或る終焉

或る終焉

以前はこういう映画を見ると、ああでもないこうでもないと妄想をたくましくし、長い感想文を書いたものだった。でも今では文章が次々に浮かぶということもあまりなくなった。扱っているのが、逃れられない死ということもある。子供の頃や若い時は忘れていられるし、無視することもできたけど、ある程度の年になると、常に頭にある。この映画に出てくるのは、エイズで死ぬサラ。まだ若い。脳卒中のジョンは、あの後どうなったのだろう。デヴィッドはジョンの家族にセクハラで訴えられ、仕事をクビになってしまう。全くの誤解なのに。次に見つけたのは、ガンの化学療法を受けているマーサの送迎の仕事。助かる見込みがないと悟った彼女は、デヴィッドに死なせてくれるよう頼む。どうやら彼には息子のダンを安楽死させたという過去があるらしい。妻と離婚したのはそのせいか。妻は再婚するがうまくいかず離婚。医者になろうと勉強中の娘ナディア。どこかで狂ってしまった人生。この三人が再び家庭を持つのは無理なのか。サラにしろジョンにしろ、ある程度お金があるからああやって昼夜二交代で看護師を雇えるんだと思う。でもいくらお金があっても病気は治らない。ジョンはわからないけど、サラとマーサは死を迎えた。あんなふうに男性に入浴や排泄を手伝ってもらうのは抵抗があるけど、病気が重くなると、そんなことも言ってられないんだろうな。介助には力が必要なんだし。デヴィッドは寡黙で、娘のあとをつけたり、他人との会話でウソをついたり(サラは妻、ジョンは兄とか)、奇妙な行動を取る。仕事の合間にはジムで走ったり外で走ったり。ジムで開封していないタオルを要求した時には、このタオルを使って末期患者を安楽死させるに違いないと思ったのは私だけ?実際はこういう潔癖さと、患者の排泄物や吐しゃ物の汚れをいとわない部分とを対比させるためらしいが。ラストは唐突で、「おみおくりの作法」に似ているが、あっちにあったほのかな救いはこっちにはなし。いや、出てこないだけで、元妻や娘は悲しんでくれるだろうけど。まあ長く苦しい闘病生活を送るより、こっちは一瞬で恐怖も痛みも感じるヒマはなかっただろうから、ある意味マシかも。デヴィッド役はティム・ロス、ナディア役サラ・サザーランドはキーファーの娘らしい。