68回日本伝統工芸展 岡山展

20211118日 – 1212

岡山県立美術館


 人形では一様に「たたずまい」の極めの美が、求められていく。これが西洋彫刻との相違点だろう。気品といってもよい。ふとした一瞬がみせるしぐさが、どれだけ未来と過去を取り込んで現代に生きているかが問われている。歌舞伎で目を寄せてあらぬものを見ているしぐさに等しい。身を固めて留まらざるを得ない。立つものは多いが、座るもの、寝そべるものも、それなりにポーズをとめて、永遠と一体化しようとする。


 漆芸でも象嵌でも、箱の装飾は、なかに何が入っているかが気にかかり、どれだけわくわくするかで、良し悪しは決まる。閉じられた口は、のぞきたくならなければだめだ。うちに金魚を描いた鉢と、蝶が舞う鉢があって、対比をおもしろく見た。のぞきみて蝶との出会いの逆説をおもしろがるか、金魚鉢の道理に与するかという択一となる。鉢や椀の内と外には落差があって、どこからも写真を撮ることができないように身をよじるという反骨精神もいい。立ちにくい形は、手を添えたくなるかどうか、大ぶりの皿は手に取りたくなるかどうかに優劣はある。六角形の真っ白の高杯を複数並べた展示が気に入った。シンプルな柱と天井からなる白亜のガウディ建築を連想させる。ダイナミックなスケール感を宿して、神域にまで達しているように見えた。


 染織では着物のかたちは、みんな同じなので、自然と題名と図柄のパターンに目が向く。「想い出」と題された観覧車がいい。「バタフライ」も図柄としてはおもしろい。「雨音」ではデジタル音が聞こえてくるような雨粒で、伝統工芸への挑戦と受け止められる。「山並」はピラミッドを思わせる尖った山なのに、裾の湾曲に呼応して、まるみを帯びた四国の山並みに見えてきて、あっと驚いた。染織は繰り返されたパターンがどれだけ羽ばたくか、連なりがどれだけ飛躍するかが見どころとなるのだと思う。


by Masaaki Kambara