永遠のマリア・カラス

永遠のマリア・カラス

私は涙もろいのでこういう映画は見に行かないのだが、ファニー・アルダンは好きなので・・。気負い込んで出かけて行ったら何?この出だしは・・。ジェレミー・アイアンズ扮するプロモーターのラリーは、空港で美青年マイケルに一目ぼれして・・なんじゃこれ。1977年じゃまだエイズ騒ぎも起こっていないしなあ・・なんて思ってみたり。のっけからはずされたという感じ。往年の美声を失ったカラスは世捨て人同様だが、ラリーの説得で「カルメン」なら・・とカムバックを承知する。今の演技力に20年前の美声を技術の力でかぶせれば映画ができる。しかし誇り高いカラスが口パクなんて承知しますかね。夜中に「マダム・バタフライ」をかけ、自分の声を聞きながら泣き崩れるシーンでは、見ているこちらも涙、涙。だが涙の半分は字幕の歌詞のせいだ。この曲は恋しい人に会えない悲しさを歌っているのだと思っていたら違うのね。待ちこがれていた人にもうすぐ会える。すぐに出ていかないでちょっと隠れていようかしら・・という喜びの歌だったのね。何ともいじらしい「おんなごころ」じゃありませんか。そんな泣かせる歌詞にあの神のようなものすごい声ですからね・・鳥肌が立ってしまう。映画の内容は最初からフィクションとわかっているからあんまり・・。同じフィクションでも「ゴッド」の方は心にずんと来るものがあったけど。カラスの場合は彼女自身よりも、ラリーに代表されるカラスに振り回された人々の方に関心が行ってしまう。せっかく苦労して作り上げた「カルメン」を「あれは偽りよ。破棄して」なんて言われたら。まわりを説得し、自分の財産を半分つぎ込んでやっと作り上げた作品を・・普通の人なら怒り狂うでしょ。あんなふうに自分を押さえて「わかった」なんて言えるわけがない。まあラリーはそういう女性の気まぐれにはほとほと嫌気がさして、それでゲイになったのだと私は密かに推察しております。アルダンはオスカーをあげたいくらいの大熱演で、特にカラスの歌声に合わせて歌うところなど、本当に大変だったろうな・・と思う。アイアンズも悪くないけど顔のクローズアップだけはやめて欲しいな。だって目と目の間が広いなーなんて余計なことを考えちゃうんだもの。いい映画だなあ・・とは思うが、自分が思っていたのとはちょっと違っていたなあ・・とはずされた気分が抜けないまま帰った。