第4章 15世紀後半のフィレンツェ美術

ボッティチェリの評価/愛された花/ユディト/三王礼拝/プリマヴェーラ(春)/ヴィーナスの誕生サボナローラ影響ピエロ・デッラ・フランチェスカ/キリストのむち打ち/アレッツォオルヴィエート

第273回 2022年6月12

ボッティチェリの評価

 ここでは15世紀後半の絵画の流れを追う。1500年という区切りの年が近づくにつれて、フィレンツェは不安を加速させて行く。それはサンドロ・ボッティチェリ(1445-1510)の画風の変遷に見て取れる。神話的主題を自ら放棄し、キリスト教的なテーマに終始した晩年には、もはやルネサンスの春の香りは見られない。一方、トスカナ地方にいながらもフィレンツェから退いたピエロ・デッラ・フランチェスカ(1412-92)が、マザッチオを受け継いで独自のルネサンス様式を確立させていったことは重要だ。

 15世紀から本格的なルネサンスの運動がフィレンツェを中心にはじまっていた。16世紀になるとローマに交代し、フィレンツェはそのまま取り残されて17世紀以降は、もっぱらルネサンスの観光都市ということになってしまった。フィレンツェに行くと15世紀の古きよき時代を忍ぶことができる。ネーデルラントのブルージュに対応する町だ。

 ローマには古代もあれば、ルネサンスもある。そのあとのバロック時代も、近代も現代もあるという、ちょうど京都のように時代が層をなしている。フィレンツェは14世紀から15世紀までに咲いて散ったという感が強い。しかしその200年の間にでてきた作品の質と量からすると、圧倒的なものがある。ここで紹介するのはボッティチェリとピエロ・デッラ・フランチェスカに絞られる。ピエロは近年になって評価されてきた作家である。

 ボッティチェリも今では有名で「ヴィーナスの誕生」(1485c.)や「プリマヴェーラ」(1477-8)などはたいていの人が知っているが、彼が評価され出すのは19世紀の後半に入ってからだ。それ以前はレオナルドの影に隠れてしまっていたといってよい。ボッティチェリの描く主題からするとルネサンス的だということだが、ジョットにはじまってマザッチオが跡を継ぐルネサンスの本流から比べると外れている。ジョットやマザッチオの描いた絵はどっしりしていて地に足がついているという印象を受ける。重みのある人体を絵画で表現できた。ところがボッティチェリの絵を見ていると、どうもそういう感じがしない。

 ヴィーナスにしてもしっかりは立っていなくて、宙に浮いているような感じで、それは技法的に宙に浮いているような絵しか描けなかったのではないかという疑惑すら出てくる。技法上ルネサンスのがっしりした人体描写から見ると物足りない。

 ところがルネサンスは遠近法や人体解剖学にそって絵を描くという面だけではなくて、もうひとつ古代神話をテーマに表現するということがある。つまり「いかに描くか」という問題ではなくて、「何を描くか」という問題である。ヴィーナスが主題になるというのも、中世を通じてなかった。ボッティチェリが最初というわけではないが、ヴィーナスという女神像を裸体で表現しはじめる。それは古代ギリシャから踏襲した裸体表現の伝統があって、それを復興していったが、マザッチオのようにギリシャ彫刻のもつ重厚感ではなくて、神話のもっているキリスト教とはちがう雰囲気、エキゾチックなものにひかれていった。

 今から見るとボッティチェリのもっている絵の雰囲気はいかにもルネサンス的だということになってしまった。これが魅力的だと言われ出したのは19世紀の後半期に入ってからで、主に評価するのはイギリスの画家たちだった。ラスキンやロセッティというラファエロ前派の作家たちが、まずボッティチェリに魅せられる。そしてウォルター・ペイター(1839-94)がルネサンス論(1873)のなかでボッティチェリを高く持ち上げる。ロンドンにはボッティチェリの秀作がある。それを目にしたラファエロ前派の画家たちが近代の美意識と通じる部分を感じた。

 それはよくいわれるように、哀愁や憂愁や憂鬱ということばで置きかえられる気分だ。ヴィーナスを見ていても、目がうつろな感じがする。センチメンタルな気分は、日本人にも共感できる情感を宿している。いくぶん感傷的な通俗的美意識が、世紀末のイギリスの大衆的気分にぴったりあったものだから、再評価されてきた。今まで二流画家とは言わないまでも、あまり評価されていなかったものが19世紀から20世紀にかけて一流の画家に踊り出てきた。

 日本人の研究者でも矢代幸雄(1890-1975)はロンドンに留学後、ボッティチェリに魅せられ、留学中に研究をまとめ英文で大部のボッティチェリ論(1925)を発表する。日本人的な解釈であるが、日本の感性を前面に出すことでボッティチェリを見た時にぴったり解説できる、うまく言い当てられる一面を見つけ出し、それが評価された。フランスがレオナルドに肩をもった反動のように、イギリスはボッティチェリをもちだすことになる。

第274回 2022年6月13

愛された花

 矢代は自著のなかでボッティチェリの魅力と絵の特徴をこんなふうに書いている。「ボッティチェリの描いた花は研究された花というよりも愛された花」で「観察された花というよりも感じられた花だ」。本来のルネサンスの本流は、自然の現象がまずあって個人の画家の目が客観的に観察して、それを絵にするというのが基本であった。人体解剖をしてしっかりと手にとって把握できるものとして人体を表現するというのがルネサンスの基本形だ。つまり研究されたり観察されたりというものだったが、それを愛されたり感じられたりというものに置き換えていったという点が特徴だ。

 ルネサンスといっても15世紀のはじめに花が咲いて重厚なクラシックなものが出てくるのに対し、時代がどんどん下がってくると、だんだんと感覚的(センシュアル)なものに変貌してくる。ボッティチェリは時代的には15世紀の末まで仕事をし、世紀を越えてしばらく生きるが、晩年はほとんど絵を描かないような状態になってしまう。フィレンツェの町そのものが繁栄を積み重ね、だんだんとマンネリ化してくる。中心になるのはメディチ家という銀行資本によって支えられた美術文化だったが、ドイツやフランスの勢力拡大もあってメディチ家の力が弱まり、経済力が傾きはじめる。そのときに町自体が堕落していくという流れがくる。

 そこにジロラモ・サボナローラ(1452-98)というドミニコ会修道士が出て、フィレンツェの頽廃した町を一掃してキリスト教の神の国に変えなければならないと言い出す。これに同調した芸術家が少なからずいた。サボナローラは何年かは支持を得るが、どうもこいつには任せてはおけないということで最後は火刑で殺されてしまう。この流れのなかでサボナローラの説教に同調したひとりがボッティチェリだった。サボナローラによれば神の国を打ち立てるためには、神話的なテーマ、裸体の女性が前面に出てくるような絵は焼き払う必要があった。それによって焚書ならぬ、絵画の類いがどんどん火にくべられてしまうことになる。

 ボッティチェリはサボナローラの感化を通じて、これまで描いてきた「ヴィーナスの誕生」などの作品を自己否定してしまって、キリスト教の主題のものに変えていく。ところがそこに扱われたキリスト教的主題は、現存するものを見る限り、ゆがみの多いいびつな感じのする表現となっている。「受胎告知」(1489)にしても、「キリストの哀悼」(1490-2)にしても、マリアの体が恐ろしくねじり込まれていて均整の取れたルネサンスのモデルとはおよそ思えないような、何か鬱屈し、エキセントリックな感じのする造形に変わっている。主題としてはキリスト教の体裁は取るが、「ヴィーナスの誕生」の頃にもっていた晴れやかな面はなくなっていく。

 時代が世紀末に入っていくと、19世紀末や20世紀末でも同じだが、世のなかがあやしくなってくる。サボナローラというペテン師のような修道士はアンチクリストと見なされる。キリストがやってくる前に現われていかさまの説教をして世を乱すと考えられた伝説上の人物のことである。そういう偽りの救世主というかたちで、サボナローラは断罪されてしまう。本当のところはよくわからないが、世のなかに不安が満ち、同時に疫病が流行ったりもする。天変地異も加わりながら、不安な気分が続いたという流れがある。

 ボッティチェリの絵のはじめから晩年までを見ていくとそのことが確認できる。はじめはメディチ家というパトロンのもとで何の不自由もなく才能を開花させた。やがて自分自身に疑問を感じはじめる。こんな絵を描いていてはだめだということになり、最後の十数年間は全く絵を描くことなく終わっている。すくすくと育ったルネサンス人とはいいがたい面がある。しかし人間の苦悩というようなもうひとつの面から見ると、人間的な素顔が見えて、近代的な解釈からすれば味わい深いということにもなる。

第275回 2022年6月14

ユディト

 まず最初は旧約聖書の主題で「ユディトの帰還」(1472c.)である。ボッティチェリの絵というのは、しっかりとした顔立ちを持った女性像と甘い顔立ちの女性像がうまく同居している。ユディトという主題は旧約聖書から取られるが、絵を見る限りではギリシャ神話のような雰囲気もうかがえる。聖書や神話という区別はあまりなくて、ドラマを感じさせるインパクトの強いテーマをボッティチェリは好んでいたようだ。

 聖女として位置付けられ、悪漢ホロフェルネスの首を取って凱旋するという勇ましい話である。必ずホロフェルネスの首が出てくるが、これとよく似たテーマにサロメがある。これは新約聖書の話だが、こちらもうら若き女性で美女、そして洗礼者ヨハネの首が出てくる。首と美女というものが出てくるとテーマとしてはサロメかユディトかだ。

 両者の見分け方があって、パノフスキーが書いている。サロメは悪女であり、ユディトは聖女だ。サロメは洗礼者ヨハネの首を切ってそれを皿の上に載せる。皿が出てくるとサロメだ。ユディトは剣を手に持っている。自分自身でホロフェルネスの首を切るので剣を持つ。サロメは役人に切らせるので、自分では剣を持たない。皿が出てくればサロメで、剣を手にすればユディトだということに普通はなる。ところが時々皿が出てくるけれどもユディトだという場合もある。たぶん皿は聖なる円光にも見なされるからなのだろう。

 ここでは明らかにユディトだ。ボッティチェリのものでは作品は対になっていて、ユディトが首を切って帰ってくるところと、もう一方はグロテスクな表現で、切られてすでに首のなくなった胴体があって、それを驚くまわりの者が描かれる。一瞬のドラマの光景が対になっている。左右に胴体と首が分かれてしまっているということだ。恐らく時間も同じ時刻が設定されているのだろう。胴体が発見されたときユディトはすでに首を持って凱旋の途上にあるということだ。

 インパクトの強いテーマであるが、これはボッティチェリに限らず、同時代に好まれた画題だ。人の生首はテーマにしやすいものなのか絵画表現ではしょっちゅう出てくる。ダヴィデが首を切る話があるが、それも彫刻表現で頻出する。ことにうら若き女性がそんなに大胆なことをするというギャップがテーマとして一般受けをしたようだ。

第276回 2022年6月15

三王礼拝

 ボッティチェリのパトロンとしてのメディチ家の姿は「三王礼拝」(1475c.)に見られる。キリストが生まれたので三人の王がやってきてキリストの生誕を祝うというテーマだ。この絵のなかで画家はあちこちに当時のメディチ家の主要人物を描き込んでいる。画家自身の自画像もこちらをまっすぐに見つめた定型で描き込まれる。絵のなかに自分を入れるというのはこの当時の画家がやりはじめるが、その場合他と区別するために正面を見ているというのがその決め手になる。絵のなかの世界とその前にある現実世界の橋渡しという役目を果たす。

 ここでは図像的にも興味深いことがある。聖母子を中心に三人の王がいる。一番年老いた人物がキリストの足下にいてひざまずいている。その下に壮年と若者の王がいる。普通は三王のうちひとりをボッティチェリから少し時代が下がると黒人にする。年齢的にも老人と中年と若者という風貌を持たせ、世界中から老いも若きもキリストを祝いにやってきたことを意味付ける。

 「東方の三博士」や「マギの礼拝」、「エピファニー」ともいわれるテーマだ。星に導かれて東の国からキリストのお祝いにやってくるという話だ。ここではこの星がマリアの頭上で光り輝いている。

 キリストの父親は神なわけで、実際ここにいるヨゼフは微妙な立場を取っている。画家は聖母子の後ろに義父のヨゼフを置く。マリアとは夫婦なのだが大体はヨゼフは年寄りで、まるでマリアの父のような風貌で描かれる。ここではひじをついてものぐさそうに見える。ヨゼフは立場上微妙な人間で、キリストの父親であって父親ではない。マリアとヨゼフは結婚しているが、マリアは処女懐胎をして神の子を身ごもるのでヨゼフと交わってキリストができたわけではない。

 その意味では世俗的な見方をすれば、ヨゼフにとってはマリアが神とあやまちをおかしてできたのがキリストなので、非情に複雑な立場にいるということだ。そこからヨゼフはあまりよくは見られないで、情けない男だというレッテルが貼られる。それで年恰好もマリアよりもずっと上で、場所も聖なる位置よりも少し離れた位置で、さえない格好をさせて表現するというパターンができあがっていく。これが中世以来の伝統になる。ボッティチェリもそれを踏襲しているが、なぜか場所は最も高い位置にヨゼフを置いているというのが他の画家と少しちがう。

 その後16世紀に入って、ヨゼフ信仰が起こってきて立派なヨゼフが出てくる。筋肉隆々とした若々しいヨゼフで、今まで年老いた老人のなんとなくしょぼくれたオヤジであった者が、非常に立派に変身してしまう。ヨゼフ像の変遷をたどるとおもしろい。本当の父は誰だろうという週刊誌ネタは、将軍の落とし子だったり、神の子だったり、さまざまに夢想された。近代絵画でもドラクロワやユトリロの本当の父は誰だったかという謎に引き継がれて、絵画史を高尚な芸術史から芸能界のスキャンダルに俗化させて、大衆的興味を引くものにした。ヨゼフを中世ふうの寝取られ亭主というあざけりの対象から、わかっていて黙ってすべてを引き受けた養父としての沈黙に、気高い包容力を認めることになる。主君の落とし子を、名を隠してわが子として育てる家来の忠臣は、日本でもよくある話として伝えられるものだ。

 キリストが生まれたのは家畜小屋だといわれているが、古代の廃墟のような設定にする場合が多い。これは古代の遺跡を表現してそこにキリストが生まれるように見せかける。家畜小屋そのものよりも古代の廃墟から新しい次の時代をになうキリストが生まれるというメッセージとなっている。古代の神殿のようなところに生まれたばかりのキリストを置くということだ。

 ここでは家畜小屋の名残としては、丸木で支えられた天井に板葺きの場所が設定されている。手前の組まれた石垣は古代の遺跡である。こういう設定はボッティチェリに限ったものではない。画面全体はごたごたしてあまりいい絵とはいえないが、メディチ家の人物群像となっているという点では集団肖像画ともいえるものだ。

第277回 2022年6月16

プリマヴェーラ(春)

 ボッティチェリの代表作は「プリマヴェーラ」(1482年頃)である。ウフィツィにはこれと「ヴィーナスの誕生」が並んで置かれる。大きさや雰囲気の類似から対になっているように見える。しかし前者は板絵、後者はカンヴァスであって対の作品とはいい難い。これもメディチ家のためにつくられたもので、彼らの華やかな宮廷ふうの生活を彩るものだ。もちろん銀行家だから貴族ではないわけだが、豊かな生活を彷彿とさせるものにちがいない。

 中心にいるのが「春」の女神で、右にはニンフがいて風の神ゼフュロスが追いかけてくる。つかまえたとたんニンフは変身をしてフローラという花の女神に変わるという場面だ。二番目の裸体像のニンフと花柄の衣装をまとったフローラは実は同じ人物で、変身前と変身後だ。中央には三美神がいて指を絡ませるような感覚的なポーズが印象的だ。左にはマーキュリーがいる。春の女神の上には目隠しをされたキューピットがいる。

 目隠しのキューピットはよく出てくるもので愛の矢はだれにあたるかわからない。あたったところに恋が生まれるということだ。三美神というのは、もともとは三人の美を競う「パリスの審判」という主題と連動する。結果的にはヴィーナスが一番となるが、この話ではさらにどんなコンテストにも審査員との間に裏工作があるということも同時に教える。ボッティチェリではそれぞれが寓意的に見えるが、当時のある詩歌にもとづいて絵に写されたもののようである。

 この絵を見る限りではルネサンスの持っている重厚な感じはしない。顔立ちも柔らかで、バックが暗くて、そのなかから浮き上がってくる神秘性が目立つ。草花が咲き乱れるが奥行き感覚はあまりない。花柄が画面全体を装飾的に覆っている。平面的な感じのする絵である。ジョットやマザッチオならもっとしっかりと足を踏みしめて立たせただろうが、ここではそれぞれの人物が爪先立ちで、手前の人物と中央の人物との前後の位置関係があいまいなままだ。宙に浮いているような感じすらする。描写力に劣るという見方もあるが、ボッティチェリの興味はどうもそのあたりにはなかったようだ。空間把握と裏腹に草花の精密描写には国際ゴシック様式以来の伝統が引き継がれる。

 ポーズはギリシャ・ローマの彫刻表現からも借用しているようだ。口を脹らませる風の神ゼフュロスは、「ヴィーナスの誕生」にも出てくるものだ。口に花をくわえているが、実際は吐き出している。食っているというふうにも見えるが、ニンフは口から花を吐き出しながらフローラに変身していく一瞬である。三美神をアップで見ると女性の視線がひとつに集まらないのがボッティチェリの特徴だとわかる。うつろな目といってもよい。

第278回 2022年6月17

ヴィーナスの誕生

 「ヴィーナスの誕生」も地に足がつかない、典型的な宙に浮かんでいる絵である。左のふたりは実際に空中を飛んでいるように描いているのだろうが、右のニンフも浮かんでいるようだ。ヴィーナス誕生の神話はいろんな描き方があるが、海の泡から生まれたという説がある。ここでは貝殻に乗って海からやってきたという想定だ。裸のままなので上からヴェールをかぶせてやる。このテーマは神話のテーマだが構図的にはキリスト教の図像学に由来する。中央のヴィーナスと頭の上から衣をかけようとしているニンフとの関係は、洗礼者ヨハネがキリストに洗礼をする場面で、キリストの頭に水滴をたらす構図をそのまま引き継いでいる。それは新しい世界の誕生を意味する図像である。

 ギリシャ神話のテーマを描く図像学というのは今までなかった。キリスト教の描き方だと図像的伝統が確立している。それを援用していくというやりかたを取る。それによって神話をキリスト教の配下に置こうとするのだ。ちょうど旧約の主題を新約のそれと対応させるのと同じやり口である。

 ボッティチェリの描くヴィーナスはその後、「ヴィーナスとマルス」(1483)などで繰り返し登場する。この主題もよく出てくるもので、ヴィーナスがマルスと浮気をする。男女の秘められた恋愛の話を描く場合にこのテーマがよく引き合いに出される。しかもふたりが性的な交わりをするというので、ときおりセクシャルシンボルをふたりの間に置く。この場合は非常に長い槍である。同主題のいろいろな作例を見ていくと意外にあちこちにそういうシンボルに出会うことになる。

 フロイトの心理学に先立ってこの当時からそういう深層心理はあったようだ。ピエロ・ディ・コジモ(1462c.-1521)ではヴィーナスとマルスの間に鳩が二羽、口付けをしあっている。ヴェネツィア派のパオロ・ヴェロネーゼ(1528-88)が描いた「ヴィーナスとマルス」(1575c.)では、マルスを自分の部屋に引き入れて行為に及ぼうとするヴィーナスを描くが、カーテン越しになぜか馬が顔を出している。なぜ馬が出てくる必要があるのかということだ。もちろん軍神マルスの馬ということなのだろうが、どうもそれだけではないような気がする。ヒュスリは繰り返し「夢魔」を描いたが、カーテンごしに馬が顔を出す一点がある。そこでは眠る女の表情には性的恍惚感がうかがえる。これもやはり馬はセックスが強いという一般的通念に由来するシンボルだ。ふたりの間を結ぶものとして性的なものを置いていく。

 もっとおもしろいのはネーデルラントの画家ヒエロニムス・ボス(1450c.-1516)の場合で、このふたりは「聖アントニウスの誘惑」(1501c.)の背景で、性的誘惑を暗示するように空中に現われる。ヴィーナスは白鳥に、マルスは鎧で武装した船に姿を変えているが、マルスの長いたいまつの先に燃える炎をヴィーナスは口にくわえようとしている。ヴィーナスを白鳥で置き換える例は多い。

 ボッティチェリには聖母子像を描いたものも多い。ヴィーナス像とマリア像というのはふたりの女性の典型として描かれる。ヴィーナスはあまり品行のよい女性像とは思われていない。むしろ悪女的な雰囲気を持ったものだ。マリアのほうは清廉潔癖というか、純粋無垢というものだ。それらを両方描き分けるわけだが、ドイツのクラナッハなどでは、あまり描き分けているという意識はなさそうだ。聖女と悪女をあわせもったものが女性の魅力だといわんばかりである。サロメとユディトに同じモデルを使っているところをみれば、聖女と悪女は大差ないという表明のように見える。もちろん演劇や映画では同じ女優が聖女も悪女も演じ分けるのは、演技力の幅というものだろう。

第279回 2022年6月18

サボナローラ影響

 キリスト教の主題でサボナローラの影響が入り出してから、ボッティチェリの描くマリアが不自然なポーズを示しはじめる。身体をくねらせて、ねじり具合が半端ではない。異様な感じがする。うしろにそりかえって失神してしまっているポーズは、ルネサンスの本流から見るとゆがみをもったバロック化を示しているようだ。あるいはゴシック期の古い伝統の上に立つものとも解釈できる。

キリスト哀悼」(1490-5)でののけぞったマリアの姿勢は、その後のミケランジェロの「聖家族(ドニ家のトンド)」(1507c.)での珍しいマリアの姿勢に引き継がれるものだ。ミケランジェロもボッティチェリとともにサボナローラに感化されたひとりである。後ろに倒れ込む姿勢をピエタの予兆だとすると、ミケランジェロの場合も、キリストの訪れがピエタの仕草で予感されていることになるだろう。

誹謗」(1496)はアペレスという古代ギリシャの画家の作で、現存しない作品について語った文章をそのまま絵に復元したものだ。ここでも全体の雰囲気としては鬱屈した不安感が漂っている。

 「神秘の降誕」(1501)という明るい場面を描いた作品でも同様のことはいえる。画面の明るさからお祝いの雰囲気は伝わるが、それぞれの人物像を見ているとキリストが生まれたけれども喜んでいるようには見えない。父親のヨゼフはキリストの横で頭を抱え込んでしまって、不自然にうつむいている。天使がふたりずつ対になってキリストの生誕を喜んでいるはずなのだが、これもどうも喜んでいるようには見えない。抱き合いながらキリストが死んだのを悲しんでいるようでさえある。この絵には1500年という年記と署名をもち、終末の時に向けるメッセージも画中の銘文に書かれている。ボッティチェリの晩年は、そういう喜びなのか悲しみなのかよくわからないような不安な感じのする画面構成に変わってしまう。これがボッティチェリの最後の作で、それ以後絵を描かなくなってしまったようだ。

 「棄てられた女(モルデカイの絶望) 」として知られる絵は、大作の一部だが、顔を覆って泣き崩れるような感覚的な表現は、堂々とたたずむことをめざしたルネサンスとは対極にある。フラ・アンジェリコにはその片鱗がうかがえるが、その流れをひきずっているようではある。ゴッホなどが描くと世紀末的な雰囲気が漂うが同じ気分がボッティチェリ周辺を覆っていたということでもあろう。

 ダンテの神曲「地獄編」の挿絵(1480-90)も手がけている。当時の雰囲気として世紀末の世の不安を表に出している。ダンテの神曲などを読みながらボッティチェリが空想のなかからこういう地獄の場面を構想していく。これも大画面ではなくて挿絵のサイズだが、描写力豊かな作品である。ボッティチェリは人物像に比べて、風景についてはあまり明確な意識を持ってはいなかったようだ。レオナルドがボッティチェリの悪口を言う。この画家は風景については何も考えていない。雑巾をぽいと壁に投げかければそれで風景ができるぐらいにしか思っていないのだという。しかしこのたとえは人間の想像力を考えた場合、かえって興味深い記述でもあって、レオナルドが羽ばたかせた創意を含む幻想風景を呼び起こすものとなったものだ。

第280回 2022年6月19

ピエロ・デッラ・フランチェスカ

 ボッティチェリと対比してみるためにひとりフィレンツェ以外の画家としてピエロ・デッラ・フランチェスカ(1412-92)をあげておきたい。この画家もボッティチェリと同じく20世紀になって再評価された画家である。ボッティチェリがしろうと好みの画家だとすると、ピエロの方はくろうと好みのする絵で、流れからいうとマザッチオから後を継いだがっしりとした人体表現を特徴とする。フレスコを使った壁画が中心だが、フレスコの持っている重厚な感じはピエロならではのもので、色の使い方も類をみない明るさを実現している。

 ピエロの評価が遅れたのは、ひとつにはフィレンツェの外にいたということがある。ウルビノという町に生きるがそこはその後ラファエロなどが育ってくる場所でもある。地方都市での仕事でもしっかりしたものなら後世にはきっちりと評価されるという典型ともいえる。ルネサンスの本流はボッティチェリよりもピエロのほうにあったのだろう。15世紀後半のフィレンツェはもはやそれを受け入れなくなってしまっていたと見ることもできる。ピエロは晩年、遠近法の研究に明け暮れ理論書も書いている。

 前章で出てきたウッチェロの持っている遠近法を駆使したような絵を中心において、それと人体像のもつ荘厳な重々しさが特徴をなす。またピエロの色彩感覚は、透明感のある空気表現で、その後の系譜としては17世紀にフェルメールが出てきて、一種独特の光の表現をするが、その流れにつながっている。フェルメールを経て19世紀にスーラが点描で描く非常に明るい画面構成に似たような雰囲気を見出す。空気の持っている透明感に共通した画家の資質が見える。

 ボッティチェリと同時代に活動するが、ピエロにはジョットとマザッチオから受け継いだルネサンスの本流が流れているといってよいだろう。ボッティチェリの得意とした感覚的なものは出てこない。重力に根ざした表現は「慈悲の聖母」(1460-2)にも現われる。マリアのマントがそのもとにいる人々を庇護する。マリアもどっしりしているしそれぞれの人物像もジョット以来の後ろ姿をうまく使いながらそのまわりを取り巻いている。頭の線はそろえられ、ルネサンスの奥行き表現の重層性を実現する。背景は金地で古い名残はあるが、それなりに重厚さが見えてくる。これは中部イタリアにあるピエロの生まれ故郷サンセプルクロという小さな村に足を踏み入れないと見ることはできないテンペラ画だ。

 テンペラや油彩画の断片が各地の美術館で見られるが、ミラノの美術館には聖母子像を中心にした「ブレラ祭壇画」(1472-4)がある。キリストを見る限りでは美男子ではない。マリアもふてくされているように見える。全体的にどっしりした感じがあり、個々の顔立ちには重きを置かないで、からだ全体のつくりに目が向いていたという感じがする。聖母子を中心に聖人たちが取り囲むが、右側に寄進者のウルビノ公が登場する。上を見ると卵がひとつぶら下がるが、貝殻をバックに宙に浮いている。

 ピエロは遠近法への興味から、卵の影をどんなふうにつけるかを真剣に考えている。画面は割合大きくて卵は大きく影によってかたまりの持っている凹凸の感じがとらえられるが、同時に奥まったところに影を落とす奥行き表現を駆使した作品である。

 聖母子の表現ではキリストが目を閉じて横たわっているようにみえるが、この表現もよく出てくるものだ。マリアのひざの上で小さなキリストが普通は起きていて悪戯をしているものも多いが、ときおりぐったりと寝そべってしまっている、見ようによっては死んでいるように見えるキリストにでくわす。これには実は意味があって、キリストはマリアのひざの上に抱かれるのが生涯二度あって、一度は生まれたとき、もう一度は死んでしまったときにマリアがひざの上でキリストの死体を抱く。

 主題としては「ピエタ」であるが、その後ミケランジェロを含めていろんな作家が表現する。キリストが生まれたときにすでにピエタの図像を含み込んでいるというふうに考える。キリストは生まれたときから人類のために犠牲になるよう、運命付けられている。生まれて決して楽しいわけではない。そういう祝福の場面ではなくて、受難の場面を象徴的に隠し込むということをする。ここでもそういう理解が必要である。

 そう考えるとのちにミケランジェロが制作するピエタ像がとても興味深いものに見えてくる。そこではキリストの母であるはずのマリアが、あまりにも若く表現されたが、それはかつて幼児キリストを抱いたマリアの記憶のイメージでもあったということだ。

第281回 2022年6月20

キリストのむち打ち

 「キリストのむち打ち」(1453)も現在は一枚ものとして残されている。遠近法的には苦労をして描いたものだろう。視線からすると下から見上げるように描かれている。視線がふつうより下がることによって、画面がワイドに広がってくる感じがよく出ている。右側にいる三人の人物がキリストのむち打ちとどんな関係にあるのかは、説明のつけがたいものだ。

 ピエロの絵では背景に必ずと言っていいほど青空が出てくる。この青空が透き通って透明感のあるもので、効果的である。雲を見るとしばしば人間の格好をしたダブルイメージであることに気づく。マンテーニャとの同質性を認めることは可能だ。

 ロンドンのナショナルギャラリーには「キリストの洗礼」(1448-50)がある。ここでは鳩が一羽キリストの頭上にとどまっている。バックの青空は透明感のあるスカッとしたもので、画面全体で時間が一瞬止まってしまったような感じである。「石化した空間」というようなうまい表現をした研究者もいる。時が永遠にとまったままというのがピエロの生み出す神秘の空間だ。ここでも奥に衣服を脱いでいるような思わせぶりな人物がひとりいるが、意味が不明であるし、先ほどと同じく左に三人の天使がいて、世間話でもしているように見える。水溜りがあってそこに空が写し出されるがこれも透明感のある見事な描写である。

 「サンタントニオ祭壇画」(1470)に描かれた受胎告知では中央の部分を奥にまで引き込ませて遠近法の効果を意識的に演出している。理想都市の街並みを整然と描き出したものでは、遠近法の秩序のもとでそこに住むはずの人間の匂いすら消えてしまっている。ここでも時の止まった静けさは異様に目にうつる。

 ウフィツィ美術館にはウルビノ公とその妻を描いた肖像画(1472-4)が残される。画面としては大きいものではないが、奥まった風景描写は神秘に満ちている。この世とは思えない月世界のようなクレーターのようなものも見える。展望のきく地平線もずいぶん下げて空も徐々に青く上に向かって広がっている。空気遠近法をうまく使って、幾何学的な遠近法ではとらえられないような広がりのある空間を描くことに成功している。これも肖像画だから、人物と風景の神秘的な出会いが問題になる。それ以前の金地で塗りこめてしまっている閉鎖された空間から、広がりと奥行きのある世界へと展開してゆく。

 ウルビノ公フェデリコ・ダ・モンテフェルトロ(1422-82)は、特徴的な顔立ちをしているが、鼻頭がなくなっている。戦争で傷つけられたようで半面が傷だらけであったといわれ、人に見せられるものではなかったのでいつも横顔で描かれるのだという。古代エジプトの肖像彫刻「ネフェルティティ」が、失われた左目をみせないようにいつも横を向いているのと似ている。右向きだけでなく左向きの横顔も見たような気がするが、肖像だからといって傷を見えるがままに描く必要はない。ウルビノ公やメディチ家というパトロンが大きな力を持っていた時代である。ふたりの肖像の裏にも同じく神秘的な風景が描かれる。

第282回 2022年6月21

アレッツォ

 ピエロが名をなした代表作はアレッツォにある。サン・フランチェスコ聖堂に「聖十字架伝説」(1452-8)を描いた壁画が残されている。キリストの十字架が出てくるいわれを一連の絵にしたフレスコ画である。小さなチャペルだが、壁面をおおいつくす作品群のうち「シバの女王」の場面はよく紹介されるものだ。キリストが磔にされる十字架というのは、もともとはアダムとイヴがいた頃のエデンの園にあった原罪の木がそのまま十字架の木になったのだという。太古の創世記の話からキリストの時代まで一本の木がどういう紆余曲折を経て伝えられていったかを伝説としてまとめたものである。話として荒唐無稽だが、キリスト教を正統化しようとする論理のひとつだ。

 シバの女王の時代にはエデンの園の木が橋に使われていて、それがやがてはキリストが死ぬときの木になるのだということを察知して、シバの女王はひざまずいてそれに祈りを捧げる。端正な横顔を見せる美女で描かれるが、エチオピアの女王であるはずなのに、黒人ではなくて白人で描かれている。12世紀頃には黒人で描かれた一時期もあったが、その後ながらく白人で登場する。ブラックビューティという概念が確立するには、まだ早い時期にあるということだろう。ここでも画面の構成、人物の置きかた、衣のひだのなびかせかた、どれをとってもどっしりとしていて地面に足がしっかりとついているのがわかる。ボッティチェリなどとのちがいがはっきりと見えてくる。現地では画面は下から見上げるような角度になる。現地に訪れてはじめてこれは壁画なのだということを再認識する。

 ピエロの持っている透明感のある明るい空気の表現のしかたは、適格に光の表情をとらえている。ピエロの描き出す光は、北方の画家が油彩画で描く光とは異なったものに見える。ファン・アイクの光が「発散する光」だとすれば、ピエロの光は「吸収する光」だ。それはまるで光の描写に関してはオールマイティと思われた北方の巨匠たちに対する果敢なる挑戦だったように見える。ルネサンスの重厚さは、油彩画の発色とは無縁なものだと主張しているようだ。この軽やかな重厚さに感じ入ったのは近代の日本画家たちだった。彼らが洋画家を差し置いて、組織的な模写を残したのは興味深い。日本画の発色は、油彩画よりもフレスコ画に近いものだ。ここでルネサンスの壁画は法隆寺の壁画とも出会うことになる。

 ヴェネツィアよりも少し遅れてフィレンツェでも15世紀後半になると、ドメニコ・ギルランダイオ(1449-94)などの作品には油彩画の技法を通じて北方の影響が入りこんできた例をみいだせる。イタリアルネサンスのなかにあってネーデルラントの写実描写に引かれていく流れが一方に読み取れる。ファン・アイクから少し下がったヒューホー・ファン・デル・フース(1440c,-82)の描いた「ポルティナリ祭壇画」(1475c.)がウフィツィ美術館にあることは、イタリアルネサンスを語る上で重要なことだ。北方でも珍しいほどの大作でメディチ家に早い時期に買われたものである。トマッソ・ポルティナリというイタリア人が注文主で、メディチ銀行のブリュージュでの支配人という人物だ。本人が家族とともに画面に登場するが、二人目の男児が不自然に顔だけしか描かれていない。解釈として男の子が制作途中で生まれ、急遽付け加えられたと考えられるところから、正確な制作年が割り出されることになる。15世紀のイタリア画家たちがこの絵を見て大きな影響を受けることになる。北方のもつ油絵の描写力に驚嘆してしまう。イタリアではそれまでの主流はフレスコ画とテンペラ画であったが、これから徐々に油絵の技法が研究され始めていく。

第283回 2022年6月22

オルヴィエート

 ルカ・シニョレッリ(1450c.-1523)もフィレンツェ周辺にいた画家で、オルヴィエートという村の大聖堂に壁画を制作する。それはアンチクリストと最後の審判を描いたもので、1499年という世紀末の押しつまった頃のものだ。シニョレッリのなかにもサボナローラの影響が入りこんでいて、その狂信的なキリスト教神学に影響されて、終末思想を受け入れて絵画化していく。

 オルヴィエートは小高い丘の上に広がる小さな町で、中央に大聖堂がある。この立派な大聖堂を入って奥まった右手にシニョレッリの描いた礼拝堂がある。現在行くと天国を思わせる大聖堂のきらめきに出会うことになるが、それは当時ペストが流行して地獄と化した現実を背景に、それを救済するという意味が含まれていた。大聖堂の入口には地獄の光景を描いたロレンツォ・マイターニ(1275c.-1330)のレリーフ彫刻がある。加えてオルヴィエートにはシニョレッリ以後のものだが、ローマ時代を思わせる螺旋階段で地下に向かう遺跡「サンパトリツィオの井戸」(1527)がある。ともに世の終わりを体感させるものであり、シニョレッリの壁画に伴奏するものとして記憶に残るものだ。

 天井にはフラ・アンジェリコの描いた審判を下すキリストがいる。それはシニョレッリの悲壮感ただよう画面を下に見て、温かみのあるキリストで、見上げれば確かにほっとする。壁面には最後の審判にまつわる話が取り囲む。死者の復活では地面から這い出てくる骸骨がいる。ふつう魂の復活は生身の肉体をもった大人の姿で描かれる。骸骨が地から起き上がると、図像学違反ではあるが、すごみが増して見える。いったん死んだ人間全員を地上に呼び戻して、キリストが審判を下す。

 ここでは最後の審判とともに、アンチクリストの生涯が描かれている。アンチクリストというのはキリストのまねをして最後は殺されて死んでしまう人物だ。悪意に満ちた顔立ちは、すでに処刑されたサボナローラを思い起こさせる。地獄の場面では審判が下されて地獄に落とされていく者たちを、裸体がうごめく中で表現している。1499年というまさに終末の年に、最後の審判ないしは地獄の表現が出てくる。この審判図からアピールされて数十年後にミケランジェロが最後の審判をシスティナ礼拝堂に手がけることになる。


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