嵐が丘(1939)
これはずっと前に見たことがある。テレビだったか映画館だったか、映画館だとしたら子供の頃だ。一番印象に残っているのは女の人が弾く「トルコ行進曲」。つまり激しくも悲しい愛の物語は全くと言っていいほど私の心には響いてこなかったってこと。原作だとロックウッドが訪ねていった時には嵐が丘では二代目キャシー、ヘアトンら次の世代が育っている。しかし映画では子供達は全部カット。二代目キャシーではなくイザベラがいる。「ジェイン・エア」と違って、「嵐が丘」はまだ一回しか読んでいない。登場人物がみんなろくなやつじゃない。中でもジョセフはクソジジイ。映画では普通のジイサンで、演じているのはレオ・G・キャロル。ヒースクリフはローレンス・オリヴィエで、キャシー役マール・オベロンとはうまくいかなかったらしい。オリヴィエは「レベッカ」でもジョーン・フォンティンに冷たかったらしいし、何だかいやだな。この映画では、見ていてもどこが名優なんだ?って感じ。ぴんとこない。イザベラ役はジェラルディン・フィッツジェラルド。私なら彼を変えられると自信たっぷりでヒースクリフに積極的に近づくが、結婚後は悩み苦しむ。エドガー役はデヴィッド・ニーヴン、エレン役がフローラ・ロブソン。アーンショー氏がリバプールで見つけた孤児を連れ帰る発端からしてありえない。キャシーはともかくヒンドリーが嫌がるのはあたりまえ。成長したキャシーはヒースクリフに惹かれながらも、エドガーとの結婚で約束される華やかで安定した穏やかな生活も手に入れたい。それは女性として当然のことだが、見てる方はアンタさっきまでこう言っていたのにコロッと変わって、いったいどっちが本音なのよ・・と思ってしまう。つまりキャラとしては共感しにくいタイプ。ヒースクリフが戻ってこなければ、彼女はあのまま賢夫人としてエドガーに連れ添っただろう。映画でのキャシーはそう思わせる。つまりキャシーの描写は大人しめ。原作だともっと激しい性格。何しろ死んでも成仏できず荒野をさまよっているくらいなのだ。嵐の夜には中へ入れてくれとロックウッドの手をつかむ。でも・・せっかくの場面もちーとも怖くないんだよな。姿見せるわけじゃなし、ロックウッドが騒ぐだけ。ラストも何だかなあ・・。全体的に作りがお上品で行儀がいい。エミリ・ブロンテも墓の下で何じゃこりゃと思っているのでは?