美術時評 2018年2月◀ ▶
by Masaaki Kambara
2018年2月9日(金)~3月6日(火)
2018/2/25
雛道具はこの時期どことも目に触れる日本の伝統美だ。将軍家から大名家、商家から財閥まで、世のステータスを確認するように競って豪華と絢爛を誇示しあう。
徳川美術館も見事だが、徳川家は城を追い出されているし、国宝の城を有する限りでは、彦根に軍配は上がるかもしれない。入り口には彦根屏風が迎える。もちろんオリジナルが見えるのは一年では短期間、複製と言えどもこの絵の価値は健在だ。
狩野元信も2点展示されている。能面も能衣装も能舞台も立派だ。離れになった庭もいい。ひこにゃんのお出迎えもある。ゆっくりと日向ぼっこをしながら、暗殺されるまでの井伊家の平和を思い浮かべた。
2015年1月9日~
2018/2/25
多くの人が集まる遊戯空間である。和菓子のたねやと、洋菓子のクラブハリエの共演、いわば和洋折衷を回避した、和洋共存と見てよい。国際化時代を背景に、一心同体をなす菓子文化の新たなる提案であるが、それがなぜ滋賀県の近江八幡に起こったかという地方創生が、解明されるべき課題だろう。
藤森照信はそれに手を貸した建築家だが、遊び心満載の演出空間は、多くの賛同を得ている。田んぼのあぜ道の気分を残し、文明開化に引きずられているという奇妙な試行錯誤をパロディとして、この空間遊戯は解釈できる。
多少交通の便は悪くても、自信をもって売りになる商品があれば人は集まる。その確信は、草も生えない近江の商魂だろうか。温泉地の論理にも似て、売りになる菓子を、自信をもって提供する。栗饅頭もバウムクーヘンも確かにうまい。
ヴェルサイユ宮殿を模した和風の近代建築が、ミスマッチの美を奏でる。広大な幾何学庭園はここでは稲の植わりそうな水田からなり、水面からは松島を思わせる岩山が浮かび上がっている。岩には木が生え緑を残すが、何ともとぼけた笑いを秘めて、パロディとなった祝祭空間を盛り上げている。
本館の天井部分は星空を思わせる装飾におおわれるが、実際は蟻の動きを再現したものらしい。ここにも菓子に群がる甘党が、ユーモラスなパロディとなって皮肉られている。温かみのあるペーソスが随所に仕掛けられていて、近代日本のあやまちを感じながら、細部を見れば見るほど面白い。
傾いた柱が連なる喫茶室と販売の店舗は、ガウディのグエル公園を思わせるし、屋外に置かれたミニチュアの家は、クッキーの生地を思わせ、平板で内部に空間はなく、芝居の書き割りのように、戸口を開くとそのまま外に出てしまう。
ハリボテの街という記述もあるが、藤森照信が身をもって建築史家として自虐的に自己解体を試みた自作評ともとれる。入り組んだねじれた思考が、歩き回ると見えてくる。トイレの表示に従って進むが、回りくねった通路のはてに、やっと目的地にたどり着く。その焦らし方についつい笑ってしまう自分がいた。
2018年2月3日~3月18日
ボーダレス・アートミュージアムNO-MA(近江八幡)
2018/2/25
余白を嫌うように画面を線で埋め尽くす。強迫観念に縛られて、心を乱し、安定を求める人間心理の真実が、絵になる。ぼんやりとイメージが浮き上がってくることもある。あるいはそうしたイメージを打ち消すように、さらなる線が重ねられる。
誰かが止めなければ、最後には画面は真っ黒になる。最終的に手を止めたところで作品が完成するのだが、ここでは制作過程が映像で収録されていて、完成作はむしろ映像の方にあるのだということがわかる。
緻密な作業を続けているが、気まぐれに手を置く。そして今日はここまでだとつぶやく。収録されたつぶやきが、アートとは何かを語ろうとしている。もちろんアートという語は出てこない。それ以前の根源的な衝動の問題だ。そのとき暗示的な展覧会名「動く壁画」が、魅力的に聞こえてくる。
旧野間邸を利用したミュージアムの一階は、映像収録されて、動く壁画と化したドローイング。二階はドローイングそのものと制作過程のメーキングビデオで構成されている。4名の作家が選出され、紹介されている。通底しているものはあるが、多様性があり、興味深いキュレーションだと思う。
アールブリュットを特徴とするボーダレス・アートギャラリーNOMAだが、野間清六という名には記憶がある。日本美術史を学んでいた頃に、何冊かその著作を読んだことがある。東京国立博物館を舞台に活動した正統派のもつ意外な革新性に、興味深い違和感を持った。
2018年2月17日~4月15日
2018/2/24
大作はないがターナーの視点がよくわかる作品群だった。若い頃から風景に向かう目は鋭い。しかも緻密で破綻はなく、一貫したスタンスを保っている。田園風景には、いつも家屋があり、人の営みが見える。住居は自然と一体化し、その中に溶け込んでいる。数は少なくとも、必ず人が挿入されている。見過ごすことも多いが大自然と馴染んでいて、
そこには生活がある。カメレオンのように変身する存在に気づき、こんなところに家があり、人がいるという驚きを伴いながら、画面に目を凝らす。労働を描いている場合も自然の意志に従っており、過酷ではない。自然の恵みを丸ごと受け止めて、信頼と確信に満ちた宇宙論にどっぷりと浸かっている。これが10歳代のターナーだ。
安定して宇宙の運行に順行していた世界観が、アルプス旅行を始めたあたりから、様相を変えていく。果ては自然の猛威を前に、空間は調和を崩して、逆行へと至る。荒れ狂う海やアルプスの山岳の驚異が、前面に押し出される。ここにターナーらしさが開花するのだが、それは自然を敵に回した近代の苦悩のことでもある。
荒波を越えて自然を切り開こうとする。もちろん敗北する場合の方が多い。アルプスの山奥に分け入って、悪魔の橋から垂直に切り立った山峡を見る。イギリスという海洋的風土が、スイスという大陸の臍に落ち込んでいく。
ターナーの意義は、自然との調和を失った近代の人間社会が、どう再生していくかという課題にある。自身の目で見て確認し、無数のスケッチによって訴え、説得していくプロセスに、地球規模のダイナミズムを看取することになる。ダイナミックでありながら、驚くほど緻密に描いている。
水彩画の名手は大いなる素描家でもある。こんなところに人がいるという驚きは、近年では「ウォーリーを探せ」というような絵画に結晶するが、それもターナーから引き継がれたイギリス的思考に根ざすものかもしれない。
今回の収穫は、初期のターナーにあった。何年か前のターナー展では、思い切った抽象性に新しい絵画の実験を読み取った。小品の水彩画に限られるが、17歳頃の少年の把握した世界の輝きは、十分な天性を感じさせるものだった。
2018年1月19日~3月11日
2018/2/22
備前焼ばかり見ていると、その対極にある色絵磁器に目が向くのは当然のことだ。岡山藩が目をつけたのが京焼の伝統で、野々村仁清、尾形乾山、仁阿弥道八の雅びな世界にあこがれる。展示のはじめは清風与平の作品が並ぶ。品格を備えた控えめな点がいい。
備前焼の重厚な味わいを武士の気風だとすると、虫明焼は奮い立つ思いを抑え込んだ奥ゆかしさを信条とする。それは乱世を平定した徳川幕府の意向にそった平和主義の象徴とも見なせる。
京を越えることは難しいが、何とかそれに近づこうとする。時に備前焼と融合した素朴な表情を見せることがあるが、決して粗野ではないこの味わいに「むしあげ」の方向は定まっていくのかもしれない。
先日福山の県立歴史博物館で「姫谷焼と福山藩内の近世陶磁器窯跡」という展示を見たが、これも同じく江戸時代初期の福山藩に登場した色絵磁器である。こちらは佐賀の有田からもたらされた技法であるが、同様に白地にカラフルな艶やかさが目に心地よい。控えめな柿右衛門だという点では、赤がより引き立ってもいる。
全容を知るにはまだ物足りないところは多い。埋もれた作例の発掘が待たれるが、今はまだ展覧会を企画するにも個人蔵が頼りという段階であるようだ。佐賀では逆に肥前に対抗するように唐津がある。地域的には同じ佐賀県ではあるが、今は博多の文化圏にある。
邪馬台国の時代には朝鮮半島からの文化は陸路で有明海にまで達したのだろうし、色絵磁器に対しては、唐津焼の重厚な土の力が求められたに違いない。この二律背反が各地に土のダイナミズムを築いている。乱世の躍動と平世の沈着と考えると、興味深い対比をなしている。
2017年12月19日(火)~
夢二郷土美術館
2018/2/22
いつまでたっても古びることのない夢二の秘密をさぐる。後ろ姿で樹木にもたれかかる女性(1)がいい。男にもたれかかる女を描いた人気作もあるが、木に寄りかかる方が孤独でいい。木は大木ではなく頼りなげだ。
二つ折りの屏風で時折、半分が空白のものがあり、ぽっかりと穴が開いた感覚が、女心を象徴するのだろう。作為的な処理ではあるが、庶民は夢二の思う壺にはまってしまう。流行作家はパターンとなった型に、いかに多様性を持たせるかという技術のことだと思う。夢二が長けていた部分だ。
テーブルに女だけが座っていて、いるはずの男がいない(2)。椅子だけがあり、不在感を高める。女は頬杖をつき目は焦点が定まらない。全ては宵待草の歌詞に集約されるようだ。繰り返し女が待ち続ける情景を描いているが、女の背後には決まって頼りなげな細い木が挿入されている(3・4・5・6・7)。黒猫を抱きながら待つ女(8)もいる。
「遠山に寄す」(9)では、男は遥かな山を見ている。女は地に目を向けている。寄り添いながらもこの対比が面白い。何を見ているかわからない女性の表情を、こんなに巧みに描けた画家はいない。夢二の女を何とか再現しようとしてきた系譜がある。小梅ちゃんもそのひとりだ。普遍性をもつが、その原点は「不在を待つ」という永遠のテーマに由来する。神の訪れを待ち続けるキリスト教徒の姿に等しい。
男と寄り添っていても、まだ女は待っている。男は弱々しく、たいていは夢二自身の自画像のようだ。頼りなげな、およそ大木とは言えない物腰が、苦難のキリスト像と対応する。目を開いていても、女は何を見ているのでもない(10・11)。
時には手で覆い目は隠される(12)。ティツィアーノが創造したマグダラのマリアの流す改悛の涙にも対応するが、悲しみのマリアを思わせる西洋絵画の系譜にさかのぼれるのかもしれない。
単なる下世話な男女の痴話話が、純化された宗教的情感へと深化する。論理的にはいつまでたっても来ないゴドーを待ち続ける不条理が描かれるが、論理では解決しない微妙な心の襞をのぞかせようとする。
真横から描かれる顔が多いのも、まともに目を合わせないで、空(くう)を見つめる不可視者の肖像と見ることもできるだろう。女性の視線を通じて、見えないものの存在を描き出そうとしたという点では、夢二の絵を宗教絵画に属させてもいいのだと、私は思っている。(図:上1~7、下8~12)
2018年2月16日(金)~4月22日(日)
2018/2/17
つじかこうと読む。明治の画家なのに古くはない。作品目録を見ると、遺族である辻家には、まだ名品が残っているようだ。さまざまな画題をこなすが、なかでもことにとほけた感じの人物画がいい。「寿仙図」では、おにぎり頭の寿老人が、何とも言えないいい味を出している。白い眉と白い髭が特徴的で、モグモグというような音まで聞こえてくる。
「高士逍遥図」も同じくとぼけた感じの風景画だ。高士が楼門の前に立っている。中国風の建築様式が特徴的で、柔らかな山の峰が連なっている。一群の鳥が煙のように上昇していく。人物は小さく孤高の世界を伝えるが、決して孤独ではない。
「雪中水禽図」も味わいのある一作だ。多くを語らないが、簡潔にものの本質へと、私たちの目を向けてくれる。詩から短歌へ、さらには俳句へと移行した我が国の文芸と、歩調を共にする造形だと言ってもいいだろう。とぼけた感じとは、俳句からさらには川柳へという経過に対応しようとするが、まだそこまでは俗化していないところがいい。
2017年12月2日(土)~3月11日(日)
倉敷市立美術館
2018/2/17
日本画にはじまり、抽象絵画から現代美術までを、解説をつけながら、理解へと導く美術鑑賞講座。小中生が対象だが、老人にもよくわかる。対話型鑑賞という方法論が盛んになって、今までの作品と向き合う沈黙の美術鑑賞というあり方が、問われ直してきている。
はじまりは学芸員のギャラリートークに起因するのかもしれないが、私などは古いタイプの鑑賞法に慣れ親しんできたものだから、一人で静かに見せてくれと、言いたくなってしまう。西欧文化は人が出会う場として広場をつくり、出会わない場として公園をつくったというが、美術館ははたしてどちらだろうか。
作品のそばにキャプションを小さく目立たないように置く名残りは、作品と鑑賞者との直接の対話を促そうとしている。しかし抽象絵画や現代美術を前にすると、ついつい説明をつけたくなってくる。見る方も聞きたいことが増えてくる。
わからなくても、じっと見つめていると語りかけてくるものがあり、それに耳を傾けるのだと教えられても、何も聞こえてくるわけではない。たいていは見る方の妄想であって、作者の意図とはかけ離れている。
作者の意図を理解するのは、最低のルールだという作者至上主義があるが、それを知ろうとすれば大変で、作者の生い立ちから解き明かさないといけない。見るものが自由に見る。そしてさまざまな意見を言い合う。
確かにこれは面白い。私にはこう見える。いや違う、こうに違いない。その時、前にしているのは、理解不可能なものの方が、解釈の多様性があって、対話は続く。しかし前にあるのは必ずしも美術作品である必要はないかもしれない。
道端に落ちていた石ころだって、それを前にして問答を開始することはできるし、古来より禅問答とはそんなものであったはずだ。そしてそこには居合わせる第三者がいて、禅問答の不思議を体感する必要がある。
これは白紙賛という水墨画の極致に近く、妄想が妄想を呼び、とんでもないところまで羽ばたいていく。宇宙の彼方といってもよい。子どもの鑑賞教育という足かせがあると、実現は難しいだろうが、老人は素直に受け入れるかもしれない。子ども向けに書かれた解説書の、字が大きいのは子どものためというよりも、老人のためだったようで、いかに平易に、普段の言葉で目のウロコを落とすかということになる。
子どもの目にはウロコはない。すべては凝り固まった肩をもみほぐすことが重要だ。もちろん老人は、子ども相手のような話し方をされると、すぐに怒り出すので始末に悪いことも確かだが。美術鑑賞のあり方を考えさせてもらった。
本展は常設のコレクションからのセレクションだが、併設の「倉敷っ子美術展」のほうが動員力と迫力では勝っていた。何しろ小学生のパワーはすごい。倉敷市の小中学校が一丸となるとこんなことになるのだという点で、まだまだ美術教育も捨てたものではないと思った。
2018年1月13日〜3月4日
2018/2/17
京都の堂本印象美術館が休館中なので、コンパクトに代表作が集まった。人物画と抽象画が特徴だと思っていた堂本印象に一点、異色な風景画がある。「爽山映雪」(1921)と題されていて、西洋の幻想絵画の影響が入り込んでいる。
ことにボスやアルチンボルドのダブルイメージが、山岳の形に見つかる。一つ見つけると面白くて、次から次へと見つかっていく。岩山が人の横顔に見えるのはボスの「快楽の園」に特徴的だが、中国に行けば、そんな山がいくつでもある。
桜島には西郷隆盛の横顔に見える溶岩があり、小野竹喬が絵にしている。雲を顔に似せて描くのは、イタリアルネサンスで面白がられ、マンテーニャが盛んに描いた。山本二三も描いている。
堂本の場合も、右端の男の横顔(1)は、ダブルイメージの定番をなす。髪は長く、目を閉じて、口髭も立派だ。威厳のある顔立ちは、斜め下から見上げた感じ、どこかで見たことのある顔立ちだが、思い出せない。
真横から見た顔もいくつかある。ダリがシュルレアリスムで繰り返したものと似ている。手前右に目をつむって上向きの男(2)、中景にも同じ姿勢の人物像(3)がいる。鼻が丸い岩山の峰に対応する。中景の横顔の右側に並んで、杖をついた白髪の老人(4)がいる。先の尖った頭巾をかぶっていて、仙人のような風格を示す。
その辺りは住居が密集しているが、それが頭部を構成して、冠に見立てるとまた一つ大きな顔(5)が見え出してくる。ねじり込まれたロープが開いた口をおおっているように見える。そして全体を引いて見ると、顔だけを波から出している姿となる。
最初の男の横顔とサイズは釣り合っていて、両者の間には見晴らしのための楼閣があって、シルエットになった後ろ姿の人物がたたずんでいるように見える。屋根は四羽の鶴(6)が頭をもたげているように見せている。
さらに驚異的なのは背景だが、ここでもとんでもないダブルイメージが隠されている。水辺にあげられた水死者の残像(7)が、水でふやけたのっぺらな顔(8)と抱き合わされて描かれている。よく見ないと見えてこないかもしれない。頭を傾けた上半身の人物が、左手を伸ばしたまま、水につかっている。上向きで衣服の胸の部分ははだけているようだ。
このポーズもどこかで見た記憶がある。オフェーリアが水死体で発見されたような雰囲気が漂う。左側にあるぼんやりとした大きな顔は不気味で、真横に傾けているのだが、目はくり抜かれて空洞になり、口は歪めて苦悶の表情を浮かべている。
これだけが変に生々しく目に飛び込んできた。きっちりとした日本画のルールに沿った歴史物の後で、いきなりキュビスムが入り込んで抽象絵画を日本画で描きはじめるチャレンジャーとしての印象の立場の表明は、こんなシュルレアリスムの目によっても先行していたようだ。(図1~8)
2018年1月4日(木)~2月12日(月)
笠岡市立竹喬美術館
2018/2/12
代表作に「口紅」(大正7)がある。これまでは画集で見ていて、化け猫の妖怪変化のように思っていた。背を丸め、灯った蝋燭に顔を近づけて、まるでそれを舐めるような仕草であったからだろう。実作を前にして立つと、これがなかなかいい。妖艶という語が、ようやく理解できた。
これが京都絵画専門学校の卒業制作というのだから、この美的感性ではそんなに長生きはできないだろうと予測はつく。予想通り38歳で没するが、この年齢は画家として悪くはない。一仕事終える齢であるようだ。ゴッホやラファエロもその頃に死んでいる。
大正期の独特の雰囲気を感じ取ることはできるが、それは京都という古都に埋もれた平安朝の色香に起因するものだろうか。竹久夢二や岸田劉生を虜にした和の感触は、神戸というハイカラな街に生まれた岡本神草にとっても、どっぷりと浸かると這い出せないものだっただろう。
「口紅」を見ながら、確かにそれが化け物だということは、足がないことからわかる。今回、比較するように並べられた甲斐庄楠音『横櫛』(大正5年)が、足のつま先を着物の裾からのぞかせているのと、対比して見ることになる。妖艶な顔立ちにもかかわらず、キリッとしていて、しっかりとつま先に力を入れて立っていることがわかる。しかし神草の場合は、人間ではない。劉生がデロリの美と名付けた生々しい触感性を共有しており、大阪人の村上華岳が仏画に託して、肉の生々しさに目覚めたのも同時代のことだった。
神草はその後、デロリを抜け出て、品格を感じさせる女性像に移行するが、それらは師の菊池契月や仲間の梶原緋佐子にまかせておけばよいものだった。余命もあまりないのだから、最後までデロリに徹することで、「口紅」を越える究極の美に達していたのではないか。
昭和に入って上村松園が、猛烈な勢いで、キリッとした対極の美を打ち出して、京女を描いていくことを考えると、京都という街のもつ、一筋縄ではいかない捻り込まれた美意識の所在を、確かめたい気になってくる。
もっとも松園にしたところで、「花がたみ」(大正4)や「焔(ほのお)」(大正7)といった狂い咲く女の情念を描いていたわけだから、表裏に二分されない複雑な女性心理の真実を、確認しないわけにはいかない。源氏物語も京都で書かれたわけだから、千年もの心持ちの積み重ねは、並な精神では理解できないだろう。
今回は「岡本神草の時代」という展覧会名通り、同時代の女性把握が具体化されていた。神草の前提となった菊池契月と梶原緋佐子や甲斐庄楠音を何点か加えることで、次回はこれらの画家を一人ずつ見てみたいという気にさせるという点で、心憎いセレクションの妙を見せてくれた。
ただ京都国立近代美術館と京都市立芸術大学資料館の、全面的な出品協力があってのことでもあるのだろう。経験豊かな美術館ネットワークの見えない糸が見えてもきた。小野竹喬が切り札だとしても、見ごたえのある作品群を前に、笠岡市はいい施設を作ったものだと感心した。
2018年1月12日(金)~3月25日(日)
2018/2/10
佐賀鍋島藩の優れた色絵磁器(1)の感性に驚きながら、江戸の中期に開花した日本美の洗練に思いを巡らす。古九谷(2)の冷たい色調に比べて、何と柔和な表情だろう。そして板谷波山(3)が展示され、明治に入って完成した色彩感覚の秘密が、解き明かされる。
桃山ではまだほとばしるような原色が、主流を占めていたはずで、これが仁清(4)から乾山(5)への流れを築く。破天荒な型破りと思い切った色彩感が、目を驚かせる。水墨画を基調とした侘び寂びではなく、のちの浮世絵に結びつく市民の芸術を生み出す。織部から遠州への移行は、アートからデザインへの移行でもある。驚かせるものからくつろがせるものへ、時代とともに美は軟化していった。
尖った切れ味を良しとした乱世の美学は変貌する。私はついついここにアルフォンス・ミュシャ(6)やモーリス・ドニ(7)の色調を思い浮かべてしまうのだが、世紀末のパリに開いたおほろげな光に対応した感性がそこにはあったのだろう。
この新たな美意識を絵画で実現したのが、時代は下るが、小野竹喬(8)だったかもしれない。荒れ狂う北国の海や商都の俗的世界からは生まれる余地のない瀬戸内の春とも呼べるくつろいだ空気に漂う柔和な色彩の響き合いが、色絵の磁器に呼応する。それは同じく京都を舞台にした国画創作協会の日本画とはいえ、麦僊(9)や華岳(10)とは異なった体質的風土に根ざしたものに違いない。
陶芸では仁清の京都は、楠部弥弌(11)に受け継がれて、近代的感覚が盛り込まれる。鋭くはない、柔和な感覚がゆっくりと土に染み入って、鈍い光と呼応している。この展覧会、展示されているのは陶芸が中心ではあるが、「色絵」で止めているところに意味があるのだと思った。
2018年2月9日(金)−2月25日(日).
2018/2/10
上映会とは別に写真美術館の全階にわたって映像展示が続き、実験的な試みが数多く見られた。ここでも先に国立新美術館で出くわしたMAMORUの映像インスタレーションが気になった。
今回は5台のモニターが、さまざまな向きと角度で設置され、ちょうどドラマーの前に散らばる打楽器のような様相を呈する。見下ろて眺めるモニターも加わり、ドラムのような響きが期待される。
時折はさまれるオランダの古版画が、意味ありげに過去の歴史を伝えようとする。タイトルは長く「あり得た(る)かもしれないその歴史を聴き取ろうとし続けるある種の長い旅路、特に日本人やオランダ人、その他もろもろに関して」とある。
アジアの豊かな緑の風景にたたずむ女性が印象的で、立ちながら踊っている。立っているだけで、すでに舞踊的なのだ。それは一瞬の絵でありながら、永遠を伝えようとしている。
衝撃性から言えば、エルカン・オズケンの「ワンダーランド」だろうか。シンプルに写された被写体のみで語れるならば、演出は不要ということを伝えている。表現方法を考え、効果的な視覚効果を狙い、インスタレーションとしての映像のあり方を求める前に、いかに伝えるかよりも、何を伝えるかという前提がある。サイレント映画が映像の原点であるという意味で、耳が聞こえず、言葉を失った少年のしぐさは、生々しくテロのありかを語ろうとする。
3分ほどのパントマイムに集約された事件の顛末は、突然やってきて惨殺されたあっと言う間の出来事の一部始終を、正確に再現している。銃を乱射する仕草の後で、少年は顔をしかめて首をはね、身体を頭から二つに切り裂くゼスチャーを続ける。見る者のイマジネーションは異常に高まり、興奮気味な少年の身振りに同化していく。
これは衝撃的な映像ではあるが、アートではないのかもしれない。もちろんアートである必要もない。ここでアートと呼んでしまうと、伝えようとするメッセージよりも形式を優先させることにもなってしまい、かつての新古典派とロマン派の対立の様相を呈してくる。
形式はメッセージだという理論もなくはないが、両者は対立するものではなくて、一体となったときに、アートとしての高みに登りつめるのだというのが、落としどころではある。
2018年1月13日(土)~3月4日(日)
2018/2/9
若い作家の創造力を身近に感じるのが、何者にも代えがたい充実した時間だった。海外経験組の成果発表だが、見る側が国際的視野を養うにもよい機会だと思う。自身の方法論を確立することが、現代アートにとっては不可欠な要素である。
今回は「寄留者(パサジェ)の記憶 」というお題をもとに制作にいどむ。絵画らしい絵画もあるが、数は少ない。多くは与えられた部屋を縦横に使いこなすことに勢力を傾ける。天井が高いのでそれをどう生かすかが、ここでの課題だが、出品者の中には残念ながら、インスタレーションという意識すら希薄なものもあり、せっかくのスペースなのにと思った。
しかし、展示を絶対視する昨今の動向も、行き過ぎると目の高さでしっかりと対面してくれという主張にもなる。アンチテーゼとしてのレジスタンスだとすれば、それはそれで意義ある撤退となる。
何年も前の展示だったが、巨大な切り絵がこの美術館の高い天井から吊るされていたことがあった。正面からは壁に向けてプロジェクターが光を投下する。切り絵はシルエットとなって壁に大きく、拡大されて映し出されている。空間全体がゆっくりと揺れる気がしたが、切り絵はかすかに空気の流れを受けて、シルエットとともになびいていたのかもしれない。
記憶はゆっくりと揺れる光をとどめているが、そのとき確か切り絵に近づいて、そのディテールの見事さに感嘆したはずで、すべてはその視覚体験が優先されている。触れることができないので、紙であるか布であるかはわからずじまいだったとしても、イメージが生み出す映像的特性に目が向いていたことは確かだ。
インスタレーションには違いないが、工芸としての確実な技術に支えられていない限りは、その場で終わり、記憶にとどまることはなかったのではないだろうか。
この時にはこれ以外にも、画家がタブローを超えて空間に挑む姿が目立っていた。これもあいまいな記憶だが、絵画が祭壇のような装置に埋め込まれ、全体として一つの物語を伝えようとする。
重要なのは個々の油彩画の出来栄えであるが、個展空間として場を共有する限りは、新たな生命が作品間に誕生するはずで、鑑賞者はそれに立ち会うというライブ感を前にしている。
そんな中、今回の記憶に残るのが、Mamoruの生み出す空間演出だった。ニューヨークとハーグに学び、肩書きはサウンドアーティストとある。モニターとプロジェクターを組み合わせて大小5面からなる映像に、音を加える。
メインになる映像は、「Further/遠くへ」(2016 10'10)で、ネーデルラントダンスシアター所属の刈谷円香のパフォーマンスをカメラが追っている。縦長のモニターには手の指の動きだけが映し出される。固定された風景だけの画面がさらに加わり、ときおり英語の単語がはさみこまれる。
スタイリッシュでセンスの良さを感じるが、無国籍的でアジアンテイストを加えたエスニックな香りがして、見守っていきたい作家だった。目と耳にゆったりとした時の流れを感じさせてくれるもので、空間演出としても優れている。5.1チャンネルのサラウンド音声を目で楽しませてくれるものということもできるかもしれない。
また糸を用いたドローイングを展開させた盛圭太も、これまで見たことのない様式だという点で、目を引いた。糸という均一な線は、それだけで視覚をとらえるものだが、長い伝統は洋の東西を問わず、糸を美の宝庫としてきた。多くは脇役として身体に奉仕していたが、ここでは絵画にとって欠かせない素描の線となって、注目の対象となっている。
ほつれるという糸独特の表現が、ところどころに散りばめられ、それは苛立ちであったり、不安であったりを伝える。素材でありながら、意味する要素は大きい。ピンと張ったり、たわんだりするだけで、心の糸に作用して、琴線にふれることすらある。
糸遊びをする手を大きく映し出した映像作品もあったが、糸のもつ弛緩の中に、まるで生き物のような輝きが見えて、足を止めて見入っていた。これぞアニメーションと思ったが、それは語意からして命を吹き込まれた糸のことではなかったかとも思った。
猪瀬直哉は本格的な画家である。旧来のということもできるが、イギリスに学んだというからには、やはりターナーだと思うが、ターナーよりもドイツロマン派に近い気もする。とはいえやはり現代絵画ということになるのだろう。
壮大なイメージはマーラーやリヒャルトシュトラウスの交響曲が聴こえてくるようだし、明らかにキューブリックのモノリスを思わせるものもある。
それが顔を持たないキューブであるという意味でも、キューブリックとキュビスムが、語呂合わせになっていて、ブラックのエスタック風景の系譜の延長上にあるとのだと、私は解釈した。下手な展示計画を要さなくても、安心して見ることのできる絵はあるということだ。
2018年1月10日(水)~2月12日(月)
2018/2/10
狩野派を見直すにはよい展覧会だった。狩野派と言えばアカデミズムで面白みに欠けるものと、長らく思い込まされてきた。権力に奉仕するという点で、芸術を自立の象徴と見る者にとっては、処世術に長けた現世主義を排して、理想に生きたかったに違いない。保守よりも革新に身を置くのが、アーティストの立場だという風潮もあった。狩野派は権威であり、否定されるべき悪役として君臨してきた。
墨を使うのも金を使うのも狩野派だった。それを見事に使い分けたということだ。それがなければ金地の上に墨を載せるという琳派の発想も出てこなかったかもしれない。洛中洛外図も岩佐派に結びつけて風俗図として理解したいが、戦国武将の夢の実現と見れば、狩野派のカテゴリーということになる。
狩野永徳作とされる上杉本と岩佐又兵衛作とされる舟木本の違いは、京の街を外から見るか、内から見るかの違いのようで、風俗画と見れば、舟木本が圧倒的に面白いということになる。
しかし狩野派の視点がなければ、又兵衛は人物のディテールにこだわるあまり、都市としての社会性を外れてしまい、閉鎖世界の隠蔽性をもっと早く露出させてしまっていたかもしれない。
2018年2月10日(土)~24日(土)
2018/2/10
やりたい放題のパワフルな展覧会である。廃墟と化した地下の2フロアを使っての、東京ミキサー計画とも取れる。都市計画を画家にまかせば、どうなるかという提案だ。ルネサンスの頃、都市を考えるのは画家の領域だった。
ブルネレスキやピエロ・デラ・フランチェスカは、透視図法を学んだ延長上に理想都市を考えた。レオナルドやミケランジェロもその思想を受け継いで、万能の才を極めて、都市構造を模索した。
そして現代、都市の建設をあきらめた画家は都市の破壊を通して、都市と関わろうとした。もの派のアーティストは、自分たちにできるのは、地球にたまった埃をはらうことぐらいだと言って、大地に大きな穴を掘った。
それ以前、白衣を着て、実際に東京の道路にたまった埃をはたくアートプロジェクトが、東京ミキサー計画と並行して行われた。東京オリンピックを前にした今回のプロジェクトも、その延長上にあり、スーパーゼネコンがスポンサーにつくことで、現実味を増したものになっている。
建築家にまかせても当たり前過ぎて面白くないという、常識はずれの発想が、会田誠に目を向けたということだろう。次は大竹伸朗になるような気がするが、してみると都市論を語れる画家が、現代アートの領域で登場してきたということでもある。
各地で開かれる芸術祭で鍛えられた技を十二分に発揮して、あっと驚く空間づくりのハウツーを披露している。ゲリラ的ではあるが、非合法的ではない。都市の再開発や既存の建築物の再利用を手がけてきたリフォーム業者の知恵も総動員して、みごとな打ち上げ花火となったようだ。
書き殴られた無数の文字は、落書きとして葬られたとしても、目に焼き付いた衝撃は、会場を訪れた私たちの中で、確実に燃焼している。半世紀前の安田講堂で、こんな光景を見たような気がする。
2017年12月22日〜2018年3月4日
2018/2/10
父と娘の2人展の形だが、父はもういない。娘もすでに高齢だ。父は高名な科学者、娘はアーティストであり、立場は違うが、同じものを求めていたのではないかというのが、この展覧会の企画意図であるようだ。
父が追い続けた氷の結晶は、美の宝庫であり、自然は偉大な芸術家だということを教えてくれる。娘は若い頃はビデオアートを牽引してきたが、近年は霧の彫刻家として知られ、父の世界に一歩近づいた。
父が娘に送ったすてきな言葉が、掛け軸になっていた。硬くて面白みのない字に、下手な雪の結晶の絵が添えられているが、そこにはこう書かれている。「雪は天から送られた手紙である、芙二子のために」。掛け軸は巻物となると奥義を伝える家宝となる。たぶん公開しない方がいい一点に、父と娘の見えない糸を見てしまった。
私はヨコハマトリエンナーレでの雨月物語と題した霧のパフォーマンスに出くわし、感銘を受けたが、その時思ったのが、皆んなが携帯でいっせいに撮影しだしたので、これはビデオアートではないのかということだった。霧の彫刻というと少しニュアンスは異なってくる。
今回はエルメスのビルの8階のフロアを霧で埋め尽くした。離れて父の展示コーナーもある。グリーンランドと名づけられて、寒々とした響きを持たせると、父の氷の世界との競演が意識づけられる。ただ霧を発生させるだけで、今まで見ていた世界は変わる。
以前、下呂温泉に泊まった朝、霧が立ち込めて、風景は一変し、水墨画を見ている気分になったことがあった。つまりは印象派が発見した世界観の逆転劇がそこにはあったということだ。私たちは何を見て感動しているのだろうかと考えたとき、実におぼろげな感覚に出くわす。
霧が立ち込めたとき誰もがカメラを向けるが、一体何を取ろうとしているのか。もちろん霧であるのだが、それは大気のようなもので、そのヴェールの向こうには、明確な実体があるはずだ。
たいていはあるはずの実体に向けてカメラを構える。水墨画を感じた下呂温泉には遠景に山の峰が連なっている。にもかかわらず霧がかかるまでは、山は意識に上ってくることはなかっただろう。霧が幻だという限りでは、映像作品の延長にあることは確かで、中谷不二子のアーティストとしての展開が読み取れた気がした。
映像は常にパフォーマンスとだき合わされて成立しているようだ。映画館のソファにうずくまっているだけでは、そのことは見えてこない。映像作家にとっても、映像そのものよりも、それを見せる仕掛けを作ることに視点は移動している。
2017年12月19日(火)~2018年3月4日(日)
2018/2/10
レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿をすごいと思ったことがあるが、それに劣らないものがある。見せようとするものではないという事実が、下敷きにされている。他人の日記を盗み読むようなものでありながら、百科事典を前にした時の信頼感を味わってもいる。
しかもこだわりを示したのが、キノコだというのが面白い。変形菌slime mouldという動物とも植物とも取れない奇妙なな生命体に魅せられて、その原色の世界にのめり込んでいった。その幻想性は科学を越えて芸術へと至るものだ。
ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」に22種の変形菌が描かれているという説があるが、ボスもまた自然観察を通してこの神秘の世界に入り込んだ熊楠と同種の人間だっただろう。確かにそこには底知れない知的好奇心が横たわっている。
大英博物館で来る日も来る日もスケッチを重ね、写経をするように写し取った万巻の書は、今日のコピーペーストという安直な知恵からは、想像しがたい徒労のように見える。しかし写し取ったノートは、山のように積むことのできる確かな重みを持っている。つまり知恵がかたちを取ったということだ。知恵を得るのは目ではなく、脳でもなくて、手なのだということを、それは言わんとしている。
そしてそれを実現するためには、ロンドンにまで足を運ぶことが必要だ。手と足が知を支えるのであって、それが目や脳に先立つ重要な出発点となる。熊楠には頭脳ではなく、身体を感じることができる。その名の響きの通り、動物と植物を極めようという意志があり、獰猛な大木としての名が、体を表している。
熊楠全集や文庫本になった著作集を、私もバイブルのように手元に置いているが、こうした手書きノートや標本を貼り付けた図譜を前にすると、身の引き締まる思いがする。飽くなき探究心を前に学者魂を見た気がした。
2018/1/6(土) ~ 3/11(日).
2018/2/9
ここでの主題は、ブンダーカマーというドイツ語、日本語では「驚異の部屋」ということになる。アートというよりも博物学、美よりも好奇心が先行する。時にはグロテスクにまで至るが、底辺にあるのは人間の底知れない欲望であり、五感の満足を越えたところに成立する知的好奇心ということだ。コレクションは実はここから始まる。見たい知りたいという知性は、収集欲を加速して、収集癖へと至る。
今日のコレクターに継承されている貪欲なまでの収集にかける狂気は、ハプスブルク家のルドルフ2世という個性の中に集約される。そしてウィーン以上にプラハという都を、異質な魅惑のヴェールで覆い尽くしていく。常軌を逸した錯乱が、視覚化されていく。ワニの剥製が天井に張り付いた展示室の情景は、当時の脅威の部屋を写し出した版画に登場する。
好奇心という飽くなき欲望は、美を通り越してグロテスクやエロスに至るという点が興味深い。アルチンボルドではさらにそれを越えてユーモラスな笑いにまで到達したようだ。笑いを共有できないほど辛いことはない。笑うためには知性と教養が必須のアイテムである。
このことは語学の勉強のはじめで、誰もが経験する一緒になって笑えないという苦痛からもわかる。怒りは知を越えて理解できるが、笑いはそうはいかない。なぜ笑っているのかを、みんな知りたがるのだ。ルドルフ2世の生み出したのは、そんな世界だったのだと思う。
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倉敷市立美術館での今年の卒業制作展で学生にランキングを書いてもらったが、その中で何人もが上位にあげたものに、「驚異の部屋」を下敷きにした修士課程の学生の制作した興味深い作品があった。北村英久「Meraviglia 2017」である。アッサンブラージュとして、作者自身がこれまで収集してきた珍品を緑の箱に収めた作品である。
ジョゼフ・コーネルを引きながら、三つのキャビネットが、異なったコンセプトによって分類されている。中央にはワニの剥製やダチョウの卵、貝殻、金属製の燭台、蝶の標本などが並ぶ。ワニが宙に浮かぶように、壁に貼り付けられているのは、先述の版画に登場した驚異の部屋のオマージュだろう。
それにしてもこんなものをよく集めてきたものだと驚くが、岡山で開かれるアンティーク市に出向いての蒐集で、年季が入っている。相当な資金も投入されてきたのだろうと予想されるが、修了制作の域を超えている。
これが果たしてオリジナリティのある制作かと言われると、難しい問題を抱えているが、特殊な世界観をもった、あっと驚くものであることは確かだ。こいつは一体何者だと思わせるところに、現代もルドルフ2世が生きていることが証明される。
この修了作品は会期が終わると解体される。そして各パーツは取り外され、収蔵庫に戻される。後にまた別の作品になって展示されるまで、休息すると考えると、これまでにない作品概念がここでは誕生しているのだと気づく。
ちょうどキュレーターが自館のコレクションを使って展覧会を企画するのに似ている。収集はこれからも続くだろう。無尽蔵を目指しながら、そのコレクションの一部を公開するというコンセプトにこの修了制作の意義があるのだと、私は解釈している。もちろん作者はそう考えなくてもよい。
2018年2月10日~3月25日
2018/2/24
日本でタピスリーの展覧会は珍しい。本格的にタピスリーを研究する学芸員が育ったのだと、楽しみにして足を運んできた。どこから借り出されたのか気になったが、リストを見ると全て国内から調達されているようだ。長年の研究成果が形になったのかと期待したが、手軽な展覧会のようだった。腰砕けになりながらも、日本でのタピスリーのコレクション事情がよくわかり勉強になった。
展示は4部構成からなる。はじめは「コプト織の世界」で大阪市立美術館の所蔵品である。エジプトに開花した6世紀以降の古代の造形で、傷みはかなりひどく、展示には無理がある。それでも薄暗い照明の合間からのぞくと、コプトならではの文様の妙に出会うことができる。素朴な人物像が語る宗教性は心に響く。
キリスト教に根ざした宗教的象徴に縁取られているが、布や紙に描かれ時代を経てくすんでしまった仏画と同じで、デジタル映像を駆使して展示に工夫を凝らすと、見違えるほど魅力的なものとなるに違いない。
2部では「キリムからペルシア絨毯へ」と題される。4メートルを超えるタピ(敷物)が床ではなく、壁面を埋め尽くし、見ごたえがある。時代的には中世様式に従っているが、制作年は21世紀とある。所蔵者は全て千代田トレーディング株式会社とあり、近年の復元であるようだ。
ペルシア絨毯の栄光の時代と技法が今によみがえる。イミテーションと言わない方がいいのだろう。ロシアイコンと同じで、素材は変わるが、原型は踏襲される。肉体は滅びても、魂は不滅だと言わんばかりに、西洋の論理は覆される。実用に供するには古ぼけた美術品であるわけにはいかない。
3部の「西洋の綴織」は女子美術大学美術館の所蔵で、旧松方コレクションを継承している。16世紀のフランドルに花開いたタピスリー(壁掛け)の重厚さが、伝わってくる。ことに洗浄と修復を終えた作例は見違えるほどの美を誇っている。近年、クリュニー美術館から一角獣のタピスリーが日本に招来されて、話題になったのを鮮明に記憶している。
オリエントの文様と装飾に対して、西洋は絵画を主張する。当然壁に掛けられて美術品として機能する。手間をかけて織物にしなくとも、絵画のままでよいではないかというのが最大の疑問だが、ルイ14世のもとヴェルサイユで、宮廷美術の中心的存在となっていく。
4部の「明治期の綴織り」は、川島織物セルコン織物文化館からの出展だ。西洋のタピスリーに魅せられた日本の文明開化が、江戸時代を通して培われた手わざの伝統と結びついた。それはまさに職人が仕上げた工芸品である。下絵も大切に保存されていて、絵師と織師の見事な出会いであったことがわかる。ルーツはもちろん浮世絵の共同制作にある。
川島織物は今に続く唯一無二のブランド名となった。絵画は糸を織り込む作業を通じて、巨大なミニアチュールと化してゆく。目を近づけるとミリ単位のモザイク画であることもわかってくる。やがては舞台の緞帳という大仕事へと発展していく。
本来は豪華絢爛な装飾美術のはずである。突端の展示に華やかさが欠けていたからだろうか、薄暗いイメージがつきまとう展覧会になってしまったようだ。染織の展示にはライティングの制限というのが常につきまとう。
そんな中で輝きを放ったのが、会場入口に置かれた看板と、チラシのレイアウトだった。「イメージを織る」という縦書きの書体とレタリングが実にいい。チラシは傾けると横文字が浮かび上がってくる。私の期待はこのチラシから始まっていた。
2018年1月21日(日)~5月6日(日)
2018/2/6
かなりの規模を誇る、現代アートに特化した展覧会である。チラシを見る限りでは、謎めいた不可解な行動に目が向いている。非日常的な動作を見ながら、何をしているのかが気になる。現代アートのすべての側面を紹介するというよりも、企画者の意図が反映しているのだろう、パフォーマンスに興味の中心はあるようだ。
「トラベラー」というわかりにくいタイトルを読み解く以外にないが、普通は主題を明確にするはずのサブタイトルがますますわかりにくくする。「まだ見ぬ地を踏むために」とある。もちろん私が足を運んだのはこの不可解なタイトルと、フライヤーに掲載された謎めいたポーズにそそられたからだ。
宙に浮いた小石を前にした男を写した2枚の写真がある。一方は息を吹きかけているようだ。他方は息を吸っているように見える。ただ不可解でしかないが、前後の時間差を写し出していることは確かだろう。しかしこれが映像なのか、写真なのか、あるいは精巧に描かれた写実絵画なのか、はたまた生身の肉体なのかは、この時点ではわからない。
同じく地面の丸い穴から顔をのぞかせる女性がいて、飛びあがろうとしているように見えるが、真意は不明だ。ただ謎めいた仕草が気になるという一点で、共通してアクションという語を内包している。
行為は美術にもついてまわるが、これだけでは作品にはならないというのが、通常の考えであった。しかしアクションの痕跡を記録する媒体が多様化すると、それを記録すること自体が、作品化されることになってくる。
ビデオアートの出発点で、パフォーマンスをともなったメディアアートとして自立していった経緯を見ると、映画とは異なった表現手段として、カメラを手にしたパフォーマーとしての行動が、作品化されたということになる。
塩田千春は今では蜘蛛の糸の造形作家として名高いが、ここではそれ以前の泥水を頭からかぶったパフォーマーとして登場する。それは自身が登場する写真であり、映像作品だが、記録でしかないという限りでは、やがてはセピア色に還元されるノスタルジーに過ぎないとも言える。
以前東近美でみた「水浴考」という興味深い展覧会で塩田千春に出くわしたが、現在のような造形性はまだなかった。一回限りのアクションにかけるというのは、美術のめざす究極の選択にちがいない。後に残らない潔さを良しとする美学が、美術と対極にある舞踊を憧れるのである。
それは音楽のような抽象性ではなくて、具体としてしか言いようのない要素を含んでいる。音楽になぞらえて抽象絵画が成立した以上に、物質性に帰属したということだろう。モノそのものの果てに肉体がある。
ザ・プレイというパフォーマンス集団の軌跡を取り上げたのもこの美術館だったが、記録写真と再制作を通しては感じきれないものが残されたのは事実で、それは潔く消滅しようとしている美を無理矢理に引きずり戻そうとしているふうにも見える。
回顧展は博物館の仕事ではあっても、美術館の仕事ではないような気もする。トラベラーがセンチメンタル・ジャーニーにならないことが必須であって、企画者もそのことをよくわかっていて、未来に向けて、「まだ見ぬ地を踏むために」という自戒となったのかもしれない。
2018年1月13日(土)〜2月25日(日)
2018/2/3
フジタの描く子どもの意地悪げな顔立ちに、子どもが本来もっている残酷な本性が見える。目のつり上がった女性の冷ややかな眼差しに、ファムファタールから続く、危険な女の魔力が見える。可愛いはずの猫が、一瞬見せる執念深さに、身が凍る思いがする。
それなのにフジタは、これらを愛し、描き続けた。それは時代の感性を嗅ぎ分ける嗅覚に由来し、世紀末の退廃を払拭し、新しい美の誕生を歌い上げるのに、必要な手続きだった。
おかっぱ頭に、ロイド眼鏡とチョビ髭という、狂言回しの道化風の三点セットは、ヴィジュアルの世紀を予感する。それに加えて、ピアスが身体を傷つける快感も自覚していて、破滅という甘美な誘惑に身を委ねる。
それらは変装道具だが、確かに藤田は変装している。トリックスターを演じるためには、隠そうとする何者かがあるはずで、おどけてみせることで、真実を隠蔽しようとする。一般には照れ隠しと言うことだが、では何を隠して変装しているのか。
藤田は二つの顔を持っている。藤田嗣治とレオナール・フジタである。日本人とフランス人と言いかえてもよい。二重国籍を生きながら、最終的にはフランス国籍を取得して、フランスに葬られた。隠しているものを知るには、変装前の顔と比較するのが、手取り早い。二枚の写真を見比べばいい。
時代に翻弄されたということも確かだ。それはエコール・ド・パリの画家たちに共通する資質でもある。パリの異邦人、あるいはデラシネという語もある。根無し草のもつ自由主義には、根を張りたいという自己拘束がいつも同居している。それが本心だとして、悟られることを回避して、変装してみせる。仮面は身を隠そうとして、いつの間にか目を引くツールと化している。
何度か日本に帰国しようとしたが、いつも軟着陸で終わった。仮面を受け入れてくれなかったのである。そして口をつぐむことになったのが、他ならない戦争画の問題ということだ。積極的に日本人になろうとして村八分になった。アートをプロパガンダとして利用してしまったからである。
自虐というには無垢な気遣いが、絵はがきや絵手紙には見えてきて、今回の展覧会はそんなプライベートな側面を通して、フジタの真実に出会うことができた。結婚直後、妻を残してパリに向かい、そのまま帰ってこないのも無謀だが、60歳を過ぎて単身でアメリカに渡り、置いてきた妻を恋しがる姿も異様である。まめに綴られた絵手紙の中で見えてくるのは、無謀というよりも無垢な魂であるようだ。
本の挿絵では小生意気な悪ガキやいたずら好きの猫が、主役になる。大上段のタブローにはない魅力が潜むが、もともとが線の画家であったことを思うと、こちらの方にフジタの本領はある。ごくはじめの絵はがきは、アールヌーボー調のグラフィックに満ちていて、藤島武二や竹久夢二の素地と共通する。
古色を帯びた書籍は、展示ケースのなかでは、見開きのページしか見ることはできない。手に取ってフジタの挿絵や装丁を、堪能したい思いにかられる。それは壁面とは異なる知的好奇心と向き合う瞬間でもある。
パリに息づいた重厚な出版文化に、どっぷりと身を委ねる高雅な味わいを、今は絶版となった限定部数の詩集の中に見いだすことができる。できればそれをフジタの挿絵と合わせて読み込んで、日本語訳をつけてみたい気になってくる。著名な詩集にはない時代の息吹が読み込まれているはずだ。
同じフランス語だという限りにおいて、文字のレイアウトやフォントや、プレスの刻印にまでも時代は染み付いているようだ。詩文を覆うようにフジタの絵が重なると、そこには光悦と宗達の典雅な二重奏まで聞こえてくる。フジタはきっとこの桃山の知的伝統を下敷きにしていたはずだ。さかのぼれば、平家納経だっていいはずだ。千年の都ということなら、京はパリを上回ってもいただろう。