アイ,ロボット
子供の頃「少年」を購読していたってことは前に書いたけど、ある時「幽霊ロボット」という小説が付録についた。マンガではアトムだの鉄人だのが活躍していたけど、この小説は妙に心に残った。と言ってもストーリーはもうすっかり忘れちゃったんだけど、人間より長持ちするものの悲しさみたいな・・。「A.I.」でも人類が滅亡しちゃった後まで残ってたし。この「アイ,ロボット」だって、ある日突然人類が滅亡したとしてもロボットはそのまま生き続けるんだろうな。ロボットがロボットを作っているんだし。不用になったロボットが一ヶ所に集められて、まだ十分に働けるのに何もすることがない。ロボットだから人間と違って不満持つわけでもなく、ただそこにいる。でも人間(この場合はスプーナー)が新型ロボットに襲われているのに気づくと、助けようとして次々に飛び出してくる。・・私はここらへんのシーンが妙に心に残ったな。人間はかってに作ってかってに捨てるけど、ロボットはかってにはいそうですかさようならとは消えてくれないのよ。バラバラにするとかぺしゃんこにするとかしないといつまでもそのままなのよ。第一それを宣伝するわけでしょ。すぐ壊れますなんて言うはずないし、そういうふうに作るはずもない。・・とここまで書いてみたけど、ここでちょっと最初に戻って私がこの映画を見る気になった理由だけど・・ウィル・スミスでないことは確か。私この人あんまり好きじゃないのよ。「ワイルド・ワイルド・ウェスト」しか見たことないんだけど・・と言うかこれを見た後では他の出演作見る気にならん。で、どうしようかと思ったけど結局見に行った。平日昼間の館内はガラガラ。観客動員数1位だからもっとこんでると思ったのに拍子抜け。さて理由だけど二つあって一つは監督がアレックス・プロヤスだから。「クロウ/飛翔伝説」で知られているけど、私は何と言っても「ダークシティ」!そりゃ「クロウ」もいいんだけど、見るのが辛いのよ。「ダークシティ」については前にも書いたけど本当に細部までこだわってしっかり作ってあるのよ。ストーリーにはちょっと弱いところはあるけどさ・・まあ「アイ,ロボット」もそうなんだけど。美術のパトリック・タトポロスとか「ダークシティ」の時のスタッフがいるせいか、共通点のようなものをいくつか感じた。
アイ,ロボット2
サニーはアラン・テュディックが元になっているわけだけど、私にはどう見たって「ダークシティ」でリチャード・オブライエンが演じたミスター・ハンドにしか見えないな。VIKIも記憶の保管庫や12時になると二つに割れる顔を思い出させるし・・。この映画が原作の知名度とウィル・スミスの人気に乗っかっただけのただの特撮満載の映画である可能性もあったけど、監督がプロヤスならきっと何か得るものがあるだろう・・そう期待して見に行って、それはまあ裏切られずにすんだ。「あーおもしろかった」ですまそうと思えばそうできる。スミス君に深い内容を期待したってムリ。細長い手足、小さな頭部、音楽をかけて、新品のシューズをはいて、ぴかぴかの車に乗って・・何から何までスマートで軽いノリじゃない。やってることがみんなCMに見える。シューズ、車、バイク、ステレオ、シャワーを浴びるシーンの後はアンダーウェアの宣伝が入りそう。筋力トレーニングのシーンの後にはアスレチッククラブの宣伝。危ない目に会った後は保険の宣伝。とても(足で稼ぐ)刑事には見えず、やることが人間離れしすぎ。普通だったら死んでるよ・・というシーンが何度あったことか。ウン、でもまあウィル・スミスは確かにカッコよかったよ。少し見直したよ。メインは彼が演じるスプーナー刑事とブリジット・モイナハン演じるカルヴィン博士。モイナハンもすらりとして姿勢がよく、スミスに劣らずかっこよかった。原作はアシモフの「われはロボット」で、遠い昔に読んだ記憶があるが、映画も公開されたことだし・・と文庫を買って読み返しているところだ。カルヴィン、ラニング、ロバートソンは出てくるが、ストーリーは全然別。重要なカギを握るのがサニーで、彼のことをどう感じるかによって、この映画のとらえ方はかなり変わってくると思う。私自身はかなり気に入ったし、彼の存在がこの映画を成功させた一因だと思っている。もっとも予告を見た時点ではあんまりいいとは思わなかった。新聞に「HALを超えた」なんて書いてあったので、HALを超えるのはムリだんべ・・とは思ったけど、ホントかどうかこの目で確かめてみるべ・・と見に行ったわけよ。だからプロヤスが監督だってこととサニーはHALを超えたかってことと、二つあったわけよ見に行った理由。
アイ,ロボット3
今から30年たって、あんな時代が来るとはとても思えないし、来て欲しいとも思わないな。見ていて感じるのは、科学が進んで精巧なロボットが出現したけど、それを使う側の人間はちっとも進歩してない・・ということなの。プログラムさえ完全なら精巧なロボットを次々に作り出すことができる。でも人間の場合はそうはいかない。いつの時代だって落ちこぼれはいる。ロボット達が反乱を起こした時、人間達も徒党を組んで暴動を起こしそうになる。あれだけの人数がサッと集まったってことは、それだけ仕事もなく普段からロボットを恨んでいた人間がいたってことで・・。USR社は軍の装備まで一手に引き受けているような大企業で、経営者のロバートソンは世界一の大富豪。大儲けしているUSR社からの税金(献金?)でシカゴもアメリカ全体もうるおっているけど、雇用問題とかそういうのには目をつぶっているわけ。社会が豊かで失業者手当てもちゃんと出してるんだからそれでいいだろうって・・。でも中にはちゃんと働きたいのにロボットのせいで職がないって人もいるわけで。一見豊かで安定した社会に見えるけど裏では不満がくすぶっている。今回はロボットの反乱というきっかけがあって不満を持っている人達が集まったけど、反乱がなくてもいずれは暴動が起きたかも。この映画は最新技術を駆使して近未来の生活を見せてくれるんだけど、感心するよりも別のことを考えさせられてしまうのよね。今現在だって、いろんな国が集まって環境のためにこうしようとまとまってもアメリカだけは反対するとか・・。他の国はがまんすべきだがアメリカはがまんするのはごめんだみたいな。あるいは政治家とかがこの税金を安くすると宣伝するところとか。こっちの税金安くしたって、帳尻合わせるためにどっかにしわ寄せが行くんだけど、安くしたからもう安心、人生ばら色、がまんする必要ありません・・みたいな。とにかく今さえ、自分達さえ快適ならば他はどうでもかまわないみたいな考え方。もうどうにもならなくなって、例えばこの映画みたいにロボットの反乱が起きて世界が危機に陥っても、市長も大統領も出てこなくて、警察も軍隊も役に立たなくて、でも大丈夫一人のヒーローがいるだけで問題は全部解決する。ヒーローったって、ブルース・グリーンウッドみたいな地味なキャラでは絶対ない。
アイ,ロボット4
彼っていつもあっさり殺されちゃうよな。一見重要なキャラに見えるのに・・。ヒーローはやっぱウィル・スミスみたいにかっこよくてノリノリで、プレッシャー?何それ・・というようなタイプ。この映画ではいちおうトラウマ背負ってるけど、誰も本気にしないでしょ。あんな設定くっつけるより、ただわけもなくロボットが嫌いで、「この缶カラめ!」と毒づいている方がよっぽど説得力あるわけ。だって「わけもなく」ってこれほど人間らしいことってないでしょ。とにかくアメリカの、いや世界の危機もヒーローによって一件落着という楽天的でおめでたい映画なの。これを見て観客はああ自分はこれからも今まで通りの(ものを浪費し、環境を破壊し、自分の健康を損なう)暮らしを続けていってかまわないのだ!と安心するわけよ。でもまあこういう傾向はアメリカに限らずどの国にもどの人間にもあるな・・反省。ただラストははっきりばら色ではなくて(この映画の作り手はさすがにそこまではおめでたくはない)、あいまいで・・そこらへんは「ダークシティ」と共通している。マードックがそうであったようにサニーも大変な力を持って、これから世界を変えていくわけだが障害も多い。反乱がおさまったからって人間はこれからもロボットを使い続けていくのか。やっぱり機械はダメだ・・と撲滅運動が起きるんじゃないの?そしてまたしばらくたつとやっぱ便利なものが欲しいなあ・・ってなってそのくり返し。人間はかってな生き物だし、楽な方へと流れる傾向があるし。ロボットにしてみればたまったもんじゃないよな。意志や感情がないうちはそれでもよかったけど、サニーのようなロボットが出てきたとなると・・。彼はこれからロボット達の立場をどう守っていくのだろう。わがままな人間との折り合いをつけるのは至難のワザだ。HALほどでないにしてもサニーはなかなかよかった。スプーナーに缶カラ扱いされている旧型のロボットもいい。・・と言うか人間の方が情けなさすぎる。サニーは作り主であるラニング博士のことを父と呼んでいる。サニーはSONNYで、辞書には「坊や」「君」と書いてある。おそらく博士はサニーを息子と見なしているのだ。自分を絶対裏切らないように、つまり絶対自分の言うことを聞くように作っておいて、その上でムリな命令を下すのだ。ある意味息子にしか頼めないようなことをね。
アイ,ロボット5
サニーは尋問されて「私は殺していない」と主張したけど、もしスプーナーが「殺してくれと頼まれたのか?」と聞いたらどう答えたのかな。矛盾する命令を与えられて狂ったり(HAL)、ショートして動かなくなったり(「禁断の惑星」のロビー)するロボットは今までにもいたけれど(HALはロボットではないが)、サニーはちょっと違うな。あいまいな態度ときっぱりした態度と両方取る。彼はそんなふうに複雑なんだけど、人間みたいにドロドロしたところはない。クライマックスでVIKIにナノボットを注入するかカルヴィンを助けるかを一瞬で判断するところとか、狂ったロボットにヘッドロックかますところとか、全く無駄がない。その無駄のなさには私は一種の清浄感さえ感じた。明らかにサムライの雰囲気をイメージしている。車の暴走とかそういうドハデなシーンよりよっぽど心に響くものがあった。ある番組で「ロボットなのにヘッドロック」と笑っていたけれど、私が思ったのはちょっと別のこと。最近聞いた話だがある先生がロボットに太極拳を教えたそうだ。サニーならぬソニーのロボットに・・(こっちの方がよっぽど笑える)。きっと先生の動きを模倣するのだろうな。サニーの場合は模倣ではなくプログラムだろうな。相手のロボットも戦っていたということはNS-5には皆そのプログラムがなされているってことだ。だとしたらこの時代の警察の仕事は今とはずいぶん違ったものになっていることだろう。家にロボットがいれば夜でも留守でも泥棒の心配はなく、連れて歩けば引ったくりの心配がない。でもロボットも困るだろうな。泥棒から人間を守らなきゃいけないし、かと言って人間の泥棒を攻撃できないし・・どうすりゃいいの?それもこれもロボット三原則が矛盾しているからだぜい。でもまあ前にも書いたけどどんなに文明が進んでも人間そのものは今とそう変わってなくて・・要するに世界はあんまりばら色ではないと思うな。さて・・この映画、一見目を見張る最新技術で楽しませてくれているけど、人間の情けなさをかなり感じさせてくれてもいて、見終わった後何も残らないという映画でないことは確か。純な旧型ロボットやマイペースなニャンコ(サニーはネコにはどう反応するのだろう)といった心引かれるキャラもいたしね。ところで続編は?もちろん「YOU,ロボット」!スプーナー君一部ロボットだったし・・。