ベン・ハー(1959)
これはたぶん見るの二回目。劇場で見たらさぞ迫力があったことだろう。これは三度目の映画化なのだそうで、驚いたことに2016年にも制作されたらしい。無謀なことを。リメイクして欲しくない作品てあるけど、これなんかそう。原作が文庫本で出ていたのは知ってるけど、書店で見かけたことはないし、古本屋でも見ない。原作はもっとイエスの部分が多いらしいが、映画ではほんのわずか。いちおうイエスの誕生で始まり、死で終わる。ちょうど同じ時代を生きた、ユダ・ベン・ハーの数奇な半生。A.D.26年のエルサレム。ユダ(チャールトン・ヘストン)は母ミリアム(マーサ・スコット)、妹ティルザ(キャシー・オドネル)の三人暮らし。名門で裕福で順調な日々。気にかかるのはローマの支配。そのローマから幼なじみのメッサーラ(スティーブン・ボイド)が帰ってきた。ローマ人の彼は、今やグラトゥス総督の下で司令官という地位にある。ローマの強さや繁栄ぶりを実際に体験してきた彼は、すっかり考えが変わっていて、ユダヤ人のユダとは話がかみ合わない。彼はエルサレム支配がうまくいくようユダに協力して欲しいのだが、ユダは同胞を裏切ることはできないと断る。その頃使用人サイモニデス(サム・ジャフェ)の娘エステル(ハイヤ・ハラリート)が結婚のため奴隷の身から自由にしてもらうが、ユダは明らかに彼女に心を動かされている。ある日総督の行列を屋上から見ていたら、ティルザの触れた屋根の瓦が落下し、総督に当たってしまった。調べたメッサーラは、ユダの申し立ての通りと知りつつも、彼をガレー船送りにする。ユダは戻って復讐すると誓う。他の囚人と共に砂漠を歩くユダ。やっと村に着いても、彼だけ水をもらえない。ところが一人の男性が彼に水を飲ませてくれた。それがイエスとの出会い。彼は成長した今は野を歩き回る。ヨセフが言う「父の仕事をする」の父が、ヨセフのことではないのがミソ。前半の見せ場は海戦。半裸の男達が汗みずくになって櫓を漕ぐ。戦が始まると、彼らは足に鎖をつけられる。船が沈んでも逃げ出すこともできないなんて、ひどい話だ。アリウス執政官がジャック・ホーキンス。ジャック・レモンによく似ている。いつの間にか三年ほど経過しているらしい。海戦シーンはチャチと書いてる人もいるが、私はそうは思わなかったな。船ってお金かかるらしいし。
ベン・ハー(1959)2
海に落ちたアリウスを助け、何日か漂流し、やっと救出された二人。聞けば戦は大勝利とのこと。ローマへ連れていかれ、亡くなった息子の代わりにアリウスの養子となったユダ。しかし彼の心は晴れない。母と妹はどうなったのだろう。宴の時、ユダの隣りにいる女性は美人だ。彼女と何かあるかなと思ったが、何もなし。ユダはピラトゥスを紹介される。彼はアリウスの友人で、今度新しい総督としてユダヤへ行くことになっている。今のローマの皇帝はティベリウス。その次がカリギュラだな。故郷へ戻る途中休んでいると、バルタザールという老人に声をかけられる。彼はイエス誕生の時の東方の三博士の一人らしい。彼はユダを成長した救世主と一瞬思ったようだ。近くで馬の調教をやっていて、アラブの富豪イルデリムは、ユダが馬に詳しいのを知ると、戦車レースに出てくれと言ってくる。先を急ぐのでと断るが、四頭の馬を見て気を変える。戦車レースではメッサーラが勝ち続けているらしい。イルデリム役はヒュー・グリフィス。この映画ではヘストンがアカデミー主演男優賞をとったが、ネットで見ると彼のこと大根と書いてる人もいて笑ってしまう。しかしグリフィスの方は、助演男優賞も当然という感じだ。何とも言えないイイ感じをかもし出している。夜寝る前にかわいい子を見せるとしつこいので、愛妾達でも出てくるのかと思いきや、四頭の馬。みんな同じに見えるけど、ある馬は落ち着いているし、ある馬はいたずらっぽいという感じでとにかくかわいい。そして賢い。メッサーラはユダが生きていると知り驚く。母親と妹の行方を調べさせると、生きてはいたが死病に取りつかれていた。放り出された二人は死の谷へ向かう途中自宅へ寄ってみる。出会ったエステルには固く口止めする。ここらへんの、会うに会えない、言うに言えないの悲劇のあれこれはたぶん日本人好み。そしていよいよ戦車レースだ。いったいどうやって撮影したのだろうと思うようなシーンの連続だ。スタントマンや馬達は大丈夫だったのだろうか。スタート直後から馬に鞭を入れまくるメッサーラと、手綱だけでコントロールするユダ。競技場にそびえるばかでかい像は何なのだろう。そのわからないところが印象的でもあるのだが。馬は何周もしなければならず、たぶん今の競馬より距離が長い。それにちょっと走るともうカーブだ。
ベン・ハー(1959)3
メッサーラの戦車には特殊な仕かけがついていて、反則もいいところだが、もちろん勝者はユダ。重傷を負ったメッサーラは死んでしまうから、イルデリムは賭けに買ったのに金は払ってもらえなかったのでは?いや、他のやつらからはふんだくってやったのかな。瀕死のメッサーラは手術を拒み、ユダが現われるのを待つ。どうしても彼に言わなければならないことがある。普通は今までのことをあやまったりするものだが、メッサーラは違う。死んだとされている母親や妹は実は生きていて、しかも死病に侵されている、捜せるものなら捜してみろ。自分が死んだ後までユダを苦しめてやれと言うわけだ。ところで私は、メッサーラには登場した時から引っかかるものを感じていた。最初の方の再会を喜ぶシーン・・あら?ちょっと。ティルザは子供の頃からずっとメッサーラに恋している。例の瓦事件だってメッサーラをもっとよく見ようとして起きた。でも彼は情け容赦なく彼女や母親を牢屋送りにした。あと、ユダの命乞いに来たサイモニデスとエステル。すごい美女が来たってのに目もくれない。不運なサイモニデスはこの後とらえられ、拷問を受けて歩けなくなってしまう。たぶんエステルは父親を助けようとメッサーラに嘆願したはず。彼女を思いのままにできたはず。でも何もしない。そして死の間際のユダに対する仕打ち。それらを見ると私には愛情が恨みに転じたとしか思えない。死罪にせずガレー船送りにしてひと漕ぎごとに自分を思い出させてやるとか。自分が死んだ後も母や妹を思う度に自分を思い出させてやるとか。この後唐突にイエスの処刑エピソードになる。ユダは初めてイエスがあの時水をくれた人だと知る。また、奇跡が起こって母娘の病は治る。ユダの復讐心も消え・・何となくという感じで映画は終わる。正直に言うと、ユダとエステルの会話シーンなど、早送りボタンを押したくなるのをがまんしていた。でも何とか最後まで見たぞ。監督はウィリアム・ワイラーで、そのせいか全体的に品がいい。それとイエスの顔をうつさず、声も聞かせないのがよかった。2016年版では顔がうつるようだが、もしその俳優さんが他の映画で悪役とかやったら、(キリスト教徒じゃなくたって)イヤな気がするだろうなあ。あ、ジュリアーノ・ジェンマがちょこっと出てました。若い若い。