線の迷宮〈ラビリンス〉Ⅲ 斎藤芽生とフローラの神殿

2019年10月12日(土)~12月1日(日)

目黒区美術館


2019/11/29

 ドクドクしさとケバケバしさとを兼ね備えた異形の感性は、一度見ると忘れ難く、いつまでも尾を引いている。以前見て強烈な印象が記憶に残るが、何の展覧会か思い出せないでいた。今回活動歴を見て、2009年のことだとわかった。国立新美術館のアーティストファイルというひとり一部屋で7人ほどの選抜だったが、なかでも群を抜いていた。

 日本に住む誰もが共有する「憑依」という語で言いあらわせる怖れがある。きつねつきが代表的なものだろうが、昔話で聞いて、心の深層に根をおろす。カミのやしろに祀られた原色の呪文がある。カミと言っても、神であるかは定かでなく、オオカミの呪いがかけられている。驚異的なイメージの氾濫だが、誰もがいだく、民族の血に内在した幻想が共有されている。

 「さいとうめお」という名が男性なのか女性なのかを、以前から気にかけていた。今回はなんとなく女性だと結論づけたが、結局のところわからないままだった。卒業制作で描かれた自画像が、二点並んでいて、これでわかるはずだったのだが、同じ人格に宿るアンドロギュノス的曲面を楽しんでいるような出発点に、改めて興味をもった。たぶんどちらかに決する必要はないのだろうと思う。鋭い感受性は神に奉仕する鋭敏な巫女的感性の持ち主なのだろうし、緻密な描写に向けた作画計画は、レオナルドのような骨太の知性を必要としている。

 植物に向かう観察と、背景の自然との交感を読み解く姿勢は、このルネサンスの巨匠を彷彿とさせる。今回、リンネの植物図鑑「フローラの神殿」(1799)を合わせて展示することで、自然観察が生み出す想像力の驚異と神秘が、脈々とこの作家にまで引き継がれた、知の系譜であることを、証明してみせた。学術化されたパロディの語法がおもしろい。これもまたまじめくさっていて、レオナルド的だ。

 目に焼き付くような赤がいい。西洋画の赤ではない。日本が漂泊と土着の末にたどり着いた赤だと思う。鈍い情念がマグマのように沸騰している、内にこもった重低音を響かせる色だ。自宅の日常生活が再現されていたが、書棚に並ぶ蔵書には「呪」の語が目につく。さらには「廃墟」「迷宮」「地霊」「禁忌」「賎民」「巫女」など、民俗学に根ざした語が続いている。


by Masaaki KAMBARA