インソムニア
インソムニアって不眠症のことなのね。私はすぐYMOの曲が思い浮かぶけど。私は見てないけど監督は「メメント」のクリストファー・ノーランだし、アカデミー賞受賞の名優が三人も出ている。だからものすごい傑作になったかというとそうでもなかった。内容はわかりやすいし、登場人物の心理も理解できる。っていうか、刑事がウソをついたり、証拠を捏造したりしたら結末がハッピーエンドでないことくらい予想はつきますがな。その後ノベライゼーション(以下本)を読んで、自分が勘違いしていたところがあるのに気がついた。主人公ウィルがランディの部屋でしたことである。私はてっきりランディの部屋に銃を隠して、家宅捜索で見つかるよう仕向けるつもりだったのだと思っていた。しかし本によるとウォルターが銃をランディの部屋に隠し、ウィルがそれを捜し回ることになっている。結局ウィルは見つけることができず、後から来た警官がオイル缶の中から銃を見つけ、ランディは犯人にされてしまう。あの時点ではウィルはランディを犯人に仕立て上げるために動き回っていたのではなく、犯人にされないように奔走していたってことなのね。ウォルターはウィルが彼の部屋に隠した銃をやすやすと見つけ出したってわけだ。さてウィルが相棒のハップを撃った銃弾をすり替えるために細工をするシーンで動物の死体が出てくるんだけど、熊かな・・と思っていたら本では犬だった。この映画は冒頭からアラスカの大自然がうつし出される。息をのむほど美しく圧倒されるし、その上を水上セスナがゆったりと飛んでいるところなど大スクリーンで見る醍醐味である。まあ私が見たのは小さな映画館で、お客も15人くらいしかいなかったのだけれどそれでもね。道路のすぐそばを滝が流れ落ちているといういいシーンもある。このように自然の美しさが非常に印象的な映画なのだが、見ていて感じるのは「人の住んでいるところは汚いな」なのである。つまり人間が住んでいることによって自然が汚されている気がするのだ。犬の死体がゴミと共に捨てられているのは道路からほんのちょっと横に入った路地。ケイの死体が発見された広いゴミ捨て場は、数年のうちにはゴミであふれかえるだろう。ウィルがウォルターを追いかけるシーンでは民家のすぐ後ろにソファなどが捨ててあるし。表通りは観光客でにぎわっているけれど、この映画で目につくのはこういった裏の顔。
インソムニア2
まあゴミと隣り合わせというのはどこもそうなんだけど。本には製紙工場があって、公害の雲が山にたれこめて・・なんて書いてある。やっぱりね。人の住んでいるところだけでなく、自然も汚され始めているのだ、じわじわと。さて主演のアル・パチーノは渋くてなかなかよかったが、ところどころ型通りの演技という気もした。ウォーフィールドとの電話のシーンとかね。首の傷が気になったけど、本には「リーランド通り殺人事件」の時のものとある。エリーは警察学校の時この事件のレポートを書いたので、ウィルがいつも予備の銃を持っていることを知っていた。そのことが結局ウィルを追いつめるカギになる。ウィルがハップを撃ち殺したのはその銃でだからだ。しかし映画では「それリーランド通りでの事件の傷でしょ」というエリーの言葉は省かれている。むしろ映画の中に何度も挿入されて強調されるのは、血のイメージである。最初は何なのか意味がわからない。そのうちに白っぽい毛糸に血がしみているのだとわかる。それと血を落とそうと衣類らしきものを洗っている男の後ろ姿も何度も出てくる。映画全体が陰鬱な自然を表わすかのように白とかグレーの色合いが強いので、赤黒い血はひどく印象的だ。この映画で見ている者を不安にさせる要素はそれくらいで、あとは別に怖くない。最初に死体が出てきて・・なんてのは「クリムゾン・リバー」とかけっこうあるからもう慣れっこでちっとも怖くない。犯人役のロビン・ウィリアムズは好きな役者ではないのでまあどうでもいいんだけど、こういう一見平凡で実は変質者というのは別に意外ではない。「シークレット・エージェント」では爆弾魔をやっていたし。私が注目したのはエリー役のヒラリー・スワンクである。「ギフト」よりはずっといい。溌剌としていて容姿も行動もすっきり明快。仕事熱心で向上心が強く、まわりの者にとっては時々鬱陶しくなる存在でもある。私が本の中で気に入っているのは、ハップが殺された事件の報告書の件でウィルに注意され、恥ずかしさで一日中顔を赤くし、その夜家に帰ってもまだ赤面していた・・というくだりである。何とまあ初々しく純情な刑事ではないか。彼女は「恥」を知っている。ウィルにもこんな若い日は確かにあったはずなのだが・・。しかし彼女の純粋さはウィルにとってだんだん脅威となってくる。他の者はだませても彼女をだますことはできない。
インソムニア3
もう一人ウィルが泊まったロッジで働くレイチェルという女性が出てくる。エリーとウィルが仕事でお互いに刺激を与え合う仲なのに対し、レイチェルは精神的な癒しの存在である。本ではウィルはかなり彼女に引かれるものを感じているのだが、映画ではそれが省略されている。あまり彼女の存在を強調すると映画が甘くなってしまい、主題であるウィルの苦悩がぼやけてしまう。だからそれで正解なのだが、といってウィルが一人でいつまでも悩んでいたのでは映画が先に進まない。誰かに自分の罪を告白し、その人に「許しの言葉」を言ってもらうことで呪縛から解放され、罪滅ぼしをし・・というふうにならなくてはならない。ウィルの告白により、彼がある事件で証拠をでっち上げ、犯人を有罪にしたこと、血がしみてくるシーンや血を洗い落とそうとしているシーンが皆この時のことを表わしているのだということが次第にわかってくる。レイチェルに「その時は正しいと思ってしたことなら、それを死ぬまで背負って行かなければ」と言ってもらったウィルは、正しい人の道としてウォルターと対決するために行動を起こす。誰かに許してもらわなくたって自分で決心をすればそれですむことじゃないか・・とウィルがレイチェルに「君はどう思うんだ」としつこく聞くのを妙なことだと思って見ていたが、考えてみれば彼はもう六日も眠っていないのだ。自分では決心がつかないほど疲れてモーローとしていたってことだろう。まあ話の流れとしては納得できるが、ウィルとレイチェルの心の交流を十分描かず、決めの言葉だけを言わせたために、私には彼女の言動が押しつけがましく感じられた。ウォルターを倒し、自らもひん死の重傷を負ったウィル。エリーは証拠となる銃弾を捨ててウィルの名声を守ろうとする。しかしウィルは「道を踏みはずしてはいけない」と諭す。今こそ彼はやっと安らかに眠ることができる。映画ではエリーは思いとどまっているけど、私だったら弾は捨てちゃうな。「あなたの最後の教えだけれど、私は私の思い通りにこれを捨てて、あなたのやったことを隠し通すわ」と決心してね。そのことでエリーは一生重い荷物を背負うことになるけど、そこでレイチェルがウィルに言った言葉とつながって、映画としてのおさまりがつくと思う。さて結論。パチーノの熱演とスワンクの新鮮さ、そしてランディ役のコの美少年ぶりが印象的な映画だった。満足。
不眠症 オリジナル版 インソムニア
クリストファー・ノーラン監督、アル・パチーノ主演「インソムニア」のオリジナル。前WOWOWでやったらしいが見ておらず、機会があったら見てみたいとずっと思ってた作品。なぜかと言うとステラン・スカルスガルド主演だから。どのレンタル店でもDVDを置いておらず、ビデオを見つけて喜んだらこれが吹き替え版。でも、ないよりマシ。DVDがなくてビデオしかなくてしかも吹き替え版だけ・・というのはよくある。やっぱ字幕の方がよく借りられ、そのせいで傷みが激しく、あまり借りられない吹き替え版の方が後々まで残るのか。カバーの吹き替え版の文字を見てがっくりする度にそう思う。さてスカルスガルドだが、ネットである人が最近顔が膨張してきている・・と書いていたけどホントそう。「天使と悪魔」で見たばかりだが、太ったとかたるんだじゃなくて膨張したという形容がぴったり。スクリーンいっぱい顔って感じ?「不眠症」は1997年頃か。まだ膨張してない。ノルウェー映画?ストーリーはリメイク版とほぼ同じ。でもあっちはすごくいろんなものをくっつけている。そのせいで時間も長くなってる。ウィル(パチーノ)には証拠を捏造した過去があったし、今は内部調査でピンチに立ってる。それをめぐって相棒ハップともトラブってる。でもそういうのはこっちのエングストロム(スカルスガルド)にはなし。さっぱりしたものだ。あっちの作家ウォルター(ロビン・ウィリアムズ)の家はいかにもそれらしく書籍や資料であふれ返っていたけど、こっちのヨン・ホルトの部屋はな~んもなし。あれで書けるのかな。オリジナル版はスウェーデンとノルウェーが一緒くたになっていて、ノルウェーで起きた少女殺害事件に何でストックホルムから刑事を呼ぶのかな・・みたいなよくわからない状況。隣りの部屋でかわされる会話(エングストロムのうわさ?)でそのへん説明されてるのかもしれないが、吹き替え版だとテレビのボリュームいくら上げても聞こえず、わからないまま。私が吹き替え版嫌いなのはこのせい。まあストーリーはリメイク版とほぼ同じだから別にいいけどね。さて、リメイク版の方は、主人公がこういう行動を取ったのはこれこれこういう理由があったからである・・というのをはっきりさせている。後ろ暗い過去のせいで、ホントはそんな気なかったのに相棒ハップの死を犯人の仕業ということにしてしまう。
不眠症 オリジナル版 インソムニア2
ウィルが犯した過ちは償われなければならない。したがって最後は彼の死で終わる。罪滅ぼしをした彼は安らかに死ねるのだ。オリジナル版にはそういうのが全然ない。エングストロムと相棒ヴィックの間には何のトラブルもない。それでも彼はヴィックの死を犯人の仕業にしてしまう。ラストも死なず、ストックホルムだかどこかへ帰る。女刑事ハーゲンはヴィックの死にエングストロムが関与していることに気づいたようだが、匂わせる程度ではっきりとは言わない。家の中にしろ署内にしろ何もなくて生活臭が感じられない。きれいでさっぱりした空間同様、ストーリーも静かでさっぱりしている。そのせいで眠気を催すとか物足りない印象を受ける人が多いようだ。パチーノの熱演もあって、リメイク版の方が評判いい。私自身はどっちも好きだ。確かにこっちは平板だが、すっきりさっぱりしているだけにスカルスガルドの実力がものを言う。彼が出ずっぱりなのがうれしい。そりゃエングストロムがどういう男なのかははっきりしない。彼が取る行動に裏付けを見出しにくいのは困る。でも・・人間ってそういうものでしょ?なぜそんなことをしたのかって聞かれても理由が思い浮かばないことあるでしょ?何だかよくわからないけどエングストロムはそういう行動を取ってしまったのだ。白夜のせいかもしれないし、彼の頭の中にある何かのせいかもしれない。彼が自分について話したのは一回だけ?大して深い意味があるわけでもないのに作り話をする・・このクセがたまたま出てしまったのか。ヴィックを撃ったのが自分だと言い出せなくて、そのままずるずるといってしまうエングストロム。被害者の少女が持っていた本から、作家ホルトの名が浮かび上がる。まずいことにホルトはヴィックを撃ったのがエングストロムだと知っていた。自分のしでかしたことと、夜眠れないことで彼はだんだん消耗していく。通りがかる人達が皆自分の方を見ているように、うわさしているように思える。通りにうずくまって鋭い視線をあちこちに走らせているシーンがとても印象的だ。スカルスガルドは本当に演技がうまい。ほんのちょっとした顔の動き、目つき・・。パチーノみたいに「演説」しないのもいい。ホルト役の人は誰かに似ている。「爆撃命令」のポール・バークそっくりだ。目や髪の色は違うけど。バークはまだ生きてるようだが1990年に引退したらしい。なぜかな。
不眠症 オリジナル版 インソムニア3
ハーゲンはリメイク版のエリー(ヒラリー・スワンク)にあたる。あっちは新米刑事エリーの成長物語でもあるが、こっちではさしたる活躍の場もなし。エリーより年齢が上だし、かなりのベテラン。リメイク版ではウィルが川に落ちたり、エリーがウォルターにつかまったり、クライマックスでは銃撃戦があった。でもこっちはろくに撃ち合いもなく、ホルトの死もあっけない。前にも書いたようにエングストロムが死ぬわけでもない。ラストシーンはちょっと変わっている。車がトンネルに入り、暗闇にエングストロムの目だけ浮かび上がるというホラーっぽい映像。あれは何を表わしているのか。彼がこの後どういう行動を取るのかは不明。このまま知らぬ存ぜぬで通すのか。それとも・・。ホルトの銃に指紋が一つ残っていたことがわかるが、それがホルトのものなのかエングストロムのものなのか不明なまま映画は終わってしまう。もしエングストロムのものなら、なぜ指紋がついているのか釈明しなければならなくなる。ハーゲンがヴィックの撃たれた場所・・と言うか、ヴィックを撃った犯人がいた場所で見つけた薬莢が、ノルウェー警察で使用している銃のもの・・ということと併せて、エングストロムの立場はかなり困ったものとなる。リメイク版ではウィルが予備の銃を持っていて、普段使用している銃、ウォルターの銃と全部で三丁出てきてややこしいが、オリジナルの方は二丁だけである。それでもよくわからなくなるけど。話を戻して、ラストシーンの目は、今までは白夜のせいで眠れなかったけど、これからは自分のしでかしたこと(ヴィックを射殺したこと、証拠を捏造し、偽証し、ホルトのせいにしたこと)に対する後悔、発覚するのではないかという不安のために眠れなくなることを表わしているのではないか。そのうち彼は本格的に精神を病むだろう。リメイク版ではウィルが眠れず悶々とするところを描写したが、オリジナル版はそれほどでもない。眠れないのは同じだが、ウィルほどじたばたしない。不眠症というタイトルほど深刻には悩んでいないように見える。しかし永遠に不眠とはおさらばできたウィルとは違い、エングストロムにはこれからも不眠が待っている。死より辛いことかも・・。
不眠症 オリジナル版 インソムニア4
ホテルの女主人とのからみは、リメイク版ではあっさりしていたが、こっちはそうでもない。殺された少女タニヤの友人で恋敵のフローヤから情報を聞き出すため、ゴミ捨て場(遺体の発見場所)へ連れていく時の車の中でのシーンとか、エリット(リメイク版のランディ)とフローヤとのいちゃいちゃとか、すっきりさっぱりムード一辺倒ではなく、かなりなまぐさい。扉のカゲから若者二人のいちゃいちゃを覗くシーンもある。何で二人は玄関ドア開けたままいちゃつくのかな。エングストロムはどうやって二人の目に触れることなく立ち去ることができたのかな。ここもちょっとホラームードだな。それにしてもこっちのエリット・・薄汚くて・・リメイク版でのジョナサン・ジャクソンのような見て楽しめる要素がない。天使のように美しいくせに心は悪魔・・というジャクソンのような魅力も演技力もない。さて女主人の方だけど、彼女は最初にエングストロムを見た時から引かれていたようで、モーションかけてくる。エングストロムの方は事件が気になっているから、あんまりそんな気はないんだけど、そのうち消耗して判断力が鈍ったのか、ついついその気になっちゃう。すると女主人の方は(自分から誘ったくせに)逃げて怒るのよ。何でだよ~矛盾してるなあと思うけど、エングストロムはあやまるのよ。あやまることないって。で、女主人とはそのまんま(気まずいまま・・と言うか、出てこない)。時々作り話しちゃうとか、乱暴な行動取るとか、要するにエングストロムもホルトも同じ種類の人間・・てことを言いたいんでしょうな。あの子猫のシーンはよかったな。かわいくて無力で。エングストロムが猫は好きじゃない・・と言うところも正直でよかった。さて、リメイク版では銃弾を捏造するために犬の死体に弾を撃ち込むけど、オリジナルでは野良犬をエサで釣って、寄ってきたところを殺しちゃう。ここはハリウッド映画との違いを強く感じた。何も殺さなくたっていいじゃんよ。肉のかたまり買って、それに撃ち込めばいいじゃん。最初は吠えてたけど(後でわかるけどおなかがすいていたのよ)、エサもらってキュンキュン喜んで食べているところを殺しちゃってこの人でなし!ハリウッド映画でこんなことしたら(例え実際に殺してなくても)大顰蹙を買い、お客はその場で主人公見限るな。