DEATH NOTEシリーズ

DEATH NOTE 前編

私は日本映画はめったに見ない。映画館に行けば予告をたくさん見させられるから、どういうのがあってどういう内容なのかは知ってる。でも「見たい」という気が起こらない。それが・・今回はちょっとそそられた。映画館での予告では音楽がちょっといいなと思った程度で、さほどでもなかったが、テレビで紹介された時うつった死神リュークを見て「あッ見てみたいな」と・・。行ったのはレディス・デーなので、一回目はほとんど女性。二回目は少し男性も増え、カップルとか年配の人とか、まあ一回目にくらべればバラエティーに富んでいましたな。相鉄ムービルは前来た時(営業が)5月31日までになっていて、「ダ・ヴィンチ・コード」もこれから始まるのに何で?ってびっくりしたのよ。その少し前に経営がおもわしくないという記事が新聞に載っていたので心配してたのよ。でもなくなっちゃうわけではなく、改装休館ということらしいので一安心。それも「ダ・ヴィンチ・コード」のおかげで(たぶん)、秋まで延期になったらしい。横浜駅からサッと行ける、私にとっては便利な映画館なので、いつまでも続いて欲しい。てなわけでお客はわりと入っていて、映画も一回で出てくるつもりだったけど二回見ちゃいました。けなしている人多いけど私にはすっごくおもしろかったのよ。原作のマンガは読んでないし、読むつもりもない。ストーリーは荒唐無稽で、出演者の中にはひどい演技の人もいる。特にあのミサミサとかいうアイドルタレントはひどかったな。あのひどさが演技なのか地なのかわからないけど、真っ先にデスノートに名前書いてこの世から抹殺してやりたくなるような存在だよな。そういう誰の心にもある欲望をテーマにしたのがこの映画(と言うか原作)のすごいところなんだろう。この世の悪(みんなにとってのよくないもの)の排除のはずが、邪魔者(自分にとってのよくないもの)の排除になってしまう。主人公夜神月役の藤原竜也君(以下F君)はまあ一生懸命やってるし、適役なんだろうけど、八重歯が気になるし字もうまくない。何と言うか・・普通に暮らしているパンピーならそういうこともないけど、俳優としてまわりから見られる存在で、大画面にクローズアップされる時にああいう字だと・・何かがっくりきません?ナオミ役の瀬戸朝香嬢もなあ、サラサラッと流麗な文字を書けばカッコよくて、見ていて「おおッ!」となるのになあ・・残念。

DEATH NOTE 前編2

F君の演技は、それじゃ舞台だろッ!・・と突っ込みたくなるシーンが度々あった。しゃべり方、首の角度、表情・・芝居がかっている(芝居だけどさ)。セリフにしても日常生活でそんな言葉使わないだろッ!って思ったり・・「ゆだねる」とかさ。あるいは目線がリュークの動きと合っていなかったりとかさ、まあこれはF君の責任じゃないけど。彼のいいところは、小柄でやせていてかわいい顔していて、いかにもマンガの主人公風なところ。マンガの主人公ってたいてい見かけとなかみにギャップがある。外見は子供っぽいけどなかみは大人とか。それとマンガの主人公として不可欠な、中性的な雰囲気もある。多くの読者に愛されるためには女性を引きつける要素が必要。女性ってモロ男性的なヒーローより、きゃしゃで女性的な美少年により引かれるものなのよ。特に日本ではね。手足が長く、体にムダな肉がついていないこと。顔は一番大事だから(女性は基本的に面食い)、全体のバランスを崩さない限り大きくてもかまわない。そういう基準をF君はほとんどクリアーしている。小柄だからどのシーンでも体全体が画面にぴったりおさまる。かわいいからクローズアップにも耐えられる。別にアップにならなくても目に力があるから(パンフに載ってる、バスの中での写真の目を見よ!)、目の小ささがハンディ(美少年はたいてい目が大きい)にならない。ただ、画面にF君とリュークがうつっていると、私の目はどうしてもリュークの方へ行っちゃったな。このリュークは本当によくできていると思う。最近映画を見ていても・・例えばエイリアンとかゾンビとか悪魔とか・・どうもインパクトを感じない。どこかで見たような・・こういうのしか思いつかないのかよ・・やりすぎなんだよ・・そういうのばっか。技術の進歩はわかるけど、技術ではないもの・・創造性とか独創性とかの欠如。そんなこと言ったら作ってる人に気の毒だけど、とにかく何を見ても新鮮さがなく今いち。今回のリュークも「アンダーワールド:エボリューション」の羽バサバサマーカス思い出したけど、ああいうエネルギッシュさはなくてぐっと静的。一番特徴的なのは宗教との結びつきのうすさ。死神はデスノートを落とし、月に拾わせ、なりゆきを見るだけ。指図しないし代償(魂とか)も求めない。神と対立し、人間の堕落はかるわけでもない(はからなくたって人間はかってに堕落してくれる)。

DEATH NOTE 前編3

リュークとリンゴの取り合わせ、ナオミの引用するマタイ伝、ミサミサが口走る「天国へも地獄へも行きたくない」・・キリスト教的な部分は散見するものの、全体的には宗教色は希薄。リュークの関与は消極的である。見ていて伝わってくるのは物事の大部分を決めるのは結局人間・・ということである。有罪となるべき人間を解き放つのも人間、デスノートで正義を実現しようとするのも人間、キラを英雄視するのも人間なら例えどんな理由であれ殺人は許すべきじゃないと考えるのも人間。犬やネコではない。デスノートを手に入れたからってそれを使う使わないは本人の意志。常に死神が見えてしまうのは困るけど、「デスノートを使って人を殺せ!」と強要されるわけでもない。死神の関与が消極的なだけに、デスノートを持っている人間の判断・良心が重要になる・・というのは、いい設定だと思う。誰かを殺せとか魂よこせとか言われれば、反発や恐れの感情がわき、かえって行動が制御される。それが何もないとなると、「じゃちょっと試してみちゃおっかな~♪」となってしまう。人間ってそんなものだ。リュークの造形では特に目がいいと思った。目に表情がなくて、いつも同じに見えるのが「死」を表わしていると思う。表情豊かにクルクル動いたり、パチパチまばたきしたら生きていることになってしまう。多くの映画で幽霊の吐く息が白くて生きてるじゃん・・とガックリするけど、あれと同じよ。「生きていないもの」はそう描かなくちゃ。中村獅童氏の声も、何となくどんくさくて愛敬があってよかった。死神に愛敬感じるなんておかしいけど、その距離のなさって大事だと思う。死はほんの隣りにあるもの。私は30年くらい前バイクにはねられたことがあるけど、ガードレールに頭をぶつけたせいで何も覚えていない。あの時運悪く死んでいたとしても、痛みもショックも何も感じないままあの世に行っていたことだろう。そうやって生が次の瞬間、死に切り替わることは誰にだって起こりうる。話がそれたけど、リュークの目は達磨の目とか、竜の目とか、あるいは俵屋宗達の「風神雷神図」とか、ああいうものを思い出させる。わりと身近で、だから怖いと感じないんだろう。エンドロールの後でリュークが後編についてちょっとしゃべるんだけど、彼は月に言うこととは別に、多くのことを知っているのよ。いちおう神様だからね。

DEATH NOTE 前編4

全部話してしまうような愚は犯さない。何でもできる気になっている月。何でも知った気になっているL。でも本当に何でもできて、何でも知っているのは、「あまり話さない」リュークなのよ。そこがよかった。後編はどんなストーリーになるか見当もつかないし、何か情報を得るためにマンガ読んでみようとも思わないけど(これ以上何かにはまるのはまずいもんで・・)、11月が待ち遠しいのは確か。さて、映画は全体的に長すぎる感じで、もう少し削ってもいいんじゃないかと思える部分があちこちあった。文字で説明される部分が多く、それがF君のあまり上手とは言えない字で克明に記されるので、見る度にもっと字の練習しとくべきだったぜベイビー・・と思ってしまう。ミサミサに関しては、最初彼女の顔がペイントされたバスが必要以上に長くうつっていて、いやらしくもわざとらしい。彼女の出演しているヘンな料理番組も長すぎて映画のペースを乱す。わたしゃ何でこんなアホ女がクローズアップされるのかちーとも理解できん。何しゃべっているのか聞き取れないし。えッ彼女原作の人気キャラクター?ウソでしょ?デスノートの犠牲者になるかと期待してたのに・・何ですかありゃ。何でAD突然死んじゃうの?月がデスノートに名前書くはずないから、あれは正真正銘突然死、心臓マヒなんでしょ?それとも死神がかかわっているのかな。・・それにしてもねえ・・ミサミサのセリフ・・「アンタADでしょ!」・・一人前じゃないんでしょ、虫けら同然なんでしょ、人気アイドルのあたしと口きける立場じゃないってことくらいわかってるんでしょ・・普段からそう思っているんでしょうなあ。チヤホヤされて自分を過大評価し、人を人とも思わない。自分で自分にピンチを招く。バサッと落ちてきたのはデスノート?でもってここからは私の妄想ですけど、デスノートって一冊?デスノートを死神に返すとデスノートに関する記憶だけなくなる。またパンフによればデスノートを使った者は天国にも地獄にも行けないのだそうな(じゃあどこ行くの?)。そこであのミサミサの「天国にも地獄にも行きたくない」という言葉に思い当たるわけよ。きっと彼女はデスノートを使い、天国にも地獄にも行けなくなるんだろう・・ってね。しっかしあんなのに名前書かれたらたまったもんじゃないよな。どういう基準で書くんだろ。

DEATH NOTE 前編5

そもそも何で彼女を選んだの?リューク。あのアホさかげんから見て、名前書いても誤字だらけで、ちっとも効力発揮しなさそうで、それじゃコメディーになっちゃうな。映画はどういうふうに前編としての区切りをつけるのかなと思っていたら・・コルビーのポテチで来ましたか。この映画名前には苦労したと思う。コルビーやカンスポ、スポイチなどの小道具の他に、何と言っても人名がある。犠牲者の名前。そのせいで実際にはありえないような珍名奇名さんがいっぱい出てくる。たいていは引っかからず聞き流してしまえるけど、あの「ミソラ・・」にはまいったな。原作通りだから仕方ないにしても、マンガで読むのと実写で耳にするのとでは違うのよ。瀬戸嬢がいくらがんばったって元FBI捜査官に見えないのに、追い討ちをかけるようにあんなけったいな名前名乗るでしょ。「私の名前はミソラ・・」あちゃー、もういっぺんに脱力よドレミソラファシド~♪才色兼備もタフで有能もどっかにふっとんじゃう。もったいないなあ・・。瀬戸嬢には出てくる他の若いコにはないものがある。それは体の厚み。しっかりした骨格で背筋を伸ばし二本足で立っていられる。他のコはまだオシメしてるようなのばっかでしょ。ミサミサとか月の妹とか。しゃべりなんて「○○でちゅー」「バブバブー」程度。ミサミサなんかちゃんと立ってられない。きのうまでハイハイしてまちたー、今日やっと立っちができまちたー、内股でちゅー。椅子に座ればずり落ちそう。くにゃくにゃよたよた・・いい若いもんが何だよ全く・・。そういうのにくらべりゃナオミはマシですよ。恋人レイ役は細川茂樹と言う人。この人ジミー・ウォング(王羽)に似ているよなあ。予告を見た時から気になっていましたの。FBIにしてはちょっとオマヌケだったのが残念。FBIならもっとしぶとくわたり合って、月を苦しめてよ。さて映画が終わると・・と言うかまだエンドロールの最中なのに、隣りの二人組がべチャべチャしゃべり始める。「わたしびじゅつかんのあたりからぜんぜんわかんなーい」ですってさ。確かに月がリュークにそこらへんのこと説明するけど、聞いてたってわかんないわよ。なぜ月はナオミを利用して恋人の詩織を殺すのか。その後、もうこうなれば自分を捜査に加えないわけにはいかなくなる・・とか言っていて、じゃあそういう状況を作り出すために詩織を犠牲にしたの?

DEATH NOTE 前編6

捜査ったって真犯人は月自身なんだし、どういう状況になれば事件が解決したことになるわけ?デスノートらしきもの(表紙に何て書いてあるのか読めんかった)ミサミサの前に落ちてきたけど、月はそのこと知らないから自分のデスノートとミサミサのデスノートの両方が使われて混乱が起きるわけ?それともデスノートは常に一冊で、月の手を離れてミサミサに移り、月はデスノートに関する記憶を失うから犯人と疑われる心配もなく(Lは疑い続けるだろうけど)、Lと事件解決を競うのか・・。まあ妄想は尽きないけど、きりがないのでここらへんでやめときましょう。詩織役の香椎由宇嬢は、最初はとってつけたような演技だし、鼻にかかった鬱陶しい声だし・・と、気にくわなかったけど、だんだんよくなってきましたよ。彼女は非常にまとも。月もまともなはずだったが、ある時から狂い出して元に戻れなくなってしまった。最初の犠牲者が出た時、リュークに出くわした時、自分に捜査の手がのびてきたと知った時・・普通なら後悔するとか用心するとか怖がるとかするものだが、彼にはそれがない。変に自信家で、そのうち自分でも物事の基準がいいかげんになってくる。悪人だけでなくFBIとか恋人まで犠牲にする。その場しのぎになり、しかも大して悩んでいない。これしかないという感じで突っ走る。苦悩が浅く、深刻味がうすい。最初は共感していた我々も、彼を心配する気も失せてしまう。彼がどうなろうと気の毒に思えない。恋人まで殺しやがって・・。どつぼにはまっているのに、いっこうに共感を覚えないなんていかにも今風だが、主人公なのにそんなことでいいのかな。で、詩織だけど、芯が強くて判断の基準がしっかりしている。十分ではないにしても、法にしたがうべきだと思っている。あるいは人前でキスをするのはいやだとかね。若い女性はとかく恋人の意見に流されるものだけど、そういうところのないのがよかった。さてこの映画の一番の収穫、それはLである。彼が登場するのは途中からだけど、デスノートに名前が書かれ、人が死ぬというそのくり返しで、単調になっている映画を救ってくれるのがLなのだ。松山ケンイチ君扮するLが、ありえない存在であることは承知している。あんな生活をし、あんな地位にあり、あんな目つきをし・・異様としか形容できないけど、それでいて彼は確かに誰かに似ている。

DEATH NOTE 前編7

もちろん全部ではなく一部が似ている。黒々とした髪が目にかかったああいうヘアスタイル、下から見上げるような目つき、不健康そうで・・でも若さで持ってる肌、むっつりと閉じられた唇。しゃべれば「勝利に向かってがんばりましょう」とか「歓迎します」とかいちいち夜神(月の父)の神経にさわる。夜神のLに対する反応は、一般常識人を代表するそれである。呆れたり嫌悪を感じたりむかついたり疑ったり・・。捜査本部長である彼の自慢の息子が、実は真犯人・・というのはいい設定だと思う。残念なことに警察庁長官が、先に名前を言ってしまうのよね。何でかなー「君」とかにしておけばいいのに。でもって月達が食事をしている時に父親が帰ってきて、どれどれおやじってどんな顔してどんな仕事してるのかな・・げッ!捜査本部長じゃん、マジ?って見ている人のけぞらせる絶好の機会なのにもったいない。でもって夜神はLに月が一番犯人に当てはまるなんて言われておもしろくないわけよ。月が無実だと証明される事件が起き、疑いが晴れるとLに「あやまれ」と言わずにはいられない。でもLはあやまらない。彼には月が犯人だとわかっているから、何か起こっても信念はぐらつかない。表面に現われたことは説明のつかないことなので黙っている。説明のつかないことだとしてもLはそれを分析し、正しい情報を引き出さなくてはならない。夜神や部下達のように、表面に現われたことで一喜一憂しているヒマはないのだ。で、そういうあやまらないとか、反応しないとか、間違いを認めないとか・・そういう人って確かにいる。たいていは責任逃れのためで、Lのように本質見抜いているわけじゃないけど。それにしてもお菓子ばっかり食べていて、姿勢が悪くて、生活が不規則で・・何で病気にならないの?何でむさくるしくならないの?Lはヒゲなんか生えないのだろう。若くてきれいなまんま。あの手つき・・手に取るとかつかむんじゃなくて「二本指でつまむ」。書類、カップの取っ手、ケータイ・・。お菓子やスナックで指がべたべたしてるから?指が細くて長くて・・ああいう手つきの人っているよなあ(女性に)。他にもまだまだあてはまりそうで、見ていて全くあきない。お菓子を串に刺して(おでんかよ)夜神に渡すとこなんかもう!!こんな人いるはずないのに、でも知人の顔が思い浮かぶ。話すことも要点をついている。

DEATH NOTE 前編8

夜神達がいやな顔するのはLに反論できないから。彼は中立の立場で言っている。自分に都合のいいように言っているわけではない。恨みも嫉妬も関係ないし、ムダなことも言わない。私は彼の言うことを聞いていて「陰陽師」思い出した。名前と顔が一致していないと相手を殺すことはできないという設定。会った早々名乗った夜神達はLに注意される。殺すには名前と顔がわかっていることが必要なのを、Lはすでに知っているのだ。だからLは本名を明かさない。名前の重要さ・・日本でも本名とは別に仮の名前をつけ、普段はそちらで通し、魔物の目をくらますという習慣があった。仮名と真名、通り名と忌み名。ナオミが有能な女性でありながら月にいいようにあやつられてしまったのは、不用意に自分の名前や正体(レイの婚約者であること)をさらけ出したからである。自分の存在をアピールし、相手をびびらせ、尻尾をつかむという方法は、普段なら効果的かもしれないが、月には通用しない。何しろ月にはデスノートがあるのだから。ラストで初めて対面した月とL。この二人の間にはどんな会話がかわされるのか。エンドロールに流れるエビチリ(違うって!)の曲もとってもよかった。途中で流れるスガシカオの曲は何じゃこりゃだったけど。てなわけで本当に久しぶりに邦画を見たけど、とにかく感心して帰ってきましたよ。最近では何を見ても「あれに似ている」「どこかで見たような」そんなのばっかだったけど、今回はオリジナリティーを感じた。よく日本のをハリウッドでリメイクするけど、これはそのまま世界に流して欲しいな。作り変えるんじゃなくていい部分も悪い部分もそっくりそのまま。例え受け入れられなくても日本ではそうなんだ!って。もうそういう時期に来ていると思うよ。善でも悪でもない死神。ただ隣りにひっそりと存在する死。罪を糾弾する月が自分の罪には悩まないこと。祈られない神様(結婚式場でしか必要とされないのか)。これらは映画をうすっぺらにしている要素でもあるが、私は別にかまわないと思う。苦悩や罪悪感を描いてことさら重厚に見せる必要はない。死を扱っていても怖さは希薄だが、リュークにはそれなりの怖さを感じることはできる。いきなりバスの中で見えてしまうこと、いきなり地下鉄の窓に見えてしまうこと。見せ方がうまい。・・でも何だかんだ言っても一番怖いのはやっぱり人間。結局それを言いたいんだろうなあ。

DEATH NOTE デスノート the Last name

うちにもデスノートあります。と言っても人は殺せませんけど。映画やテレビ見た後、こうやって感想書くわけですけど、さらさらっと書けるものもあれば、途中まで書いてそのまんまほったらかしってのもかなりある。そのうちに・・と思っていると数ヶ月、数年すぐたってしまう。そうやってメモやら下書きやらがたくさん集まって・・つまり感想文が「死」蔵されてるのが私のデスノート。ま、正確に言うとファイルですけど。時々こうやって引っ張り出して・・最近だと「ヴァイラス」とか、何とか書き終わらせて・・そのためにはもう一度DVDやらビデオを見直さなくちゃならないんですけど・・日の目を見るようにしてやるわけです。この後編も、二度ほど書いてそのまんま。前編はすぐ書けたんだけどな。映画館で見たのは公開二週目の平日で、一回目は25人くらい、二回目は35人くらい。思ったよりすいてたけど、平日だからね。けっこう年配の人もいて、たぶん月役藤原竜也君目当てでしょう(アニメファンとは思えん)。前編を見た後、後編の公開を心待ちにしていたけど、過剰な期待は禁物・・と自分に言い聞かせていた。後編、続編がすばらしかったためしがないからだ。「陰陽師2」もだめだったし・・。あッ、「2」もデスノートで何年も眠っているんだっけ。まあ、松山ケンイチ君扮するLの不思議ワールドに浸れればいいかな・・と。2時間以上あるので、最初近くのシネコンで取りあえず一回見て、気に入ったらまた見ればいいかな~なんて。でも思い直して前編の時と同じく相鉄ムービルへ。二回見て・・さすがに疲れました。こんなに長くする必要ない。前編もそうだったけど、こっちもいらないシーンいっぱいある。今回は死神もデスノートもキラも増える。エイリアンやプレデター、ターミネーターと同じ。特にデスノートは何冊も出てくるので、どれがどれやら。でもその頃には見ていてもどうでもいいやって気になっていて。・・冒頭詩織の葬式があって、そのバカでかい遺影に呆れるわけ。「ステルス」もそうだったな。これじゃコメディーだろッ!それとも今はこんなバカでかい写真飾るんですか?終わった後どうすんの?粗大ごみ?

DEATH NOTE デスノート the Last name2

で、前回殺される運命だったミサ(戸田恵梨香嬢)が、出てこなくてもいいのにやたらめったら出てくる。死神は寿命取るのが仕事なのに、延ばしちゃったというわけで、死神ジェラスは死ぬ。あッ、死神にも生死あるんだ。で、代わりにミサを見守ってくれと頼まれたのがレム(断われよ!)。ミサのところへ落ちてきたのはジェラスのデスノート?ただ、私から見るとミサなんか死神が命かけるような相手じゃないわけ。前回より出番増えたぶん、映画見ていても悪寒走りっぱなし。ミサ自身が死神みたいなもの。邪気をまき散らす。稚気も?痴気も!呆れたことに彼女には家族を惨殺されたという衝撃の過去があるんですと。で、深い精神の闇にあった彼女に生きる力与えたのがキラなんですと。目撃したのに法律では裁いてもらえなかった憎い犯人を始末してくれたのがキラ。で、深い闇はどこへやら今ではチャラチャラキャピキャピアイドル・・と言うよりバカドルやってるわけです。ミサはヘアスタイルにしろ、ファッションにしろ、しゃべり方にしろ、モロアニメキャラ。手足が細くて目が大きい。座ってる時の足の格好とか、監禁され目隠しされ縛られているところとか、アニメファン、ゲームファン、ロリコン、緊縛マニアその他モロモロが喜ぶようなキャラにしてある。で、セリフもものすごくくさいわけ。「私を信じて」「私を殺して」・・極めつけは「若くてキレイなうちに殺して」・・だってさ。私だったら「喜んで」「今すぐに」って返事するわよ。彼女に限らずこの映画、殺す殺すって気軽に言いすぎ。言葉が現実から遊離している。途中でLの指示で第二のキラらしいミサを監禁し、続いて月も・・というあたりは、映画だれまくり。製作裏話として、脚本の遅れとかきついスケジュールとか書いてあるけど、確かにそういうのが感じられる。全体的に漂う出たとこ勝負感、つぎはぎ感、練り不足感。いちおうああなってこうなってと説明はされるけど、見ている方は「はあ?どのノート?」「ええ?またノート?」ってなもんよ。だらだら続く無意味な監禁シーンの一方、デスノートに関する記憶を失った月は、第三のキラの正体をいとも簡単に(一人で)割り出してしまう。

DEATH NOTE デスノート the Last name3

他の捜査員の無能さときたらアナタ・・。何週間も・・おまえら何やってんだ、全員で貼りついてる必要ないだろッ!ただ、私が今回よかったなと思うのが、この第三のキラの部分なんですの。さくらテレビのメインキャスター冴子(上原さくらさん)と後輩の清美(片瀬那奈嬢)。この二人の確執、足の引っ張り合い、視聴率稼ぎ、セクハラなど、描写のほとんどはありきたり。しかし清美と冴子の二人にはそれぞれ違った魅力がある。私はこの映画に出てくる女優さんは瀬戸朝香嬢と五大路子さんしか知らなくて、この二人を見るのは初めてなのだが、とても感心した。冴子は小柄でショートカット、どことなく1960年代の雰囲気。60年代の何とかシリーズ(社長シリーズとか)に秘書とかクラブホステスの役で出てきそうなタイプ。小作りでかわいらしく、それでいて抜け目がなく野心家。逆に清美は大柄でロングヘア、足が長く、しかも適当に肉付きがよい。前編の瀬戸嬢同様体の厚みが感じられ、堂々としている。演技は別として、こういう見てくれも大切だと思う。カトンボみたいな頼りない体つき、何食べてるかわかんないような生活感のなさ、成長するのを拒否するかのような幼稚な態度・・こういうアニメっぽいミサもいかにも日本的だが、それが全部じゃない。ちゃんとごはん食べてる、きつい仕事もばりばりこなす、体力のある女性もいるのだ。こういうキャラも出してこなくちゃ。さて、月がキラだと知ったミサは早速近づいてくる。まわりを気にせず、何でも表に出してしまう彼女は、非常に危険。アイドルやってます、そこそこ売れてます、死神でしょ、デスノートでしょ、あッ私死神の目も持ってま~す。いきなり押しかけ、何でもすると拝み倒し、月が承諾すると今度は自分の要求。彼女にしてください、デートは最低でも週に一回、まわりに人がいると恋人関係見せびらかし、ブリッコブリブリ・・まあホントずうずうしい。こんなバカ女月が相手にするわけないの。いつ爆発するかわからん爆弾女。一緒にいると甘えたりすねたりまとわりつき、仕事や勉強の邪魔。いちおう信頼して仲間にするように見せて安心させといて、頃合いを見て始末するはずなのよ。

DEATH NOTE デスノート the Last name4

レムが見張ってるけど知恵しぼってさ。でも月の方もだんだん善悪の区別がつかなくなって、何だかよくわからないキャラになってるのよね。おまけに記憶失ったり戻ったり。月がどういうふうに追いつめられていくのか、Lが最終的にどうやって事件を解決するのか、それを期待してワクワクしたりドキドキしたりするのが、本来の形だと思うけど、そういうのが全然感じられない。欲望に向かってまっしぐらの冴子や清美の登場シーンには勢いが感じられたけど、月やLに話が戻るとまた停滞。まだよく固まってないラストに向かって、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。何よりもLに生彩がないのはどうしたことか。藤原君は前編の時より顔が丸くふくれている。相変わらずの舞台演技。死ぬまでも時間かかったな。アル・パチーノかと思ったくらい。赤くふくれた顔がいつパチンとはじけるか、思わず期待しちゃった。何と言うか・・1時間半くらいに縮められたと思うんだけど。ギュッと詰まった感じで、スピーディーにできたと思うんだけど。Lの決着のつけ方もなあ。一つの事件を解決するために自分の命を捨てると言うのは・・。次の事件も起きるわけだし。デスノートは焼却できるようだ。それも妙な話で。でもなくなってもLの命が延びるわけでもなく。ラストの夜神(鹿賀丈史氏)と粧裕のシーンは何度見てもウルッとくる。兄の死を悲しむ妹、妻にも娘にも本当のことは話せない夜神。その一方で記憶をなくしたミサは「なーんにも覚えてなーい」とあくまでもノーテンキ。死ぬまでバカは治るまい。死ぬまで・・って、彼女は死神の目を得るために命半分に縮めて、その後もう一度半分にする・・って言ってたけどそっちはどうなったのかな。早く終わってくれ迷惑女。・・あ、いえ、別に今までさんざんけなしたからって戸田嬢とは無関係ですからね(いちおう弁解)。それにしても・・前編のところで書いたけどこの映画の一番の魅力は新鮮さ、オリジナリティー。でも後編ではそれが明らかに薄まっているの。期待のリュークも魅力なし。日本映画としてはまあまあの出来だったけど、前編よりは下。もうちょっと何とかなったはずなんだよなあ。

L change the WorLd

「DEATH NOTE」二作はしっかり二回見たけど、今回はシネコンで一回だけ。一週目のレディス・デー、朝の10時、お客のほとんどは女性。40人か50人か、とにかく女性ばっか。L主演のスピンオフ作品が作られると知った時はうれしかったけど、出来の方は・・。まあがんばって作ってあるとは思う。タイロケがあるし、そこでの爆発シーンはなかなかのもの。クライマックスではジャンボ機が空港ビルに衝突しそうになる。迫力、スケールは十分。でも・・何だろ、見ながらだんだん思い始めた。何か違う。自分が見たいものとは別のもの見せられてる・・みたいな。それともう一つ。やっぱりここまでしかできないのか・・という限界感。「DEATH NOTE」二作には力強さがあった。ありえないバカ話だけど、見る者をその世界に引きずり込む強引さがあった。学芸会みたいなのも中にはいたけど、その一方で日本人俳優もなかなかやるじゃん・・と頼もしく思ったりもした。でも今回は・・。二階堂(鶴見辰吾)が死ぬところはひどかった。突然ホラーになる。何言ってるのか全然わからないし長すぎる。やっと終わったと思ったらまた出てくるので、危うく噴き出すところだった。娘真希も何がどうなってるのかよくわからない。福田麻由子嬢はかわいいけど、映画支えるには明らかに力不足。もっと年齢を上にし、Lとの間にほのかなロマンスとかにおわせてもよかったと思う。悪役的場(高嶋政伸氏)は片目にする必要はあったのか。久條(工藤夕貴さん)も何かちまちましていて中途はんぱ。ひどかったのは初音(佐藤めぐみ嬢)。学芸会以下。見ていてこっちが恥ずかしくなる。少しBOY役福田響志君を見習いたまえッ!南原清隆氏の駿河は、とてもFBI捜査官には見えないが、彼が登場すると場がなごむ。クレープを焼くシーンには笑ってしまった。出番少ないのは残念。さてLだけど、やっぱり彼は誰か主役がいてこそその魅力が際立つのではないか。誰かとくらべることで、誰かの反対側の立場にいることで。Lに再会できたのはうれしかったけど、それ以上のもの(感動とか)はほとんどなかったな。クライマックスも何やらお涙ちょうだいものになってしまい、ぐずぐずじとじとふにゃふにゃ。これが邦画の越えられない壁なのかな・・と。「DEATH NOTE」で少し抜け出たと思ったけど、また元に戻ってしまいましたな、残念。

デスノート Light up the NEW world

ネットでの批評はさんざんで、酷評と言うかののしっていると言うか。私はそれなりに楽しんだ方。原作への思い入れとかゼロだし、何の知識もないから普通に見てた。途中で思わず、「でへへ~」って顔がゆるんじゃった。先頭に立って事件を追ってる人物が実は!彼は記憶を失っていたのだった!って「エンゼル・ハート」じゃん!あの事件から10年後、六冊のデスノートがばらまかれ、その争奪戦が・・。まあ六冊でも多いよな。えーとロシアの医師とアメリカの投資家と御厨(船越英一郎氏)とさくらのとで四冊。さくらのは警視庁に保管され、残りの三冊は紫苑(菅田将暉氏)が持ってると。紫苑は他にもリュークが落としたのを持っていて、これがミサに渡したやつ。竜崎(池松壮亮氏)も一冊持ってる。で、六冊・・これで合ってます?ミサは所有放棄して記憶を失っていたけど、デスノートに触れたことによって思い出す。まあ見てる間中、これはどういうことあれはどういうことって思いっぱなし。これがファンなら許せん!ってなるんだろうな。でもまあ私は多少作りがゆるくても、設定にオリジナリティーがあるし、CGは精巧だし。でも正直言って竜崎にはガッカリした。ボサボサの頭にヒゲづら、何であんなむさくるしい外見にするのか。おまけに目を剥いたり下品な態度取るし、見ていて残念で仕方ない。こんなのがLの後継者であるはずがないッ!素顔の池松氏はきっとかわいい顔してるんだと思う。いつも髪型も服装もきちんとしている三島(東出昌大氏)と対比させるつもりだったのかもしれないけど、この映画見る人の大半は、Lの後継者ってどんな人?と思って来るはず。期待を裏切っちゃいけませんて。逆に菅田氏はまあ細くて・・衣装とか髪型とか少し前の氷川きよし氏みたいで笑っちゃう。でも、この映画で一番よかったのはミサ役戸田恵梨香さん。前二作の感想ではミサの悪口ばかり書いたけど、10年たって彼女はかげりのある美女に変身。以前のようなどうしようもない軽薄さはこれっぽちもなし。とにかく美しく、孤独ですべてのものに絶望し、死んでいく。その静かな壮絶さには脱帽。ところで竜崎の死をデスノートに書いたのは誰?あ、三島ですか。あたしゃてっきり魅上を殺してすぐ記憶失ったんだと思ってたけど、その後三島はデスノートを使い、竜崎が来日した時点で月日を書き込み、放棄したらしい。でもあの資料・・量からしてキラになってる間も書き込んでいたの?