没後110年 荻原守衛〈碌山〉ロダンに学んだ若き天才彫刻家

20201009日~1129

井原市立田中美術館



 若い才能の評価は作品数が5点もあれば十分だ。「デスペア(絶望)」を見ると、ロダンばりの裸婦の背中が見せる表情の豊かさは、悲痛が先行しているとはいえ、日本人離れして見える。


 最終的には「女」に行き着くが、日本を取り戻すぎりぎりの選択だったようだ。小柄の女性である。不自然なポーズでの停止は、腰をかがめることに苦のない農耕民の土着を意味するのだと私は思う。長い脚で飛び跳ねるバレエダンサーとは対極にある土臭い粘りが、粘土の組成と呼応している。土をこね耕すときと、田に苗を植えるときとは、自然は異なったふたつの表情をみせる。人のがわに立てば、発見と発明の区別となるが、挑戦と祈りと呼び換えてもよいだろう。


 地面から生え出て伸び上がろうとするしぐさは、不在の重さを背に感じている。後ろに回した手がその不在の重みを支えている。前に伸ばされた顔が、その重みを確かめようとして振り返っているようにも見えるとすれば、それは他ならない日本人の見せる「子守り」の姿と重なってくる。西洋美術で定番の聖母子像には子を背負うかたちはない。この日本独特のかたちに託して、日本のロダンを模索した荻原守衛が挑戦をしかけたと受け止めてよいだろう。


 さらに深読みをすれば、不在の子とは何を意味するのか。母と子で言えば、ミケランジェロのロンダニー二のピエタは、母が死せる我が子を後ろから抱きかかえているが、見ようによれば、子が老いた母を背負っているようにも見える。それは子を背負う子守唄の図像学に根ざした日本人特有の解釈かもしれない。背負うもののないはずの女の背に、はっきりとした重みの跡が、肉付けを通して見られるように、私には思われた。モデルとなったのは守衛最愛の相馬黒光である。彼女は息子をひとり亡くしている。夫に代わり守衛はよく子どもたちの面倒を見ていた。道ならぬ恋に悩む封建と自由の狭間での、進歩的な女性のもつ前進と後退が、守衛の手を借りて、見事に造形に象徴されて見え出してくる。


 何年か前、新宿中村屋のギャラリーで見た時は、あまりにも手狭だった。今回、井原であると知り最終日にやっと間に合った。この企画展を最後に長期休館に入るようだ。この先の訪問はいつになることか。冬の日の夕暮れ早く、感慨深く足早に井原の駅へと向かった。



by Masaaki Kambara