浄土寺 国宝浄土堂

快慶作 阿弥陀三尊立像


2022/7/22

 西脇からの帰り、小野の浄土寺に立ち寄った。30分ほど座り込んで、西日が入ってくるのを待っていた。空間の演出力を感じ取ることが可能なのは、太陽の動きを自覚するときだ。雲に隠れて太陽は出入りを繰り返す。入ったとき薄暗くて阿弥陀像の顔は見えなかった。じっと見ていると目は慣れてきてぼんやりと輪郭をあらわしてくる。それにしても大きい影だ。解説によると、5メートル30センチの木彫でしかも立っている。脇侍を二体ともなって三尊像として立っている。雲の上に乗っているという想定である。西方浄土からやってくる来迎図を実感させようとして、「ひとみど」という背後の木戸は開け放たれていて、時おり直射日光が入ってくる。

 拝観時間は5時までなので、直接仏像の背にあたることはなく、床にあたった光が照り返し、朱に塗られた天井や柱を明るく照らし出す。正確にいえば天井はなく、巨大な仏像が天井を突き破ったという印象だ。この間接光によって仏像の顔が一瞬くっきりと浮かび上がる。息を呑むその偶然は計算されたものにちがいなく、一年を通じていつでも出会えるものではない。ある限られた日数に出会うことのできる幸運、あるいは奇跡を感じさせるものだ。今日がその日なのかもしれないし、もっと手に取るように見える日があるのかもしれない。それがリピーターを呼ぶことにもなるが、富士がいつも表情を変えて、見るものの心を映し出すのに,それは似ている。いつ行っても山の峰が見えないと嘆く人もいる。

 私は今回で3度目だったが、まだ観光写真で見るような光景には出会っていない。それは天候の問題でもあるし、見るがわの感性の問題でもある。写真うつりという点で言えば、紅葉期の京都の観光ガイドと同じで、こんなのあり得ないという実感をともなうものだ。鎌倉時代の人の目は、どれほどの視力をもっていただろうか。私たちよりも豊かな感性を備えていただろうか。少なくとも加工された写真のイリュージョンを前提にはしていなかったはずだが、夕陽の頃に行けという伝聞は広がっていたにちがいない。

 今は国宝となっている建築も、阿弥陀仏が雨やどりをする覆いにしか過ぎない。仏像の表情は暗く簡単には顔は見せないという演出を加えることで、みごとな舞台小屋となっている。今では木戸銭はワンコインだが、そこでは知を駆使して鎌倉彫刻の傑作であることや快慶の偉大を観察するまでもなかった。かつては世の無常を感じ取った傷ついた鎌倉武士も見上げただろう。特攻隊に志願した少年兵も見たかもしれない。真正面に座り込んで見つめるだけではなく、病み上がりの心と身体が手のひらに感じ取ったのは、千年近く繰り返されてきた、うつろう時の経過だった。床はその重みと体温を宿していたように思う。拝観者は数えるほどだったが、仏像だけがぽつねんと立つ堂内には限りなく愛おしい時空間があった。手を合わせて念仏を唱える女性の声も聞こえている。

by Masaaki Kambara