チャップリン

キッド(1921)

これはたぶん見るの初めて。子供(ジャッキー・クーガン)が石を投げて窓ガラスを割るシーンは何度も見たけど全体を通してはね。赤ん坊を産んだものの、育ててはいけないと、車の中に置き去りにする若い女(エドナ・パーヴィアンス)。サイレントなので字幕も最小限。たぶん金持ちの家の前にとめてあったから、何とかなるだろうと思ったのだろう。ところが目つきの悪い二人組が車を盗んでしまう。途中で赤ん坊に気づくが、そこらへんに置き去りに。見つけたのがチャップリン扮する男。あれこれあって添えられた手紙を見つけ、捨て子だと知ると自分の家へ連れ帰る。一方母親は途中で気が変わって引き返してくるが、車がない。大騒ぎのあげく、失神。数年後チャップリンと子供は貧しいながらも何とか暮らしている。料理のためのガスがコイン式とか、朝食に薄いパンケーキを何枚も焼くとか、そういうのに目が行く。母親の方はなぜか大スターになっているが、赤ん坊のことは忘れたことはない。最後には手紙がきっかけで子供と再会。めでたしめでたしとなる。ラスト少し前のチャップリンの夢のシーンは、それまでと流れが変わり、ちぐはぐな感じ受ける。空を飛ぶとかいろいろ斬新なことやろうとしているのはわかるけど、どうもねえ。

黄金狂時代(1925)

これは前に一度見たことがある。アラスカ、金の採掘。お尋ね者の小屋に迷い込んだチャップリン。金を見つけた男。やっと嵐がやみ、悪党は犬を連れて出発。途中追っ手二人と遭遇するが、殺しちゃう。ん?殺人の描写なんて珍しいのでは?その後悪党は死んでしまうが、私には犬がどうなったのかそっちの方が気になる。食料がなくなって腹ペコで、もしかして犬は食べられちゃったのか・・というシーンが前にあったけど、そのシーンのために犬を出してきたような感じ受ける。金捜しでにぎわう町、酒場の踊り子(ジョージア・ヘイル)への叶わぬ思い。踊り子達を招待しようとせっせと働き、大晦日、食事やプレゼントを用意したのに、彼女達は忘れていて。ここでのロールパンを使ったダンスは有名で、非常に印象的。金捜しの男とチャップリン、崖から落ちそうになっている小屋でのドタバタは笑える。こういうわかりやすくて単純なギャグはいいね。下ネタとか誰かの悪口で笑わせるのとは違って。男二人は金を見つけて大金持ちに。踊り子とも再会してハッピーエンド。

独裁者(1940)

これは前に一度見たことがあるけど、詳しいことは忘れていて。2時間以上あって、スケールが大きい。まあこのスケールの大きさと、作られたのが1940年頃というのが私には驚きで。例えば「心の旅路」の原作では、1930年代終わりになって、また戦争が起きるのではという不安感が漂い始める。その一方で、今回もまた何もなくて終わるのではないかという楽観的な考え方もある。そういう部分が映画ではばっさり切り捨てられ、メロドラマ部分だけが強調される。やはり映画となると難しいことや不安ではなく、夢や希望、美しさや感動を・・となるのだ。観客が求めているのはそれだから。でもこの「独裁者」は、笑いを散りばめてはいるものの、厳しい現実を突きつける。もしこれが第二次世界大戦後に作られたというのならわかる。自分達はこうすべきではなかった。正しい道を取る機会はあったのに、そうしなかった。でもこの映画はまさにそこへ突入する直前に作られた。歴史が確定する前に作られた。こういう先見の明を感じさせる映画ってそうたくさんはない。後からならいくらでも言えるし、いくらでも作られる。それにしてもラストのポーレット・ゴダードは「風と共に去りぬ」のスカーレットのようだったな。