バスキア展 メイド・イン・ジャパン

2019年9月21日(土)~11月17日(日)

森アーツセンター


2019/9/27

 30年も前に亡くなっているのに、若者に圧倒的な人気があるようだ。老人の観客はさすがに少ない。30年前に28歳で死んでいるのだから、年齢的には老人に近いはずだ。20代の写真しか残っていないということは、20代の若者に共感を与えるということだ。加えて当たり前の話だが、作品も20代のものしかない。

 10年足らずの間に残した圧倒的な作品量という点では、ゴッホになぞらえられるかもしれない。しかしゴッホのように報われなかったわけではない。問題は今後の評価ということになるが、評価が落ちるとすれば、バスキアの基盤をなす新表現主義そのものが相手にされなくなる時だろう。ゴッホを支えているのも表現性の強いオリジナリティで、今そこに画家がいて、その息づかいが聞こえるところに、価値基準はある。

 ライブ感覚と言ってよいが、その点ストリートアーティストとして鍛えられたバスキアは、ゴッホに優っている。表面を見る限りでは、ゴッホのようなほとばしる情念はないようだ。画面はフラットであるし、何よりも違うのは文字の氾濫である。文字はある意味、冷静のシンボルであって、話せばわかるというデモクラシーに支えられたものだ。それを切り捨てる問答無用の受け答えがあるなら、それはゴッホを蝕んだ狂気に他ならない。

 バスキアのイメージが、今回オリジナル作品をまとめて見ることによって変わった。沈着冷静で知的な思索家だったのではないかという点だ。落書きが意味する殴り描きの荒くれ者ではなくて、ビビットでデリケートな感性に、震えるようにして筆を運んでいる。文字のレタリングも、一角一角をきっちりと跡付けている。全共闘時代の立て看文字を思い出す。彼らもまたバスキアと同じ、ストリートアーティストだった。バスキアが壁に書くEは漢字の三で、いつも縦棒がない。ファッショナブルでオシャレなロゴマークを形成しているのだ。

 プエルトリコ系ということだが、移民の子がニューヨークという街に生まれ育って、メインストリームとして根を張って行く安定感が、その冷静さのベースにはある。生粋のニューヨーカーであって、書き殴りを装いながら、緻密な計算のもとで、枠をはみ出さない見事な構図法が輝きを放っている。金融の街でもあるニューヨークは、足早なビジネスマンを横目に見ながら、バスキアを絵画のプロに押し上げていった。いつも使われる一枚の肖像写真がある。以前博多で見たバスキアの写真展で、感銘を受けたものだ。バスキアに寄せる写真家の親愛の念が満ちあふれている。


by Masaaki KAMBARA