西洋の美術

by Masaaki Kambara

  現代は視覚文化の時代、美術のはたす役割は大きい。 それはただ単に芸術の一分野としてだけではなくて、眼に見えるものすべてを対象にした文化の総体として とらえることができるからだ。 文字文化から映像文化への移行は、 今までの思索型から直観型へと人間の行動をも変化させたが、同時に文字そのものも美術の対象として認めはじめた。 西洋の抽象絵画が東洋の書道に深い霊感を得たのは、文字が意味している内容からではなくて、 フォルムそのものの力のゆえだ。 「かたち」は意味を離れたときに全く別の力をもって、 見るものに迫ってくることがある。 それは論理では言い尽くせないものであって、そこに美術の秘密がある。

 たとえばエジプトのピラミッドを見てみる。 これは明らかに現代の意味での「美術」ではない。 芸術家が自己の表現として制作したものではないからだ。 しかし、眼に見えるものとして現代に残された遺産という限りでは、 あらゆる美術品と同等のものだ。 考古学上の調査は様々なことを教えてくれる。 しかし、そういったことを知らなくても、 直観的に私たちがピラミッドのもつフォルムから 受け取るメッセージはあるはずだ。 そしてそれは、すでに人間の潜在的な能力として 生まれながらに備わっていたと見るのが、「美術」の立場なのだ。

 しかしこのようなかたちと色による視覚体験は、 訓練によってはじめて開発されるものであって、引き出されない限りは眠ったままの潜在能力にすぎない。 それを引き出すためには数多くの「名品」に親しむこと以外にはないようだ。 しかしこの名品というのが、なかなか厄介なものであって、 ある程度の経験を経ないと見えてこない性質のものだ。 問題はグーテンベルク以来忘れ去ってしまった人間の直観力、 あるいは美的感受性の開発法にある。

  異文化としての西欧文化を理解する手立てとして、 美術史を追いながら多様な美の様相をとらえ、 現代の眼を通して、古いもののかたちを読み取ると言う 発掘作業が必要である。 西洋美術史上の各時代の様々なフォルムの特性を比較しながら、「かたち」の世界をとらえていきたい。


神原正明『快読・西洋の美術』(勁草書房)より 

第1「原始の造形」

  原始美術を考えるとき、「20世紀以前に原始美術はなかった」という点が重要で、現代の目が原始の造形に反応したということである。洞窟壁画を描く原始人の目と、ライフスタイルが生み出すヴィーナス像の触覚性は、アフリカの仮面を見出した20世紀の感性に通じる。五感による体験を失った現代人と美術館の功罪についても問い直したい。

第2章「古代エジプト美術」

  文明はメソポタミアにはじまり、西に移動してエジプトに至る。レンガから砂岩へ、そして大理石へというのが西洋美術史の根幹をなす。素材は風土に永遠性を加える。エジプトの時代様式は「永遠」という一語に集約される。それはナイル河の姿であり、2500年間様式を変えないエジプト絵画でもある。ピラミッドのもつ抽象性をどう解釈するか。ヴォーリンガーの「抽象と感情移入」の考え方を援用してギリシャ美術と比較する。空間恐怖という概念もエジプト美術にとって重要で、墳墓内部の壁面は象形文字で埋め尽くされている。

第3章「古代ギリシア美術」

  エーゲ海の水の色を見るとギリシャが見えてくる。それは透明感と明晰性という意味で、エジプトと対比をなす。触覚から視覚への変化ともいえる。完全に目の人になったという言い方もある。キュクラデスやクレタのエーゲ海文明は、すでに明晰な建築や彫像を生み出した。美術史が人間の一生をなぞるのも古代ギリシャ美術の特色をなす。アルカイックからクラシックへ、そしてヘレニズムへと様式の変化を遂げる。ローマ時代に量産されたコピーの問題や石膏デッサンに継承される理想主義の美学は後世に引き継がれる。

第4章「古代ローマ美術」

  芸術創作はギリシャ人に任せ、古代ローマは快適さの追求をめざす。ローマのおかげでギリシャ美術は世界的基準となるが、ローマが求めたのはテクノロジーの勝利であり、パンテオンの不思議にそれは結晶する。コピーがなぜ悪いという価値観は現代に通じるものがあり、水道橋や道路など土木工事の賜物として、現実主義の美学を打ち立てる。凱旋門や記念柱などを見ても、ローマ人は記録魔だったということがわかる。肖像彫刻が発展し、胸像が誕生するのもこの時代である。

第5章「中世ヨーロッパ美術」

  人間讃美の古代に対し、キリスト教による一元化は教会を中心とした総合芸術を生み出す。建築の時代は、キリスト教神学をふまえてモザイク壁画やステンドグラスにより光の意味を問いかける。東方のビザンチン帝国で続くイコンは、原型を重視した様式的展開を否定する美術であり、西ヨーロッパの様式展開とは異なる。ロマネスクからゴシックへと至る宗教美術の精華は、至福百年説や聖地巡礼などの事象をベースにしながら広がりを見せ、西洋世界の統一を果たしていく。

第6章「イタリアルネサンス」

  宗教権力の腐敗や天変地異の頻発のなか、人間性の復興が叫ばれ、宗教改革とも連動しながら、ルネサンスが始まる。イタリアではフィレンツェに開花するルネサンス観がブルクハルトにより確立される。ヴァザーリを手本に絵画の勝利の歴史がつづられる。遠近法と解剖学が何を意味するかは重要で、それを通して個人的世界観が確立する。ルネサンスを中世の否定ではなくて、中世の継続と見る歴史観は、ホイジンガの「中世の秋」を通して北方ルネサンスの位置づけがなされていく。

第7「北方ルネサンス美術」

  イタリアは人間に、北方は自然にめざめる。壁画と細密画という対比も可能だ。ネーデルラントで油絵が誕生することで、イタリアに対抗できる武器を手にしたということになる。油彩画は裸体よりも衣服を描写し、宝石や毛織物などの細密描写により現実世界に目を向ける。絵には隠された意味があり、現実の具体的な描写の中に宗教性を隠し込むのもファン・アイクからはじまる初期ネーデルラント絵画の特徴であり、風景を見る目もデューラーをはじめドイツ美術では、イタリア以上の感受性を備えている。

第8「マニエリスム」

  盛期ルネサンスはレオナルド、ミケランジェロ、ラファエロの三巨匠が活躍する16世紀初頭の短期間を指す。異なった個性をもつ三様の天才が顔を合わせる奇跡は、その後のマニエリストたちの動向を決定づける。天才の仕事を神の仕事とみなし、神の辞書にたよりコピーを繰り返す。そこには独特の抜け殻の美学を形成し、現代ではこの停滞期が再評価されることになる。マニエリスムと名付けられた後期ルネサンスは、天才を否定することでアカデミーの設立をも促し、デッサンを基本とする美術教育をシステム化していく。

第9「バロック美術」

  バロックとはゆがんだ真珠を意味し、ルネサンスの対立概念を形成する。ヴェルフリンは「美術史の基礎概念」で、バロックの特徴を絵画的・深奥的・開かれた形式・単一的統一性・相対的明瞭性という5つの概念でとらえる。存在と現象、触れるものと見えるものという対概念にも対応する。17世紀の問題はバロックという語で一元化できない各国の多様性を持つ。カトリックの大衆的基盤をもつ世俗性という点でイタリアやスペイン美術は解釈されるが、プロテスタントのオランダや絶対王政のフランスでは美術に対する考えを異にする。

第10「オランダ美術の黄金時代」

  カトリックに対抗しプロテスタントの国家としてオランダが誕生する。16世紀を通じての物質的拡大と意識革命がオランダ美術の基調となる。宗教勢力が美術に目を向けない分、市民の手で美術は繁栄を築く。風景画、静物画、風俗画がオランダで独立する。オランダ人の物質に向ける興味は、絵画とチューリップを投機の対象とみなし、旧来の注文制作を離れ画商が生まれる。身近な家族の肖像が描かれるのも、この時代の特徴で、レンブラントとルーベンスの絵筆を通して確認できる。

第11「フランス絶対王政の美術」

  ルイ14世がフランスをヨーロッパ随一の国にしようと政策を打ち出す。古典主義から出発し、プッサンやロランをイタリアから呼び戻し、ヴェルサイユ宮の造営を通じてフランス人アーティストを育てていく。アカデミーの設立はその後のフランスの躍進に貢献する。ゴブラン織の工場など国を挙げて装飾をキーワードにヴェルサイユの時代を築く。カラヴァジオ影響は古典主義のフィルターのかかったフランスでは見落とされ、理性の光を描いたラトゥールの発見は、ずいぶんと遅れることになった。

第12章「ロココ美術」

  ロココ美術はルイ14世が没した、ほっとした気分からはじまる。ワトーの「雅宴画」が貴族世界の崩壊を予感する。田園趣味がロココの理念を形成し、ヴェルサイユも大広間ではなく、庭園に広がる離宮のプライベートルームに目がそそがれる。バレエやマリオネットと連動し、軽やかに舞う浮遊感を特徴とする。軽薄と奇想は恋愛を遊戯化し、フラゴナールの描くブランコや私室でのアヴァンチュールがロココの美学を大成する。当時認められなかったシャルダンが現代ではブーシェと評価が逆転し、市民社会の成熟が読み取れる。

第13章「新古典主義とロマン主義」

  近代は新古典派とロマン派の対立からはじまる。ともにロココの美学を否定して骨太の造形をめざす点で共通する。フランス革命により貴族社会は崩壊したが、英雄を待望する社会的背景がナポレオンの登場を促す。新古典主義が希求され、古代ローマへの憧憬を表明する。ロマン主義は逆に形式美を否定し、美は感性にあるとして古典古代よりも中世を、ギリシャ・ローマよりもオリエンタルに目を向ける。