龍野国際映像祭

2021.11.3()29()

ゐの劇場(たつの市龍野町)ほか


 見ごたえのある企画だった。山陽本線の竜野駅はしょっちゅう通過していたが、姫新線の本竜野駅ははじめてだった。芸術祭でもない限り、訪れることはなかっただろう。落ち着いた古い街並みである。映像祭の会場「ゐの劇場」は醤油工場跡で、大型スクリーンと十分な音響設備を整えている。


 コンペティションは投票形式だったので、久しぶりに30点ほどをまじめに見た。グランプリを私なりに予想すると、実験映像部門では、ヤン・シャポテルの「内部」、アニメーション部門ではアイバン・ストヤコビックの「」かヒ・ローの「ウサギの巣穴」だろうか。


 「内部」はアンドレアス・グルスキーの動画バージョンのように見えるが、巨体マンションの無数の窓に、その数だけの人生があるのかと思うと感慨深い。対面の窓からはすべてが見わたせるというシチュエーションが、ここでのポイントだ。ヒッチコックが「裏窓」でおもしろがった設定でもある。それが絵画にもなるし、写真にもなるなら、動画にもなるということだろう。カメラは移動だけでなく、近づけたり引いたりすることで、隠れていたものが見え出して、あっと驚く。


 絵本では岩井俊雄の「100かいだてのいえ」が、カメラの垂直移動という点で、「内部」と共通した現代都市の生活観を展開している。集合住宅の窓は、規格通り切り出されて、画一化された現代社会そのものを象徴している。同じように布団をベランダに乾して、パタパタとほこりをはたいている。同じように夜が来ると部屋には灯がともる。全員が一斉にというわけではなく、消えている窓も少なくない。それが同じ行動だとすれば、国家統制を思わせ気持ちが悪い。民主主義のルールにしたがうと、適度に分散して生活は多様化し、充実している。


 みんなが一緒になるというのも実は民主主義で、ポップアートが目標としたものだった。大統領も私たちと同じコカ・コーラを飲んでいる。スーパーマーケットに並ぶ大量の缶詰は、マンションの窓の光景と共鳴しあっている。写真家松江泰治の写し出す巨大客船の窓の壮観も、同一の興味を共有したものだろう。しかしそこでは一斉に窓が開いたり、灯りが消えたりするわけではない。そのアトランダムがおもしろく、人間的だということだ。


by Masaaki Kambara