七邪拳の使い手が現われたことを憂え、その対策を相談するために訪れたのだ。寺内を案内するよう言われたヤッロンだが、初めて見る女性に興味を持つ。彼は寺から出たことがない。彼の過去は不明だが、たぶん赤ん坊の頃門前に捨てられていて、僧達に育てられたのではないか。信仰心がなく、落ち着きもないので僧には不向きと判断され、寺男として暮らしているのではないか。そんな妄想がふくらむ。女の子の扱いも知らないヤッロンと気の強いフンイ、そのうちケンカになるが、いい匂いなどに油断し、負けてしまう。その晩は拳精相手に特訓だ。翌朝また戦って今度は負かすが、フンイを泣かせてしまう。父親に言いつけに行くと死んでいる。胸にべったりと手形がついていて、これは金剛拳の使い手の仕業だと方丈が言い、ワイウが疑われる。このあたりの方丈の態度は館長にしてはどうも無能っぽく見える。長老・・盲目の僧がいて、こちらは副館長らしいが、こちらの方が有能そう。フンイは単純だからワイウを仇と思い込み殺そうとするが、長老が止める。あの手形は顔料によるニセモノ。疑わしいのはワイチンだが、彼も黒装束の男に殺されてしまう。こちらも胸に手形があるが、こちらは顔料ではなく本物か。と言うか、別に顔料使わなくたって・・。とにかくますますワイウの仕業だとなるが、彼もフンイもセックの遺体も消えてしまう。長老の計らいだ。ヤッロンは自分が寺を出てワイウを捜すと申し出るが、それには十八羅漢を倒さねばならない。ヤッロンが立場もわきまえずしゃしゃり出るのは変だが、この映画の一番の見せ場である十八羅漢対トンファーのバトルシーンが延々と続く。一方ロク・チンはフンイのところへ現われ、盟主の証しを寄こせと迫る。めぼしい使い手はみんな倒し、もうライバルはいないと確信している。そこへヤッロンが現われるが、ここでは決着をつけず、ワイウがうまく言い繕って、七日後少林寺でということになる。
拳精4
何やらモタつくが、決戦は方丈の前でないとまずいのだ。戻ってみればワイウはやってもいない罪を問われることに。しかしロク・チンが現われ、ヤッロンと戦うが、倒されてしまう。消失したはずの五形拳に皆驚く。ロク・チンの死にとうとう方丈は正体をあらわす。自分がなれなかった盟主の座に息子ロク・チンをつかせようという30年越しの計画が、ヤッロンのせいでだめになってしまった。方丈は太っているし若くもない。しかしそこは香港映画、太ってたって年がいってたって動けるんです!着物をはぎ取られたヤッロン、金太郎みたいな腹掛けをしている。その下に秘伝書をはさんでいるので、パンチを食らう度に本の中にいる拳精達はイテテテ・・となる。ここも見ている子供達は大喜び。いいよな、わかりやすいギャク。本から飛び出した拳精達はヤッロンを助けるが(あるいは邪魔するが)、他の者には見えないから不思議がる。盲目の長老には見えていたようだが。たぶん彼だけはヤッロンの潜在的な力(特別なものを与えられる資格)に気づいていて、それでヤッロンにだけ罰を与え続けたのでは?ヤッロンは気づいてないけど、その積み重ね(鍛錬)が、五形拳を習得する際の土台となったのだ・・なんちゃって。ここの方丈の一人芝居がうまい。いくら悪役とは言え、太っていて若くもないので、あんな激しいアクションをやっていて大丈夫なのかと心配にもなる。そのうち方丈も倒され、エンド。ラストシーンも笑える。ジャッキーはこの映画は嫌いらしい。それなりの理由はあるんだろう。でも明るくてわかりやすくて、何よりも観客が心から楽しんでいた。これって大事なことだと思うよ。私自身は最初はもちろんジャッキー目当てで見に行ってたけど、そのうち拳精達に目が行くようになった。彼らには五形拳しか存在しない。恨みや復讐その他モロモロも存在しない。修行の必要もない。口もきけず身振りだけだ。でもその単純さが何だかうらやましく思えるのだ。出演者のうちお札で拳精達が見えるようになった僧やってるのは「ドラゴン武芸帳」に出ていた李昆、長老は「カンニングモンキー/天中拳」の李海龍、ワイウが同じく「カンニングモンキー」や「蛇鶴八拳」に出ている李文泰、方丈役が李桐春・・と、なぜか李さんばっか。