海洋堂と博物館

2023年07月15日~09月03日

兵庫県立歴史博物館


2023/07/17

 フィギュアが並んでいる。無数といってもよい量だ。はじめは子ども向きのテレビ映画やアニメのキャラクターだったが、モンスターのシリーズを経て、エンターテイメントを脱して、ミュージアムグッズへと進化していく。さらには現代アートの美意識と同調して、博物館から美術館へと領域を広げていった。そこではかつては彫刻と言っていた立体表現の老舗に戦いを挑み、現代の商魂も呼び込みながら、商品化が続いている。ミュージアムショップ全盛を支える重要な看板でもある。博物館のみどころは、ながらく模型の展示にあった。それはオリジナルのもつオーラに頼らないで、そっくりという価値を一義にして、サイズを自在に変化させて、増殖してきた。そっくりという特性を最も際立たせたのが、目に見える世界ではなくて、モンスターや怪獣や恐竜だったというのが興味深い。その延長上に仏像日本美術の名作が扱われることになるのも、当然の帰結だっただろう。ルーヴル美術館やエジプト美術館の土産物にもふさわしいものとなる。

 海洋堂宮脇修という名には、息の長い造形への執念が輝きを放っている。現代アートの名では、村上隆と杉本博司が思い浮かんでくる。一方はネオポップという動向の中で、旧来の美術の枠を乗り越えるために、確固たる技巧と理念を必要とした。アニメのキャラクターが示す、クールな身のこなしに、現代を支える美意識との対応を直感的に読み取ったものと思える。リアリティとは一線を画した少女のイメージには、等身大に引き伸ばすことによって、コミックマンガにはないスケール感を獲得している。

 今回の展覧会で観客を迎えたのは、大魔神と北斗の剣だったが、ともに同一のサイズが示す身体性は、フィギュアのもつふたつの課題を引き出していた。盛り上がる筋肉に臨場感を目の当たりにしながら、巨大な鉄の塊にイメージを拡張している。彫刻はそのサイズでしか完結しないが、フィギュアは自由にスケールをゆききする。ミニチュアサイズでさえ、巨大空間の暗示は可能だ。水族館を再現したのぞき窓には、写真うつりのよい奥行きが実現している。スケールを入れ替えれば、現在人気を誇る田中達也のミニチュア写真が誕生するにちがいない。

 写真家杉本博司が目をつけたのも、自然博物館に展示される剥製のリアリティーだった。それは写真うつりのためだけに開発された模型だったという点で、人の目ではとらえきれないカメラの目があることを教えてくれた。フィギュアのもつ特性は、私たちがカメラの目でそれをとらえているという点にあるようだ。カプセルに入った恐竜の卵のようなワクワク感があるのも特徴で、いつも容器が用意されている。モンスターが無数に生み出されたのも、殻が割れて生命が誕生する神秘をフィギュア造形の原理にしたためだったのだろう。オマケに付けられた根付などに用いられるフィギュアにも、何が入っているかという期待感が隠されて、フィギュアを含む全体をかたちづくっている。モノそのものというよりも、それを取り囲む環境を見せるという点で、彫刻とは一線を画しているようだ。ジオラマの名で語られる環境は、空間でもあるし、時間でもある。フィギュアが時間と交われば、歴史博物館となるし、空間の場合は、自然博物館の展示に活かされる。美術館とは異なった魅力が、博物館にはある。それを底辺で支えるのがフィギュアの思想であり、オリジナリティを絶対のものとはしない柔軟性が、素材性を際立たせている。用途をなくした日常性と言ってもよいか。プラスチック製やゴム製もまた、可塑性を保つという点で、共通の土壌となるものだ。


by Masaaki Kambara