レクターシリーズ

レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙

これは見るの三回目くらいかな。「レッド・ドラゴン」がよかったのでこっちも見る気になった。「レッド」も何度も見ている。何たってエドワード・ノートンがすばらしい。こっちの「沈」はウィリアム・ピーターセン主演。すっかりテレビスターになっちゃって・・私は見てないけど。見ようかな・・と思ってもCSIシリーズっていっぱいあるでしょ。何が何だかさっぱりわからない。「沈」でのピーターセンはヒゲ生やしてて、これがちょっと残念。さっぱりした顔見たかったのに。マシュー・マコノヒーにちょっと似ていて・・まあマコノヒーはもうちょっとそぎ落としたような顔立ちだけど。今のピーターセンは当然のことながら太ってきていて。でもこの頃は頬からアゴにかけてすっきりしていて・・。さて、「レッド」と「沈」の一番の違いはスケールの大きさ。「レッド」のイメージは重厚・潤沢。お金かかってるし吟味されてる。手際もいい。出演者の多くは主役を張れるような実力者。音楽は一貫していて、見る者の神経きりきり突き刺す。とがった感じ、強い主張。「沈」は別にチープな感じはしなくていちおう揃ってるけど、さらっとした感じ。レクターの独房など白一色だし、まわりから隔離されてる。レクター役はブライアン・コックスで、出番は二回ほど。意外なほど少ない。まわりは真っ白だし来ている服も白だから、医師か理容師みたい。髪はオールバック、目はうつろ、口を少し開け、異常さを強調。「レッド」の売りはアンソニー・ホプキンスのレクター再演で、そのせいで無理に出番増やしてる印象。でも元々はこの程度の軽い役回り。クロフォード役はデニス・ファリナ。名前を聞いても顔は思い浮かばないが、見れば「ああ、この人」と思い出す。ダラハイド役はトム・ヌーナン。この映画、ダラハイドに関してはかなり省略されている。祖母との関係、刺青、頭の中で響く声、美術館で絵を食べることなど。途中で彼が犯人として登場してもな~んもインパクトなし。ストッキング半分かぶってて、恐ろしいと言うより笑える。何なのこのオッサン。彼より、彼の後ろでくるくる回ってる飾りか何かの方が気になる。「レッド」のような年代物の家具に囲まれた暮らしではなく、インテリアはモダン。リーバ役はジョアン・アレン。盲目だが快活で、興味を持った男性には積極的。ヌーナンは身長が2メートル近くあるが、植物的な感じ。ダラハイドは体を鍛え、ムキムキのはずだが。

レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙2

それだけにリーバの持つ強い生命力がいっそう際立つ。二人の心の通い合いや、リーバに出会ったことで揺れ動くダラハイドの心理はよく出ていたと思う。しかし出会ってすぐ虎をさわりに行ったり、その晩結ばれたりというのは、いくら何でも早すぎないかい?この部分に限らず「沈」は省略が多い。原作も「レッド」も知らずにこれを見るとかなり混乱すると思う。他にもちょこちょこ知った顔の人が出てくる。チルトンはほんの少しの出番。この映画に限ってはまともな人物という印象。ラウンズ役はスティーヴン・ラング。赤毛ふさふさだけど、元々はこういう髪なのかな。ボウマン役は「レネゲイズ」のフィンチやった人。ブルーム博士役ポール・ペリは「ミディアム」の「尊厳と名誉」に出ていた。「連鎖犯罪」にも出ていたようだ。検視医プリンチ役の人は「遊星からの物体X」の最初の犠牲者(手がエビになった人ね)。他にこのシリーズのレギュラー、看守役フランキー・フェイソン・・と、このように見覚えのある人続々。でも大スターは一人もいないという・・。次に音楽だけど、これがまあアナタ全然まとまりがなくて。何でもいいからてきとーに流しておけ・・みたいな。喜多郎の「千年女王」が流れてきた時には耳を疑いましたぜ。他にもいろいろ・・たいていはその場の雰囲気に合ってなくて。原作読んでて悲しいのは、この事件きっかけにグレアムが家族失うこと。レクターは君と私は同じだ、殺人は快感のはずとか言ってグレアムの心をかき乱す。でもグレアムは犠牲者家族を気の毒に思うし、これ以上犠牲者を増やしたくないと事件を引き受ける。そういう他を思いやる気持ちはレクターにはない。レクターは人を苦しめることに喜びを見出す。だからグレアム、君はレクターとは違う。そんなに悩まないで・・と私は彼を応援していた。ラストは原作とは違い、海辺での家族三人幸せそうなところで終わるのでホッ。でもちょっと待って・・ここでレクターの執拗な悪魔のささやきが流れるはずなのよ。それを打ち消す太陽と海の輝き。その対比があるはずなの。いかにも80年代っぽい明るくポップな歌だけってのはありえないの!

羊たちの沈黙

「レッド・ドラゴン」のところでも書いたが、私は長らくレクター博士には興味なかった。「羊たち」を見たのは、たまたま民放でやったから。で、見ておもしろかったけど、それでも「レッド」の方が好きだし・・と言うか、エドワード・ノートンのグレアムが好きなんだけど。それと「ハンニバル・ライジング」も好きだ。ギャスパー・ウリエルの美しさときたら!!冒頭FBIの訓練に励むクラリス。呼び出され、クロフォードの部屋へ向かう時の、エレベーターのシーン。まわりは全員男で、小柄な彼女を見下ろす。走っていたので、クラリスのトレーナーは汗がにじんでいる。男どもは、自分達の汗臭さとは別の臭いを嗅ぎつけたことだろう。女であること、上との戦いは、この先ずっと彼女について回る。そのせいで「ハンニバル」ではおかしなことになってしまうが、今はまだ若く、正義を信じてる。ジョナサン・デミ監督は、クラリス役にミシェル・ファイファーを考えていたようだが、ジョディ・フォスターになったことは、いい結果を生んだと思う。学生っぽさ、少女っぽさ、生硬さ、透明感。繊細さの裏にある、田舎者特有のたくましさ、しぶとさ、頑固さ。レクターのことは、他の人が書いてるだろうからパス。クロフォード役はスコット・グレンだが、彼がレクターやってたらどうなっただろう。この上なく正常そうに見えて、何かある。クラリスへの好意の、ほんのかすかなほのめき。バッファロー・ビル役テッド・レヴィンは目がきれいで、女装が似合う。どことなくヴァンサン・ペレーズに似ている。こういう美形って、どうして若い頃からハゲちゃうのかしら。あとSWAT隊員役でクリス・アイザック。監督が本作の前にとった「愛されちゃって、マフィア」にも出ているらしい。マシュー・モディン目当てで一回見たことあるけど、出だしは快調で期待させられたものの、尻すぼみの残念な作品。その後でこんな力強い作品とるなんてねえ。他にダイアン・ベイカーが出ている。この内容なら2時間半くらいはかかりそうなものだが、119分にまとめてある。そのせいか、レクター、ラスペール、ビルの関係はわかりにくい。ミス・モフェットとか原作にはない名前出してくるし。脚本には苦労したことだろう。でもまあ全体的には、これ以上ないくらいすべてがうまくいった、稀有な作品と言える。

レッド・ドラゴン

今までで一番小さな映画館だったが、スクリーンはずいぶん大きく、迫力のある映像が楽しめた。ファーストシーンは優雅な演奏会。オーケストラのメンバーの一人が行方不明となる。食事の席でそのことが話題となるが、彼らの食べているものは・・。犯人はもちろんレクターで、彼はそのメンバーのへたな演奏ががまんできなかったらしい。実は上映中、レクターに始末してもらいたいお客が三人ほどいた。この頃では上映中にケータイを鳴らすお客はほとんどいないが、今日はいた。しかもクライマックスで・・。しかも切るどころか話し始めたぜ、ベイビー!もっとひどいのがおばちゃん二人組。途中から入ってきたのならもっと静かに席を捜せ!茶の間にいるみたいにべちゃくちゃしゃべるな、ボリュームおとせ(どうせもう壊れていて音量調節できないのだろうが)!伸び上がってモゾモゾコートを脱ぐな、頭くらい低くしろ(見えねーぞ、おい)!ラブシーンで身を乗り出すな(しかも二人して)!途中から見たから、次の回でその部分をすぎると片方はもう帰りたくて仕方がない。それで10分おきくらいに、もう帰ろうよ・・とばかりにモゾモゾ動く。エンドロールになったとたん、またべちゃくちゃしゃべり始め、席を立ったはいいがドアのところで立ち往生している。おいおい、そこは出入口のドアじゃないちゅーねん、方向音痴。いくらいじくったって開くわけないのじゃ。おそらくは隣りの映画館に通じる非常口か業務用の扉なのだ。だって上映中ドカンドカンって大きな音がもれていたもの。ありゃきっと「ロード・オブ・ザ・リング」だぜ、ベイビー。てなわけで気分は害されたが、映画そのものは非常によかった。これを見た時点では原作も読んでいなかったし、映画の方も見たことがない。あんまりレクター、レクターと騒ぐので、へそ曲がりの私は見てやるもんか・・なんて思っていたのよ。今回見る気になったのはエドワード・ノートンに興味があったから。彼の演技を一度見てみたかったのだ。今回の感想はだから映画の「レッド・ドラゴン」のみを見ての感想である。原作を読んだり、他の二つの映画を見れば、また感想も違ってくると思う。パンフレットには当然のことながら他の二作との比較とかいろいろおもしろいことが書いてある。その中にグレアム役のノートンと、ダラハイド役のレイフ・ファインズとが入れ替わった方がよかったのでは・・というのがある。

レッド・ドラゴン2

グレアムがファインズで、ダラハイドがノートン。確かに見ながら時々ファインズとノートンを頭の中で入れ替えていた。ストーリーがわかっている二回目は特に。ファインズのダラハイドの苦悩は重苦しくて、内にこもった感じだったけれど、ノートンのダラハイドだったらもっとはじけた感じで、狂気性もアップしたことだろう。ノートンのグレアムは外見も声も線が細く、いかにも神経質。それでいてしなる竹のような強靭さが奥の奥にある。ファインズだと外見も声も重厚で、人をやさしくつつみ込む包容力や心の暖かさが、例えダラハイドのような異常者を演じていても伝わってくる。まあアンソニー・ホプキンスとの釣り合いを考えれば、彼と直接顔を合わせるグレアムはノートンの方がいい。レクターはいくら頭がよく、力が強いといっても老人(ほんとはいくつなのか知らないが、ホプキンスを見た限りではね)である。がっちりとした体格のいいファインズと並べば体力的に優位には見えない。ノートンのグレアムならレクターはさほど不利に見えなくてすむ。この映画で一番印象的なのは、グレアムがレクターの正体に気づく冒頭の部分である。ある意味では腑に落ちないし、ある意味では興味深い。グレアムはある事件の解決のいとぐちをつかもうとレクターに助言を求め、二人でいろいろ推理したことになっているが、事件の犯人はレクターである。自分が犯人なのに助言をするとしたらどういうふうにするのか。普通だったらできるだけ自分と関係のない方向へ推理を持っていくだろう。それで他の人間を犯人に仕立て上げて事件が解決したことにするのか。しかしわざと間違った意見を言い、自分が見込んだ相手もやすやすとそれを鵜呑みにするのでは、自分に人を見る目がないことになる。それは彼の自尊心が許さない。では迷宮入りにするのか。それだと自分がわざわざ関わった意味がない。見ている側に二人がこれまで事件についていろいろ推理してきたということが全然既存の事実として伝わってこないのは、そういうふうにふるまっているレクターの姿が想像できないからだ。レクターは始めから間違っているとわかっている想定の元であれこれ助言をするようなタイプだろうか。そういう暇つぶしを好むタイプには私には見えないのだが。レクターとグレアムの、この映画に出てくる以前の関係が説得力のある描かれ方をしていないのはちょっと物足りないし、残念である。

レッド・ドラゴン3

まあ腑に落ちようが落ちまいが、現にレクターはグレアムに力を貸している。では彼の目的は何だろう。考えられるのは彼が知的なゲームをしかけているということである。今までのことはゲームに勝利するための単なるお膳立て、つけ足しにすぎず、ゲームの答、楽しみは別にある。一番望ましいのはグレアムが真実を見つけ、そのグレアムを殺してしまうことである。ゲームとしてはこれが一番楽しめる。夜遅くグレアムが訪ねてきて、自分の考えを話した時には、レクターは無上の喜びを感じていただろう。自分が誤った方向に導いたにもかかわらず、グレアムはそれに惑わされることなく真実をつかみかけている。自分に対してかすかに疑惑をいだき始めている。それでこそ自分が見込んだ相手だし、これまでの回り道も無駄ではなかったというもの。いよいよグレアムを料理する時が来たのだ。料理の手順を考えるのはさぞ楽しかったことだろう。グレアムが真実に気づいたとたんレクターは彼を刺し、耳元で甘い言葉をささやく。床に倒れているグレアムにのしかかって「おまえの心臓を食ってやる」と宣言する。この時私が思ったのは心臓というのはレクターにとっては特別な意味を持つのかな・・ということ。あのへたなフルート奏者の場合、いくら殺した後食べるのが習慣のレクターでも心臓を食べてやろうと思っただろうか。グレアムに対しては同じ食べるにしても何か強い思い入れがあるような・・。さてレクターの失敗は、できるだけこの幸福感を味わいたい・・と時間を長引かせたことにある。自分がすることを相手に知ってもらう必要があるから、つまりできるだけ恐怖感を感じてもらいたいから、即死させるような方法は取らない。いくら油断していたとはいえグレアムは捜査官。結果的には自分も撃たれてとらわれの身となる。レクターは自分を逮捕できた君は頭がいいとグレアムに言うが、私には負け惜しみに聞こえた。自分の望む快楽を一秒でも長く・・という単純な感情が彼に墓穴を掘らせたのだ。グレアムにとってはそれが幸運だった。ところでレクターに襲われる時のグレアムは非常に女性的に見える。普段立っている時でも体全体がSの字をしている。顔つきにも声にも動作にもしゃきっとしたところがなく、すべてがゆるやかなカーブを描いている。しかし固くてまっすぐなのよりもある程度カーブしていた方が強いものだってある。背骨とかね。

レッド・ドラゴン4

グレアムの妻モリーは顔立ちもきつく、グレアムに言われてダラハイドをためらわずに撃ち殺すなど強い性格の持ち主だが、その後その場に泣き崩れる。普通だったら撃たれて倒れているグレアム、もしかしたら死にかけているのかもしれない夫のそばにかけ寄るはずだがそうしない(私が代わりにかけ寄りたかったわよ、何をしとるんじゃいモリー)。まっすぐで強いということはゆるみがないために、限度を超えると耐えきれなくなってポキッと折れてしまうことでもある。一見弱々しいグレアムの方が、実はモリーよりもずっと強靭な性格で、レクターが引かれるのもそのせいだと思う。とらわれてからのレクターは自分では直接手を下すことができないから、ダラハイドを使ってグレアムを窮地に陥れる。私はあなたに似ています・・と自分から近づいてくるダラハイドより、彼との相似を嫌がって認めようとしないグレアムの方が相手としては楽しめる。相手は強い恐怖感や嫌悪感を自分に対していだいていなければならないのだ。グレアムが標的ならダラハイドの方は手段である。手段はどう使おうとこちらの自由で、しかも使い捨てにしていっこうにかまわない。レクターがダラハイドから手紙をもらい、その返事をFBIが解読したらグレアム一家を殺せという指示だった・・なんていうエピソードは、非常にワクワクドキドキさせるが、二度目に見た時にはこれってレクターが手紙を利用してわざとやっていることなのかも・・と思えた。指示は一見自分をつかまえたグレアムに対しての復讐のように見える。しかしレクターは復讐が成功しようがしまいが本当はどうでもいいのである。わざとダラハイドの手紙が見つかるようにし、グレアム達が暗号を解読して自分の意図を見抜き、犯行を未然に防ぐかどうか高みの見物を決めこんでいるのである。ダラハイドが成功しようが、失敗してつかまろうが(あるいは命を落とそうが)、レクターにはどうでもいいことだ。この神のような立場というのは、レクターにとっては大事なことだ。神は善も悪も超越した存在である。だからレクターは自分が異常かどうかを分析する必要はないし、誰も彼を分析することは許されない。そういう立場にいるから、大局的見地から瞬時に真実を見分けることもできる。まあ一時間事件のファイルを見ただけでビデオが事件解決の決めてとなることを示唆するところなどできすぎという気もするが。

レッド・ドラゴン5

レクターは要するに天才なのだ。演じるホプキンスについては、事前に読んだ紹介記事には、脇にまわっているのは残念だが彼が画面に出てくるだけで怖いとか、年齢的に前の二作より若いレクターを演じるのは無理だとか書いてある。でも私は前のは見ていないのでわりとフツーに(期待もせず、失望もせず)見ていた。ホプキンスは確かにうまいが、善悪を超越した(と言って悟りの境地を開いたのとは明らかに違う)レクターにはあまり魅力を感じなかった。グレアムは真実に行き当たるまで時間がかかる。でもあきらめずに粘り、他の者なら見落とすものや考えにこだわる。レクターは君と私は瓜二つだと言うが、グレアムはレクターのような天才には見えない。少なくとも今のところは。非常な努力家である種の能力の持ち主であることは確かだが。現在の二人を分けているのは良心の有無で、グレアムに良心がなくなった時、レクターの言う通り二人は瓜二つになるのだろう。天才でも何でもないクロフォードは実務派である。グレアムを呼び込み、レクターの力を借りさせ、人と人との橋渡し的役割を果たす。捜査の段取りをし、人員を配置する。演じているハーヴェイ・カイテルがいい。私が特に好きなのはグレアムが目の指紋のことで電話した時のクロフォードである。夜中なのにまだ起きて仕事をしている。メガネをかけているのが年寄りくさい。グレアムを引っ張り込んで後はおまかせ・・というのではなく、自分も努力しているところがいい。彼らを見ていると一人で何もかもやるコロンボのような捜査はまれで、事件の解決は何よりもチームワークによるのだ・・という気にさせられる。さてグレアムはダラハイドをおびき寄せるために新聞記者のラウンズにウソの記事を書かせる。他に方法がないとはいえこのことはあまり善良とは言えない。しかも失敗してラウンズは殺されてしまう。グレアムはレクターとは違うからいろいろ苦悩し、それが見ている者の心を引きつける。この映画の主題は二つあって、一つはグレアムとレクターの関係だが、もう一つはダラハイドと盲目の女性リーバとの心の交流である。彼女と出会ったことでダラハイドはそれまで確信を持って実行することができた殺人ができなくなってしまう。この二つの大きな流れがあるのでうまくバランスを取らないとどっちつかずになってしまうのだが、そこらへんはまあうまくいったと思う。

レッド・ドラゴン6

リーバを演じたエミリー・ワトソンのおかげで、この映画はダークな部分だけではない何かホッとさせるものも感じることができた。虎にさわり、聴診器で鼓動を聞くシーンは、彼女が興奮して熱くなっているようにこちらも感動で熱くなった。もっともリーバは純真無垢というわけではなくかなりなまぐさい女性でもある。二、三回会っただけであそこまで行くのは・・。しかも自分から積極的にアプローチして。あの大胆さはちょっと理解できん。この映画のハイライトはダラハイドがラウンズに背中の刺青を見せるシーンだと思う。彼が筋肉を動かすと彫られたドラゴンはまるで生きているかのように躍動する。そして筋肉を動かしたために汗をかき、息をきらしたダラハイドはラウンズの驚愕や恐怖に満足の笑みをもらす。ただこれを見てお客がラウンズと同じようにショックを受けるかというと・・。私には自己満足にひたっているダラハイドが何とも間抜けに見えてしまったのだが・・。CMなどでさんざん見せられてインパクトがなくなってしまったせいもあるけれど。ただこのシーンからは、他人から見るとばかばかしいことを大真面目でやっているダラハイドの一人よがりぶりは伝わってくる。私にとってのハイライトシーンは、前にも書いたがレクターがグレアムを刺す冒頭の部分だ。ここでのレクターはどう見たって力ずくで町娘をモノにしようとする悪奉行か越後屋にしか見えん。この時のグレアムの手弱女ぶりが何とも印象的。というかここがこの映画で一番色っぽいシーン。モリーが射撃練習をする時にそばについているグレアムの長い首も印象的だ。というかノートンってなで肩なのね。意志の強そうなモリーが男性的なのに対し、曲線を描くグレアムの体は女性的に見える。すべてを超越した強いレクターと、すべてのことに打ち負かされているようなグレアム。二人は陰と陽の関係で、それだからこそお互いに引きつけ合うのだろう。全体的に音楽がちょっとうるさすぎるような気もしたが、何度でも見たくなるような吸引力のある映画だと思う。ラストの海の上で安らぐグレアム一家の姿にホッとさせられた。ボウマン役の人は「ラッシュ・アワー」に出ていた人だ。東洋人の彼が登場すると画面にさわやかな風が吹く。まわりの白人が皆血液ドロドロに見える中で彼だけがすっきり血液サラサラに見えるのだ。はー実現は無理だけどノートンのダラハイド、見てみたいなー。

ハンニバル・ライジング

正直言って期待は禁物だと思っていたのよ見る前は。ハンニバルをフランスの新鋭ギャスパー・ウリエルが・・というのはいいとして、コン・リーがレディ・ムラサキを・・おいおい日本人かよ。そんな名前の人いるか?紫式部か紫の上か・・1000年くらい時代が違う。ニックネームだというのならわかる。好んで紫を身につけるとか・・。でも着ていなかったよな。彼女が出演するって知ったのは「マイアミ・バイス」の感想書いていた時。そのうち映画館で予告がかかり出した。日本の甲冑が出てくる。何だこりゃ?ますます不安がつのる。期待は禁物期待は禁物・・心の中で呪文みたいに唱える。向こうの映画で日本趣味出してまともだったためしがない。原作を読む者、映画を見る者の異国趣味をそそろうというのか。そりゃ向こうの人にとっては、コン・リーが何人だろうと関係ない。東洋人に変わりはない。見る前からとんでもない映画になりそうな気がして・・。普通なら見に行かない。テレビ放映かレンタル開始を待てばいい。でもギャスパー・ウリエルだ。この人のことはよく知らない。「ジェヴォーダンの獣」に出ていた?マーク・ダカスコスばっか見てたしなあ・・。でも若くてイケメンだし、来日した時の写真見るとかわいいし・・彼だけ見てりゃいいよな。どうせキワモノ映画だろうけど、目の保養にはなるだろう・・。見る前はホントこんな感じだったんですよ。元々アンソニー・ホプキンスのレクターには何の思い入れもない。「レッド・ドラゴン」はエドワード・ノートン目当てだったし、「羊たちの沈黙」はジョディ・フォスターとスコット・グレンには感心したけど、作品そのものは何でこれがアカデミー賞とるの?と不思議だったし。ところでこの映画製作費は5000万ドルくらいかかっている。ホプキンスみたいにギャラの高い大スターは出ていない。みんな安いはず(たぶん)。そのぶん映画そのものにつぎこんでいるから、スケールが大きくしっかりした作り。重厚華麗。でも・・アメリカではヒットしなかったんでしょ?ホプキンスが出ていないから?舞台がヨーロッパだから?ロマンスが花開かないから?ヒロインがコン・リーじゃなあ・・。私が行ったのは公開一週目の平日。お客は20人くらいか。日本だとギャスパー君目当ての若い女性がたくさん見にくるんじゃないの?私もその一人だけど。若くないけど。

ハンニバル・ライジング2

ロマンスは花開かないけど、どんな花よりも美しく華麗に妖しくギャスパー君が花開く!レクターの原点は・・とか、誕生の秘密は・・とか、そんなことはどうでもいいのよ。それを期待すると失望する。戦争・両親の死・妹ミーシャの悲惨な運命・・いろんなトラウマくっつけているけど・・次々に殺人事件起こすけど・・別に目新しいわけじゃない。冒頭シーン見りゃわかるけど、6歳のハンニバルはごく普通の男の子。両親に愛され、妹と仲良く遊び、家はお城。戦争がなければあのまま普通に育ったはず。家柄のいい才能のある青年・・。近親結婚による遺伝的疾患とかそういうのもなさそうだし、彼をあのような異常な人格にしたのは主に後天的な理由・・つまり戦争という環境である。戦後14歳の彼は孤児として収容されているが、まわりの子供達だって似たような体験しているはず。その中で彼だけ異常な人格になったのだとしたら、それはとてつもなく異常な体験(妹ミーシャが飢えた兵士達に食べられてしまう)をしたせいで・・。レクターは他の作品ではすでに異常な殺人犯として登場する。なぜ異常なのかということはあまり重要ではない。彼の精神を分析することはできないし、裁くこと(死刑にすること)もできない。彼は普通の人間とは違う世界に、違う基準で生きている。彼はモンスターなのだ。人間の基準も法律もあてはまらない。殺人を犯しても後悔したり動揺したりしない。おそらく狂喜もしないんだろう。ホプキンスのレクターはそういうものとして我々の頭にインプットされている。だからこの映画を見ると、何だレクターも他の人間と変わらないじゃん・・と失望する。余計なことはせず謎は謎のままにしておいて欲しかったのに・・。でもレクターは人気キャラだ。知名度もばつぐん。しかし小説の中ならともかく、映画にするのはだんだん難しくなってきている。ホプキンスは年だしギャラは高いし。かと言ってイメージが定着しているから他の俳優ではお客にそっぽ向かれる。じゃあ誰もがレクターの過去に興味を持っている今のうちに、若い俳優で誕生物を作っちゃえ・・と。で、作ったもののヒットしなかった・・と。でも私は気に入りましたよマジで。レクターはいかにして・・とか、謎が明らかに・・とかそういう宣伝文句はどうでもよろし。何か特別のことでも用意されているのでは・・などとうかうか乗せられてはいけない。

ハンニバル・ライジング3

この映画は要するに悲惨な過去を持つ美しい青年(少年?)が妹の仇を追いつめ、殺していくという話。レディ・ムラサキとイチャイチャするとかそんな寄り道はなし。脇目もふらず一直線。とてもわかりやすい内容。一人一人確実に殺していくけど、クライマックスでは衝撃の事実が明らかにされウソだ~と苦悩する。そんな彼を見て女性達は心を炒める・・こらこら、炒めて食べるのかよ・・痛めるわけです。ああ、かわいそうに・・私がムラサキの代わりに彼をなぐさめてあげたい保護してあげたいと母性本能を刺激され・・。一方男の客達は「今頃気づいたのかよバーカ」とかさめているんでしょうなあ。いいんですいいんですそんなのはほっとけほっとけ。ギャスパー君が美しすぎて同情できんのですわムリもないけど。ギャスパー君ヘアスタイルのせいもあるけど時々ちょっとキアヌに似ている。フランス人だけど英語しゃべる。この映画リトアニア、ソ連(当時)、フランスが主な舞台だけど、話されるのはほとんど英語。考えてみりゃおかしいんだけど、ヤボは言いっこなし。施設から逃げ出した時は14歳だけど、復讐が完了した時にはいくつになっているのかな。当時の状況からして、それでなくても混乱していた戦争末期のこと調べて、兵士達のその後知るのは容易じゃないはず。でも映画だからわりと簡単にわかるんだけどさ。と言うか、向こうから近づいてくる。後ろめたいから知らん顔しているってことができない。施設(実は戦争前自分が住んでいたお城というすごい設定)を抜け出し、叔父(伯爵)を頼るが、すでに死んでいて、力になってくれたのはその未亡人ムラサキ。その後のシーンは見ていてちょっと辛いですよ。甲冑、日本刀、生け花、茶釜(?)・・その上ムラサキ相手に剣道だよ、ギエーッ「トランスポーター2」!(←見た人はわかるよね)日本人にとってはこういうの見せられるのは苦痛。さすがに胴着の色は白じゃなかったけど。レクターならフェンシングだと思うが・・。その後肉屋を日本刀でぶった切る。こら~自分のものじゃないだろ、その刀は~かってに使うな~。あ、見ざる言わざる聞かざるの置き物もあったよな。武道・茶道・華道・・まあ何でもいいけど、こういうの出してくるのなら行きつくところは平和・調和・達観方面のはず。でも首切り・仇討ち・皆殺し方面へ行っちゃう。

ハンニバル・ライジング4

わざわざ日本色出してくるのならそこらへんもうちょっとさぁ・・。でないと本当に異国趣味で目新しく見せるためだけになっちゃうよ・・ってもう遅いか。何でハンニバルが肉屋を殺すかと言うと、ムラサキを侮辱したため。ご婦人を公衆の面前で侮辱するのは許せない。これって「羊」にもあったよね似たようなこと。今回は刀で殺すけど「羊」では言葉で。遠隔操作(?)。それだけ技術が向上し、効率もよくなり・・。ところで私もよく知らないけど、日本刀って普通は鞘だけ飾っておいてなかみは別のところへしまっておくんでしょ?なかみは竹光にしておくとか。そうしないと危険だし錆びるかもしれない。でもムラサキはそのまま出しとく。パリへ行った時なんか応接間に甲冑と一緒に飾る。すぐに抜けないようヒモでしばっておくことすらしない。盗まれたらどーすんの。弾を込め、安全装置をはずしたピストルそこらへんに出しっぱなしにするか?子供(ハンニバルは14歳だから子供っちゃー子供)の手の届くところに置いとくか?ムラサキは無思慮すぎる。銃で撃つのとは違って日本刀で肉屋を殺すのはかなり残酷。これが原作だと内臓とか出てもっとひどいことになるが、映画ではそこまでやらない。スケベで口が悪くてろくなやつじゃないことは確かだが、殺して首を切るほどひどい目に会わせる必要ある?とは言え、ハンニバルの言葉「バターを切るようでした」はよかった。ギャスパー君の言い方もね。肉屋は釣りをしていたんだけど、その獲物を「うまそうだ・・」とちゃっかりいただいて帰り、コックに料理してもらうのもいい。絵の才能、音楽を好むこと、おいしいものが好き、医学を熱心に学ぶ、ウソ発見器に反応しないことなど、後年のレクターを思わせる数々のエピソードが楽しい。肉屋殺しでポピール警視に目をつけられるが、このポピール役の人どこかで見た顔だ。誰だろ誰だろってずーっと考えていて、結局思い出せなかったけど、エンドクレジットでやっとわかった。ドミニク・ウェスト・・「フォーガットン」に出ていた人だ。ハンニバルは警察から自白剤盗み出し、自分に注射する。子供の頃のどうしても思い出せない記憶の空白部分・・兵士達の手がかり・・をはっきりさせるため。後年レクターが自白剤打たれても平気というのは、この頃から自分を薬に慣れさせておいたからなのか?まあそれはともかくハンニバルを疑っているのはポピールだけ。

ハンニバル・ライジング5

警察だからハンニバルの味方するわけないし、どうなるんだろ、もしかして殺されちゃうのかな(ハンニバルの方が殺されるってことはありえないからね)・・と期待したり心配したり。でも・・何事もなく終わっちゃいましたとさ。ホッとするより拍子抜け。この映画の欠点の一つはポピールの扱いのまずさ。何のために出ていたのか。はっきりしないのはムラサキも同様。日本刀をあんなことに使われて・・普通なら怒る。あたしゃ絶対ハンニバルの目につかないところに隠すかと思ったら・・隠さない。パリではポピール刀に気づいたぞ。でも・・そのまんま。何だよそれでも警視かよ。死体の切り口と照合しないのかよ。血液反応は・・においは・・。いちおう泳がせておくことにして二人尾行つけるけど・・おいおいそこの二人何やってんだよこら。入口に二人立って立ち話かよ。何で二人で組むんだよ。退屈しのぎにおしゃべりするためじゃないだろこら。表に一人、裏口に一人両方見張るってのがスジじゃないのかよ。案の定ハンニバルは裏口から出てムラサキのバイクで・・いやバイクが紫色ってことじゃないですよ・・トンズラ・・ちょろいもんだねえ。ムラサキはまだ若いし、夫失っているし、ハンニバルイケメンだし・・同情が愛情に変わってもおかしくない。いつ手を出すかあたしゃ心配で心配で。だって「マイアミ・バイス」みたいになっちゃ困るもーん。一時はお風呂まで用意して準備オッケー!自分から抱きついて・・ハンニバルピーンチ!でも・・大丈夫でしたああよかったホッとした。パンフにも書いてあるけどハンニバルにとってはムラサキは姉か母親のような存在。恋愛感情はなし。キス以上には進みませんでした。何たって妹の復讐・・それが人生最大の目的・望み。それ以外のものは・・。よそ見しているヒマなんかないのですッ!いいねえこの潔さ、それでこそハンニバルだ、あたしゃほれたね!まあムラサキだって何とかハンニバルを止めたいわけですよ。殺人なんかやめさせたい。そのためなら自分の腐った・・じゃない、熟れた肉体ちらつかせ、気をそらせ・・。そりゃ私未亡人だしぃさびしいしぃ・・ってとこもちょこっとはあると思うよ。はいでもしつこくくり返しますが本格的なラブシーンはなしです。血のつながりはないとは言えいちおう叔母甥の間柄だし、ややこしいことにならなくてよかったね!(えッ残念?)

ハンニバル・ライジング6

まあラブシーンほとんどなしなのを物足りなく思う人もいるだろうけど、ハンニバル6歳から話が始まっていて、これからもいろいろやらなきゃならないことがある。全員まとめて復讐ってわけにはいかない。寄り道しているヒマはない。ところでハンニバルは人を殺したり医学の勉強したりバイク乗ったり外国行ったり・・。演じているのがギャスパー君だからハンニバルの実際の年齢忘れているけど・・これが本当に14歳の少年が演じていたら・・また変な感じになったでしょうなあ・・と言うか嫌悪感覚えたかも。つまり他のこと(医学とか外国行きとか)はともかく、肉屋を殺した時の彼はまだ14歳なんです。例え演技とは言え子役がそんなことやるのこちとら見たくありません。だからギャスパー君に14歳の役やらせるのは不自然なんだけど、殺しの演技やらせるには大人の彼でよかったと・・まあ私はそんなふうに思うわけです。ちょっと文章混乱してますが。コン・リーはまあよかったと思う。貧相な顔しているけど今回はそれが合ってる。生活には困らない未亡人。でもパーティに出るとかそういう華やかな社交生活はなし。引きこもっている(たぶん)。まだ若くて美貌で独身とくれば恋のうわさの一つや二つありそうなものだがそれもなし。宝石じゃらじゃらもなし。何が楽しみで生きているのかはっきりしない(亡夫を慕っているようにも見えん)。さて復讐相手の兵士達も曲者揃い。中でもリーダー格グルータス役リス・エヴァンズ。「ノッティングヒルの恋人」でのオバカキャラが印象強烈だが、「リトル★ニッキー」では悪魔役。しかもなかなかの美形ぶりを見せる。あれから何年かたって、まあちょっと老けたかな。今回はとにかく憎たらしい役。戦争中はひどいことしたけど、生きのびるために仕方なく・・。今は真面目に・・と普通はなるけど、彼の今の仕事は女性を売り飛ばすこと。生まれついての悪党なのだ。どうせ戦うのならこういうやつの方がいい。いくら頭がよく冷静でもハンニバルはまだ未熟、経験不足。導いてくれる師もいない(必要ともしていないが)。若い彼に大人の相手が簡単にやられてしまうのではおもしろくない。他の者はよくてもリーダーまでそれでは困る。他の連中のうちドートリッヒ役はリチャード・ブレイク。「DOOM」や「ブラック・ダリア」でおなじみ。ミルコ役スティーブン・ウォルターズもよく見かける。

ハンニバル・ライジング7

コルナス役ケヴィン・マクキッドはちょっとダニエル・クレイグ風。コルナスは今では結婚し、子供もいる。グルータス達とは違い、少しはまとも。最初ハンニバルに娘を殺されたと思わされる。肉塊を見せられ愕然とする。次に誘拐されたと思わされる。最後にちゃんと無事に家で寝ているとわかる。グルータス達の情報を手に入れたから娘に免じて命だけは助けてやる・・とハンニバルは言う。そのまま大人しくしていれば助かったかもしれない。でも目の前に銃がある。つい・・で、命を落とす。でもハンニバル本当に見逃してあげるつもりだったの?気が変わって銃に手を出すって見越していたんでしょ?そうするよう仕向けたんでしょ?楽しんでいたんでしょ?さすがのハンニバルも全く罪のない少女は殺さないのね。そこまで人間の心はなくしていないのね。「妹と共に心が死んだ」彼ではあるけれど・・。そんなハンニバルもグルータスにはてこずる。グルータスの言ったことに初めて激しく動揺する。その苦悩の凄まじさがいい。でもその動揺も乗り越える。最後までふてぶてしく憎たらしいグルータスがいい。この頃になるとムラサキの存在はどうでもよくなる。いちおう誘拐され、助けるためにハンニバルはグルータスの船に向かう。命落とすかと思ったら助かるので印象ますますうすくなる。同じくムラサキ以上に存在がどうでもよくなったポピールがかけつけるが、何ができるわけでもなく・・。ねえそこのどうでもいいお二人さん、よかったら結婚でもして幸せになったら?ハンニバルのことは忘れてさ。彼は最後の一人グレンツを始末するため、さっさとカナダへ向かう。はい終わり~長かったなあ、え?2時間1分?その1分て何だよ中途はんぱ~。こんなはんぱレクターは許さないよ。何たって音をちびっと乱しただけで楽団員殺して食べちゃうんだから。監督、編集者、身のまわりに気をつけろ!レクターのカゲに気づけ!カナダのシーン別に入れなくたって・・入れなきゃ切りよく2時間ぴったりんこ。は~でも見てよかった。テレビで「ハンニバル」やったけど見なかった。どうせバッサバッサカットされているんだろうし。ノーカット見ようと思ってもいつもレンタル中だし(人気あるなあ・・)。何たってギャスパー君がよかったよなあウフ。そりゃシワだらけのホプキンス見るより、つるつるぴかぴかお肌のギャスパー君の方が精神衛生上いいに決まってる。

ハンニバル・ライジング8

もう美しさ10点満点ギャスパーテン!って胃薬みたいだな。ホプキンスとは全然似ていない。目も身長も。ギャスパー君の方が背が高い。例えば・・ジョヴァンニ・リビシだったら・・若い頃のレクターとして違和感ない。小柄だし目の感じも似てる。でも・・ギャスパー君でいいんです。しゃべり方はある程度似せている。ゆっくりしていてねっとりしていて。それと上目づかいに見上げるところ。髪は真ん中で分けるかオールバック。きれいになでつけてある。ヒゲもないし・・って14歳なら当然か。ニキビもありませんよ。片頬にえくぼみたいなのがあって目立つ。え?えくぼじゃなくて傷ですか?大きな鼻、ちょっと端の上がった唇、きれいに澄んだ瞳・・ウーム、何と言う美しさだ。おフランスの美しさざんすシェー!しなやかなそれでいてちょっとぎこちない感じの体つき。でもそれは見かけだけなんだわん。そのうちもっと狂人・・じゃない、強靭になるはず。後年のレクターがそうだもん。冷酷で異常で残忍だけど時折見せるユーモア。死体の手を切断し、ミルコをだますシーンとか。後で戻して死体に「すまない・・」とあやまる。ギャスパー君をハンニバルにして大正解。もちろん他にも候補いっぱいいたんでしょ?ヘイデン・クリステンセンとか・・。ウヒョホこちらも美形だな。彼ならアメリカでもヒットしたかも。でもいくら何でも背が高すぎるよな。レディ・ムラサキはナタリー・ポートマンにしてさ。なあにうまくメイクすりゃ日本人に見えますって(ムリかな?)。原作は今読んでいるところ。映画でははっきり描かれていないこともいろいろ書いてあるので、これはこれでまたおもしろい。でもこの感想は、そういうのにはあまりとらわれずに書いてますよ。映画を一回見て私はこういうふうに感じた・・ってこと。いちおう本格的に復讐を始めた時は18歳くらいらしい。ぜひぜひギャスパー君で続編作って欲しいけど、ヒットしなかったからムリかな~。はッ気がつけばこんなに長々と書いてしまったわ。いやこれでもだいぶはしょっているんですけどさ。とにかくがっちりとした作り、魅力的な出演者、一歩間違えればキワモノ映画になっていたけど、何とか踏みとどまっている。今までのこと(アカデミー賞、名優ホプキンスなど)にこだわらなければ十分楽しめる娯楽大作。あたしゃ気に入りましたぜこの作品。できたらもう一度見に行くつもりでやんす。