死亡の塔

死亡の塔

WOWOWでブルース・リーの特集をやった。生誕80年てことで。「燃えよドラゴン」より、こういうアホ映画の方が感想書きたくなる。熱心なブルース・リーファンにとっては許せない、存在してはならない映画なんだろうが、私は大好きである。1980年と言えばもう40年も前だ。「死亡遊戯」の後、またブルース・リーの映画が公開されると知った時には驚いた。私は遅れてファンになった方だが、それでもいろいろ資料を集めていたから、映画を作れるほどの未公開映像があるとは思えなかった。テレビで宣伝の人が、温室のシーンが発見されたシーンとか言っていたが、どう見たってリーじゃない。はあ~わかっていてウソをついているんだ・・と、びっくりした。昔はテレビではウソは言わないって単純に思っていたけど、それが覆された瞬間でもあった。それ以降は・・いまだに流れる「大ヒット上映中!」も「絶賛上映中!」も信じなくなった。もっとも私がこの映画を見にいったのはタン・ロン目当て。リーそのものにはあまり期待していなかった。忘れられないのは、温室のシーンでビリーの横顔がうつったとたん、近くの席にいた女性が「違う・・」とつぶやいたことである。彼女は宣伝文句を信じて見にきていたのか。当時の映画雑誌のロードショー予定表を見ると、公開は一週間から二週間。ずいぶん短いが、内容が内容だからね。私はロードショー後の二本立て興業にもせっせと通い詰めた。サントラも買い、テープも買い、テレビでは一回見て、その後中古ビデオを買ったが、それを見た時にはいたく失望した。音楽がちがうぅ~!今回WOWOWを録画したのは、もしかして・・と期待したからである。でもだめだった。何であの曲流してくれないの~!よくエンドクレジットで、映画の余韻ぶち壊すふにゃふにゃのオリジナル曲が流れるけど、ジャッキー・チェンの映画では、いい曲が流れることが多かった。この映画も、音楽(だけ)はよかった。あの頃はDVDもないし、ビデオも一般的じゃなかった。どうしてももう一度見たい時には輸入ビデオしかなかった。ジャッキーのビデオを買ったりしたが、日本語字幕がないのは仕方ないとして、画質は悪くボケボケだし、音楽は地味と言うか単調で盛り上がりに欠ける。

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音楽のせいで映画の印象も変わってしまう。この「死亡の塔」もやっぱり重苦しくておもしろ味のない曲ばかり。失望したまま感想書いて、でもボビーの声を池田秀一氏が吹き替えてると知って。そう言えばDVDも持ってたっけと思い出して再生してみたら・・キャッ、何、ちゃんと入ってるじゃないのよ~あの音楽がぁ~となって、狂喜乱舞佐渡おけさ(何のこっちゃ)。もちろんもう一度全部見ましたよ、ついでにサントラも聞いて。カセットテープについてる解説とストーリーが、映画のパンフと全く同文なのにも気がついた。ついでに言うとビデオカバーには「劇場未公開の貴重な32分間も収録された完全オリジナル版」などと書いてある。嘘つきめ。さて・・いつまでたっても本題に入らないじゃないかと言われそうだが、それもそのはず、この映画には本題なんてないに等しいのである。ストーリーはこうで・・と書くことはいちおうできるが、そのストーリーはつながっておらず、人物の背景は不明で、なぜこういう行動取るのかわからない。次の瞬間には髪型も服の色も変わり、それに顔も変わる!演技も変わる。見ていてめまいを起こしそうになる。古い映画ということもあるが、ネットで調べても詳しく書いてる人は少ない。パンフはブルース・リーの生涯、出演した五作品の紹介に紙面を割き、あとはグッズの通信販売。最後の方にかろうじてストーリーと、「何故、ブルース・リーの新作が存在するのか―。」の一文が載っているが、「いや、新作じゃないって!」と抗議するのも空しく思える。主要キャストであるタン・ロンやウォン・チェンリー(黄正利)の紹介もなし。タン・ロンの顔がはっきりうつっている写真もなし。まるでブルース・リーの未公開映像(と栄光)だけで映画ができているみたいだ。まあ宣伝の人も苦労したとは思うけど。それに製作が混乱したのはレイモンド・チョウが元凶らしい。さて、ビリーにはチン・クーという友人がいる。チン・クーは日本人らしく、新聞に載った訃報では秦谷という名前のようだ。一流の武術家であるビリーやチン・クーのもとには、挑戦者があとを絶たない。今もチン・クーは未熟な挑戦者をあっさり退けたばかり。ビリーも少し前韓国人の武術家と温室で戦ったが、退けた。いや、退けられたのは奇跡的に発見されたブルース・リーの未公開映像という嘘っぱちですけどさ。

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ビリーには寺院で修行しているボビーという弟がいる。しかし彼はもう自分はエキスパートと思い上がり、修行をないがしろにし、女色にうつつを抜かしているようだ。ビリーが部屋を訪ねた時も留守で、机の上はミカンの皮やエロ本で散らかっていた。ビリーはため息をつき、机の上を片づけ、ボビーに戒めの手紙を書き、自分の書いた教本を置く。截拳道の・・ということらしいが、表紙には少林寺の文字が・・。ここらへんは「燃えよドラゴン」のシーンを使っているので、シーンによって服の色が青になったり茶色になったりする。とは言え私はここらへんのシーンは好きである。手紙や教本を筆で書いてるのがいいし、字や挿絵も美しい。弟を心配するビリーの沈んだ感じもいい。彼自身子供の頃は手に負えない悪ガキだったという設定で、ブルース・リーの昔の出演作を使って描写する。しかし・・ビリーの回想なのにブルース・リー6歳とかブルース・リー15歳とか出るので、呆れると言うか何と言うか・・。さて、チン・クーの死を知ったビリーは深い悲しみにおそわれる。「燃えよドラゴン」で妹の死の真相を知った時の映像を使っていて、頬には涙が・・。これがパンフの表紙やDVDのカバーにも使われ、いかにもって感じ。「燃えよドラゴン」の高僧役ロイ・チャオと、老人役ホー・リー・ヤンが「死亡の塔」にも出ている。ヤンは1978年に亡くなったらしいから、出演したのではなく、映像が使われたということか。ヤンはこちらでははっきりビリー達の父親だが、「燃えよ」では主人公リーの父親かどうかははっきりしない。ノベライズでは召使になっていて、私もそう思っていたが、父親と書いてる人もあって、それを見た時にはびっくりした。ちなみにIMDbでは、ただoldmanとなっている。また、この父親とのシーンではリーの・・じゃない、ビリーのかたわらに白いタイプライターがでんと置かれているのがわかる。彼は何か書く時はタイプライターを使うのだ!ロイ・チャオの高僧は二人の弟子と戦うが、そのうちの一人はユン・ピョウだ。話を戻して、父親はビリーにチン・クーの養女メイを訪ねるよう言う。ビリーがチン・クーと会ったのは日本だし、ボビーがいる寺はたぶん香港、そしてまた葬式のために日本へ。定期券でも持ってるのかね。と言うか、ビリーの職業は何?弟子はいないし、俳優にしては仕事してないし。

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さて舞台はいきなり歌舞伎町へ。メイがいるのは銀座のクラブのはずだが・・。遠くに”コマ”の文字が見える。クラブのシーンに移る直前、ビリーがいるのは建物の角のところ。何となく見覚えがある。あれは映画の看板かポスターか。もしかして私も何回か行ったことのある映画館か。今でもやっているのだろうか。さて、クラブで歌うメイ・・と言うか、歌ってるフリしてるだけだけど。この映画にはほとんど女性が出てこない。このメイと、後で出てくるエンジェルくらい。残念なことにこのメイは不愛想で魅力なし。チン・クーとは疎遠だったらしいが、箱を預かっていると。なかみはフィルムらしいと。そこへ悪者どもが現われ、乱闘となるが、彼らの正体は不明。チン・クーの手先としか思えないが、そもそも箱を預けたのはチン・クーで、それはなぜなのかということになる。つじつまが合わないが、そんな疑問抱かせるスキを与えるものかという感じで、バトルシーンの始まり始まり。ビリーが足で蹴って照明を壊すところは、「かわいい女」をほうふつとさせる。いやもちろん暗くして、ブルース・リーじゃないのをごまかすためだが。そのうち外に出るが、とたんにセット感ありありとなって、やや狭苦しい感じになる。でも私はこの安っぽい、いかにも作り物めいた背景も好きなんですけどね。壊されるのを待っているって感じで。それに温室のシーンと違って少しはのびのびとした雰囲気もあるし。ブルース・リーじゃないってのを隠すようなとり方も、そろそろ面倒になってきた、少しくらいいいじゃんという感じ。走ってくる車に向かっていくスタントはなかなかのもの。その前の、走りながらアチャアチャ言ってるのはお間抜けだけど。さて、チン・クーの葬式やってるのは芝の増上寺。東京タワーのまわりはスカスカだが、今はビルが建っているんだろうな。弔問客は全員男性で、外国人も多いが、いかにも寄せ集めという感じ。つまり外国人というだけで引っ張ってこられたような・・。いちおうチン・クーの死を悼んで世界中から集まった武術家達というふうに見せたいんだろうけど。ここにはチン・クーの弟子ルイスもちゃんといる。お坊さん達は本物だろうけど、よくこんなアホ映画に出たよなあ。まあこの時点ではわからないだろうけど。お経も変わっている。

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ビリーはチン・クーに最後の別れを告げようと遺体に近づくが、数人の弟子に邪魔される。チン・クーの死因は不明だが、まあ誰も本当に死んだとは思ってないし別にいいか。土葬にするので穴が掘ってあるけど、浅すぎるな。またまわりに何もないのは不自然だけど、少し離れたところに像が立っていたから、全然別の場所ってわけでもないのかな。突然ヘリが現われ、棺を持ち去ろうとする。まあこのシーンのためには、まわりにお墓なんかあったらまずいな。広くないと。ビリーは阻止しようとするけど、針のようなものが飛んできて首に刺さり、転落。その後はビリーの・・ブルース・リーの実際の葬儀の模様が流れる。「死亡遊戯」と同じ流れだ。父親からの手紙を読み、悲歎にくれるボビー。机の前にはビリーの写真がべたべた貼ってある。これだけ見ればビリーは俳優だったように見える。父親に兄の復讐をしろと言われ、ボビーは日本へ。羽田空港がうつる。ボビーを出迎えたのはシャーマン。この人は加藤大樹というスタントマンらしい。その後例のフィルムをシャーマンの師匠と一緒に見るけど、シャーマンも師匠もそれ以上筋には絡んでこない。フィルムにうつっていたのはチン・クーとルイス。そしてルイスの側近と思われる片腕の男。ルイスはチン・クーの弟子で、死の宮殿のあるじ。冷酷な男らしいが、師匠も詳しいことは知らないようで。フィルムは別に隠し撮りでもなく、誰がとったのかは不明。とらせたのはチン・クーだろうが、理由は不明。この後ボビーがルイスを訪ねるきっかけとして出してくるにすぎない。死の宮殿がどこにあるのかは不明。舞台は日本のままなのだろうが。ネットで調べると撮影地は韓国らしい。ルイス役ロイ・ホランは188センチの長身で、ヒゲだらけだが、なかなかのハンサム。IMDbによると、俳優をやめてからは大学の教師になったらしい。ルイスの役どころは今いちはっきりしない。ボビーが訪ねてきたのは意外だが、愛想よくもてなす。小さなサルを肩に乗せていて、顔をこっちに向けている時もあるが、後ろ向きになってお尻を見せている時もある。それが何だかおかしい。孔雀の飛翔を見せてボビーを感心させた後は、ライオンが歩き回る中を車で走る。かなりの頭数を飼っていて、放し飼いにしているという設定だが、見ているお客はどこかのサファリパークでとったのだな・・と思う。

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この時車の中にいるルイスの肩にはやっぱりサルが乗っているが、ライオンに囲まれてさぞ怖かっただろうと見ていて気の毒に思った。そんなことしていると、兄弟の挑戦者が現われ、ルイスは不機嫌になる。もちろんあっさり退けるが、途中でボビーがちょっとした手助けをしたので、ルイスに気に入られる。その夜黒装束であたりを嗅ぎ回っていたボビーは、仮面の男に襲われるが、これがあの側近なのはバレバレ。男は片腕じゃなかったけど。でも側近が片腕である必要も、片腕であるフリをする必要も全然ないんだけど。ルイスは側近を全く疑っていないが、片腕じゃないことに気づかないことがそもそもおかしい。男は元々は近くの寺の僧侶だったのをルイスが雇った。その寺の塔は誰も見たことがない。なぜならその塔は下に向かって作られたからだ。あっという間に夜になり、ボビーのところに酒を持ったエンジェルが現われる。彼女が出てきた時にはびっくりした。アハンアハンという感じで化粧が濃く、顔は四角。気前よくスッポンポンになってくれる。映画館で見た時は、全身がうつる時はぼかしではなく、光って見えないようになっていたんじゃなかったかな、確か。フラッとなるボビーだが、兄の戒めを思い出し・・。エンジェルの指輪からは針が・・。そこへライオン・・と言うか着ぐるみだけど・・が飛び込んできて、ボビーに襲いかかる。エンジェルが失敗しそうだから飛び込んできたのかな?エンジェルは殺されるけど、凶器はビリーの時と同じもの?と言うか、凶器は動いていたから、エンジェルまだ死んでいませんぜ、息してまっせ。直後にルイスが殺されるが、朝になるまで誰も気づかない。ボビーは襲われた後ルイスに言いにいくはずだが・・。朝まで何してたのかいな。エンジェルの死体はどうした?驚く弟子達がその後どうしたのかは不明。何たってこれからボビーが死亡の塔へ行くんだから、他のことはどうでもよろし。今までのあれこれは塔へ導くためのきっかけにすぎない。寺にはあの男がいて、ボビーと戦って途中でもう片方の腕を出すけど、何ということもなくあっさりやられておしまい。奥の手でも何でもありませんでしたとさ。この男・・演じているト・ワイ・ウォ(杜偉和)は岡村隆史氏に似ている。せっかくうさんくささぷんぷんで出てくるのに、扱いが中途半端なのは残念。

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それ以上に残念なのがルイスの扱い。彼がチン・クーの裏稼業の相棒で、チン・クーにとって邪魔な存在になりつつあったというのなら、話はわかる。片腕の男がルイスの監視役だったとか。しかしルイスは麻薬密売は知らないみたいだし、チン・クーの死も疑っていない。塔のある寺と、ルイスの死の宮殿はさほど離れておらず、片方には麻薬工場の従業員、片方にはルイスの弟子達がいて、お互いその存在に気づいていなかったとはとても思えないのだが。さて、ボビーは塔への入口を見つける。普通建物の中に入口作ると思うが・・。中に入るとエレベーターらしきものがある。これに乗って下に降りる時、哀愁をおびたメロディーが流れる。私このシーン好きなんですの。ボビー一人を乗せてどこまでも下っていくエレベーター。この先には何があるのか・・孤独、不安、哀愁。下に下りてからは・・あんまりはっきりしないけど、ここは麻薬工場なんですな。工場そのものが出てくるわけじゃなく、段ボール箱がいっぱい・・それで間に合わせている。ここから長い長いバトルシーンが始まる。もうブルース・リーの呪縛からは解き放たれ、タン・ロンは顔を隠す必要もないけど、ここからはユン・ピョウがやってる時もあって、やっぱり一人で全部とはならないんですの。ユン・ピョウはその前のバトルシーンでも出ているんだろうけど、彼だとはっきりわかるのはここらあたりから。見ている人の中には延々と続くアクションシーンにうんざりした人も多かったことだろう。「死亡遊戯」と違って、「待ってました!真打ち登場!」とはならないし。でも私は全然退屈しなかった。途中でユン・ピョウに気づいてからは、あッここはタン・ロン、あッここはユン・ピョウ・・と、見ながら楽しんでいましたよ。この映画を正確には何回見たのか、数えていたわけじゃないのでわからないけど、何十回も見たのは確か。あの頃は入れ替え制じゃなかったし。何度見てもワクワクし、ドキドキした。あまり見たことのない足の使い方が新鮮で、ゾクゾクした。アホな映画なのは確かだけど、カンフー映画としてはなかなかのものだと私は思っている。もちろん一番最初に見た時は何じゃこりゃ~!!と呆れ返った。でも何度も見てるうちに考えが変わり始めた。

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この映画が全くのゴミではなく、アクション映画としてある程度の水準を持てたのは、監督のウー・シーユェン(呉思遠)と武術指導のユアン・ウー・ピン(袁和平)のおかげだろうな・・って思うようになった。それともちろん出演者達。40年たったけど、古さは全然感じない。見せ方もあれこれバラエティーに富んでいる。こういうのを見てるから、例えばハリウッド製のカンフーもどきアクションには不満がいっぱい。画面を揺らし、細切れにし、ごまかす。俳優はカッコつけてるだけ。ああいうふうに連続して見せることって今の映画である?できる?さて、ボビーはジャガーマン(勝手に命名)を倒し、奥の部屋へ行こうとするが、そこへの通路は・・。両側から何か目に見えない光線でも出ているのか。で、ボビーはロープとか使って渡ろうとするのだが、考えてみりゃジャガーマンは通路を歩いてここへ来てから壁のスイッチ入れてたわけで、ボビーは何でそのスイッチ切らないのかな。でも作り手はロープ使ってレンジャー部隊みたいに渡るボビーを見せたいのだ。その方がハラハラする。途中で引っかけたカギがはずれてピンチになるが、何とか渡りきる。床に落ちたロープが燃え上がるところが何だか好き。奥の部屋にはちゃかぽか明かりのついてる世界地図がある。少し高くなったところに棺。その前で番をするかのように立っている僧。ウォン・チェンリーもそうだが、このリー・ハイサン(李海生)もジャッキーの映画でおなじみの人だ。タン・ロンの動きもユン・ピョウの動きもいよいよさえまくり、見ているのが楽しい。そしていよいよ・・死んだと思われていたチン・クーが登場。彼は裏の世界では知られていて、警察の手も伸びてきたし、そろそろ潮時と死んだふり。しかし麻薬の密売はやめない。何もかも金のため。友人であるビリーを殺す気はなく、彼の死は想定外。チン・クーのことはこれで少しわかるが、ルイスのことは何も触れられない。ボビーは戦い続きで疲れているはずだが、若くてノーテンキな性格のせいか元気いっぱい。片腕の男と戦った時には、自分も片腕だけで・・そのうち両手なしで・・なんて言い出す。それくらい自信たっぷり。ビリーとは違う楽天的な性格・・そこもいいと思う。主人公は求道者的性格でなければ・・なんて思わない。腋毛があったっていいじゃないか、胸毛がちょろっとあったっていいじゃないか!

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さて、何事にも終わりがある。チン・クーは今度こそ死んで棺の中に。最初ボビーがこの部屋へ入った時には棺の方があって、それがくるりと半回転して椅子に座ったチン・クーが現われる。その後一回転してまた椅子の方が前に。様子をうかがうボビーの目の前に棒が突き出してくるのだが、その突き破る紙だか何かに貼り直したあとがあるのが、何とも笑える。リハーサルの時破っちゃったけど、ええいそのまま使っちゃえ・・ってか?ここから棒が出てくるってバレバレ。その後戦っている時は椅子の方が前にあるはずなのだが、いつの間にか棺の方が前になってる。ひとりでに回転したのかしら。まあいいやとにかくこれで悪は倒され、ボビーの戦いも終わる。しかし・・見ている者は思う。ボビーはどうやってあの通路を渡るのかしら・・って。奥の部屋の方にもスイッチあるはず・・と、見直してみると・・入口の両側に電話が・・。何で両側に?スイッチらしきものはなく・・あら~どうするのよボビー戻れないぞ~。エンドクレジットでは「アローン・イン・ザ・ナイト」と「フォールン・ヒーローズ」がまるまる流れ、今見たばかりのバトルシーンがこれでもかと流される・・はずが、WOWOWだとあの重苦しい音楽にブルース・リーの写真がペタペタという感じで出てきて・・はあ~本来はこういう感じのエンドクレジットなのね。さてと・・40年間の思いを綴っていたら長くなっちゃったな。40年間ずっとそう思っていたってことでもあるんだけど。つまり「死亡の塔」にも長所はあるってこと。ブルース・リーは偉大だけど、それとはまた別の魅力を持つ映画、スターは存在するってこと。正直に言うと私が「死亡遊戯」を何十回も見たのは、本物のブルース・リー出演シーンのせいではなく、中盤のロッカールームでのバトルに感心したためだったし。最初はもちろんブルース・リー目当てだったけど、途中から「あッ私こっちの方が好きかも‥」と思い始めたのだ。そのタン・ロンもまだ若いのにお星さまになっちゃった。残念でならない。でも「死亡遊戯」と「死亡の塔」という忘れられない作品を残してくれた。特に後者では後半顔を隠す必要もなくなり、見ているこっちまで気分がのびのびした。テコンドーの存在を知ったのも彼を通じてだ。出来はどうであれ、この映画をリアルタイムで見られたのは幸せだった。