第13章 メディアアート

テレビドラマ/映画解説/テレビにくぎづけ/メディアがアートになる/情報のひとり歩き/表現の不自由展/ヴィデオアートの遺産/ナム・ジュン・パイク/テレビブッダ/ヴィデオ彫刻/オノヨーコ/ジョーン・ジョナス

第495回 2023年2月6

テレビドラマ

テレビをひとつのメディアと考えれば、それは視聴率を目安にその方向性を定めていくという点で、映画史に置きなおせばハリウッド路線に似ている。その後ハリウッドに対抗してヌーヴェルバーグが叫ばれたとすれば、テレビをはかるのに視聴率を目安にするのではないヌーヴェルバーグが起こってくるというのが歴史の必然だろう。ヴィデオアートを考えるときにこのことは重要な視点となる。つまりメディアとしてはテレビを踏襲しており、テレビの延長上で考察することになる。

テレビドラマの70年史をつづるときにも、数字が目安になっていった。今では多様化してより複雑になるが、数字に頼る原理は引き継がれ、有効に働いている。そんななかでも、よりいいものを、見る目のある人にみてほしいという願望はある。

比較的早い時期のドラマとして「私は貝になりたい」(1958)がある。橋本忍が脚本を書き、フランキー堺が主演を演じた。テレビでもこれぐらいのことはできるのだという、放送局が力を入れて映画に対抗して取り組んだ。自前のドラマの出発点だ。捕虜を上官の命令によって殺してしまったごく普通の一般人に死刑の判決がくだる。戦争犯罪者としての処罰をめぐるドラマだ。上官の命令には絶対服従であり、それに従っただけだが手を下したことは事実である。最近でいえばウクライナ人を虐殺したロシア兵は、みんな死んでしまえという庶民感情を代弁したものだし、朝鮮半島から中国大陸へと侵略した日本に向けての民族感情でもあっただろう。キリストが処刑されるのも、同様の感情に起因するものだ。

ローハイド」(1959-66)は西部劇だ。アメリカならではのドラマだが、主題歌があり、その後もテレビと主題歌は抱き合わせになって記憶されていく。「鉄腕アトム」(1951-68)はマンガだが、何とか動かしてアニメーションにして見せたいという手塚治虫の夢が、1963年にテレビで実現する。ディズニーアニメのようにスムースには動かない。スムースに動かなくて済むためにはロボットは便利だった。ギクシャクとした動きがそのままアニメになる。アトムは空を飛んでいても動かず、背景の空だけが動いている。それでも十分いけるぞという自信にもつながった。パラパラ漫画の延長上にしかないというのが、日本のテレビアニメの出発点で、いまでも引き継がれている。劇画というマンガの分類もこの構造と連動している。スーパーマンの日本ヴァージョンとして「月光仮面」(1958-9)が登場する。

日本のテレビの質を支えたのはNHKの大河ドラマだった。いまだに続くが定番は戦国時代と幕末で、主人公が変わり、繰り返しつくりかえられる。それは平和を貪る日本人に眠っている獣性を呼び起こそうとするかのように見える。一方で大河ドラマを見ていてつくづく思う。血を血で洗う戦乱の世や幕末をおもしろがる世相が改まらない限り、戦争は終わらないだろう。ここでも挿入される音楽は印象的で、毎週流れて鑑賞者の脳裏に焼き付けられる。クラシック調のものが主流で、時代劇だが洋楽のスタイルを取るオーケストレーションで、ときおり和楽器の音色が挿入される。黛敏郎や芥川也寸志や武満徹という現代音楽の作曲家の力の見せ所にもなった。前衛なのか保守なのかも定かでないが、好戦的な響きを宿しているようだ。

第496回 2023年2月7

映画解説

淀川長治はテレビで映画を見るときに欠かせない人物である。映画の時間は一定ではないが、テレビの時間枠は決められている。途中にコマーシャルも入り、編集を余儀なくされる。いまではノーカット放送が定番になっているが、旧来は番組編成が簡単にはいじれなかった。二時間の映画を一時間半あるかないかに短縮しなければならない。物足りない印象はつねに起こってくる。そこにテレビならではの映画解説が加えられる。映画評論家が最初と最後の5分間に登場し、ナビゲーターをつとめる。淀川の場合これが秀逸で、見てみたい気にさせる。1966年にテレビ番組として「洋画劇場」がはじまって間もない頃だったと思う。グレゴリーペックの出た「仔鹿物語」(1946)の解説を、私はわくわくして聞いた記憶がある。「裸足の伯爵夫人」(1954)というおとなの映画を見たというのも、テレビでの洋画劇場を通しての子ども心の記憶だ。

映画解説はときに見なくても見たような満腹感を味わうことにもなる。いまとなれば本編よりも解説のほうに値打ちがある。映画は巷に氾濫するが、解説者の名調子にライブの臨場感と、過ぎ去った郷愁を感じ取る。月並みのデータを羅列するのではなく、自身の実感を前面にするのも、テレビというメディアの特性をわきまえてのことだった。日曜洋画劇場の名で長らくゴールデンタイムを牛耳っていた番組である。

第497回 2023年2月8

テレビにくぎづけ

連続テレビ小説「おしん」(1983-4)のあと「東京ラブストーリー」(1991)などトレンディドラマが引き継ぐ。日本でいったん途切れてその韓国ヴァージョンのように「冬のソナタ」(2003)がはじまる。バブル崩壊後に逆輸入されたようなかたちだが、かつての狂騒の時代を回顧した。NHKが引っ張ってきた冬ソナがきっかけになって、韓流ブームが全国に浸透する。トレンディドラマなのできれいなうらやましい生活スタイルに抵抗感はない。すっかり冷え切ってしまった日本が、かつて世界に誇っていたころの生活スタイルが再現されている。

そして突如起こる事件がテレビに載る。ニューヨークのテロ(2001)はテレビをくぎ付けにした。ケネディー暗殺(1963)や月面着陸(1969)の映像につづくアメリカの稼ぎ出した視聴率競争の勝利の姿だった。通常の番組の放送中に急に入り込む。バラエティ番組の途中で臨時ニュースとして入り込む。突発的にテレビを占拠していく。まるでクーデターが起こってテレビ局が占拠されたようなインパクトを与える。冷静をむねとした放送局に、地震の揺れのような戦慄が走る。アポロの場合のように、映っているものは本当だろうかという疑念が起こる。見ているものは与えられているだけで判断はつかない。月に降り立っているとはだれも信用できなかった。スタジオ制作だったといううわさが広がっていく。

第498回 2023年2月9

メディアがアートになる

 今後の映像の展開として、実験映像の現場を見つめ、ヴィデオとパフォーマンスをへて、メディアアートの名で21世紀の美術の主流となりつつある現況を追う。現代アートの芸術祭が世界的に盛んであり、美術家による出品作が多くの映像作品を含んでいる。かつてのヴィデオアートの主流であったモニターを通しての上映形式だけでなく、観客が参加するインタラクティブな形式へと展開しているものも少なくない。

即興性はヴィデオアートの先駆者ナム・ジュン・パイク(1932-2006)にすでに見られるが、デジタルアーカイヴとして保存する一方、今を生きるアートナウとして美術館に参入し、今日ではさらにパフォーマンスの色彩を強めている。デジタルミュージアムの形で、東京をはじめ仙台や山口などで、映像とメディアアートに特化した施設も増えてきており、これまでの美術館や映画館とは異なった文化の受け皿を提供している。

メディアアートというジャンルが新たにできあがった。メディアアートについては何百年もあるような歴史はたどれないが、今では一つの領域を確保している。ここではその枠組みを考える。映像という語は使わないが、映像がベースになっている。アートでないメディアも当然ある。芸術表現のカテゴリーとしてメディアが浮上してきた。メディアがアートになるということだ。ここでは映像を問題にしているのでメディアと映像の関係も問題になってくる。

映像を中心に見てきたが、20世紀は映像の時代だったといってよい。映像+航空機の誕生の時代だった。情報を視覚メディアで伝え、航空機で運ぶ。世界が加速度的に狭くなっていった。両者は対立し、航空機で自身の足で出かけることと、自宅にいて映像で体験することが、両立する。もちろん航空機に乗って映像を撮りにいく制作スタッフはいるので、あくまで享受者側の体験の二分法のことだ。映像とともに航空機もひとつのメディアとなる。

第499回 2023年2月10

情報のひとり歩き

情報という語がひとり歩きをして、一世を風靡した。メディアも似たような語で、媒体を意味する。手段や方法と解してもよい。新聞は古いメディアだ。メディアアートと名づけられるときには、文字媒体でもよいが、文字を使ったアートはメディアアートとは今ではいわない。ニューメディアという語に置き換えられる。新しいメディアを使った芸術ということで、広くいえばコンピュータ全体を指すことばだ。コンピュータ自体はアートをめざしてつくられたものではない。最初は軍事目的で、原子力と同じだ。人殺しの道具としてつくられたものが、平和利用をしようとする。情報自体は情報戦という語があるように戦争の武器でもある。今は情報を制するものが世界を制する。メディアは軍事機密と連動するかたちで推移してきた。ここでもその平和利用の成果を見届けようということだ。

報道によっていつどこでどんなことが起こったと知らせる段階ではまだアートではない。情報のゆききに加えて表現行為がともなうとアートになっていく。表現とは私はこう思うという行為のことだ。多くの人に受け入れられるとそれはメッセージにもなるし教科書的な知識にもなる。最初の段階は個人の表現である。メディアは大衆に向かって広がっていき、情報という共有性のあるものを従え、ニュートラルを特徴とする。多くの人が目にするが、その知識量や感受性や思想性で、ちがったふうに見えてくる。

情報自体はデータで、それを丸ごと伝えることを放送メディアはめざす。プライベートな感情を表に出さずに、淡々とデータだけを伝える。放送に課せられた使命だ。それはアナウンサーの抑揚のない発声に反映する。かっかとする性格はアナウンサーには向いていない。そうした情報の集積のなかで、なかなか見えてこない、私はこう思うという発言が拡散する。そのたびにあっちに傾いたりこっちに傾いたりする。

500回 2023年2月11

表現の不自由展

アートを思想性抜きにして考えられるかという問題がある。近年のメディアアートでの課題に、表現の不自由という話題があった。これがメディアアートの土壌となる。韓国と日本とにギクシャクした難問が山積する。戦後の処理で、日本は敗戦国であり代価を支払って償わなければならない。ごめんなさいといいきれてない部分があり、補償が行き届いてないという訴えがある。そこは政治的問題だ。芸術表現としてこれを打ち出すときに、多様な解釈が出てくる。愛知トリエンナーレ(2019)での「表現の不自由展」の問題だ。

あまりイデオロギー的なことをアートに持ち込むのはふさわしくないと思うが、底辺に見ていて何かものを考えさせられることでなければ、アートとしての意味もない。プライベートな、天下国家を論じることとは無縁のトレンディドラマで終わってしまってもいいのだが、鑑賞したあとで疑問が出てきたり、次の行動や参加へと向かわせる方向性が出てくる。メッセージやメディアがもっている、メディア自体が報道や政治と結びつきやすい用語だ。そこにアートがくっつき、なかなか個人的なものにはなってくれない。ある個人的なメッセージをメディアに載せたとたんに、市民権を得て多様な解釈がされていく。話題になる場合は少なく、多くは無視されて終わってしまう。

メディアとは何か。新旧のメディアがあるが、ニューメディアの問題だ。古いメディアにはたとえば印刷媒体がある。まだまだ健在だが、今は電波に置き換えられたり、デジタルに変換されたりする。活字になり文字になるのが珍しくなってきている。新聞というかつて最大のメディアが、影をひそめだした。新しいメディアがアートにどう関係してくるか。単純にいえばコンピュータが発明されて、当初は文字を打ったり、画像をつくったり、電波で飛ばしたりする情報のやり取りだったが、そこにアートとして作品化するに至る。作品というのはあとを追いかける。最初は伝えることが重要だったが、作品となると残すことが重要になる。伝えられたことが咀嚼しなおされる。一回限りで終わるとアートとは呼べない。もう一度見たいと思ったときアートが誕生する。

第501回 2023年2月12

ヴィデオアートの遺産

コンピュータを使って垂れ流しの情報をキープして組みなおし、見世物にする。もとをたどるとどこまで行くか。コンピュータの誕生はきっかけとしては重要だ。今では死語となったが、ヴィデオアートという語がある。これが今ではメディアアートに変換されていった。ヴィデオアートはヴィデオが登場し、VHSとベータの熾烈な戦いは記憶に残る。当初は見るものだった。やがて録画へと進化していく。プレーヤーからはじまりレコーダーへと進化する。レコードの場合は、聞くことからはじまり、そこで終わってしまう。

ヴィデオになって録画と録音ができる。パーソナルに行きわたることが重要だ。手持ちで簡単につくることができる。フィルムと異なるのは、上書きができて何度も繰り返されるという点だった。これが特徴であり、普及を促す要因ともなった。フィルムでは一度きりであり、緊張感をもちながら映写機をまわし、マイクを向けていた。ヴィデオの登場で誰もがカメラマンになれる。上書き可能はコンピュータに引き継がれるが、古いものを残さないでリニューアルしていく思想だ。

ヴィデオアートをになうヴィデオアーティストが誕生する。今はヴィデオの時代ではなくなった。ヴィデオの語の拡大解釈は、コンピュータでの制作をすべてヴィデオの語で置き換える。そうなるとヴィデオがメディアの置き換え語となって浮上する。かつての死語となっていたヴィデオアートがメディアアートとして息を吹き返したとみてもよい。これによってヴィデオアートとして試みられた現代美術の実験的な前衛精神が継承されることになる。

第502回 2023年2月13

ナム・ジュン・パイク

先駆者の名としてナム・ジュン・パイク(1932-2006)があげられる。アメリカで活動した韓国人だ。ヴィデオ作品を制作するヴィデオアーティストだが、ブラウン管の時代で、映像作品にひねりを入れる。ヴィデオパフォーマンスという語がふさわしい。ヴィデオは映像作品、パフォーマンスはその対極にある身体性を前面に出す上演芸術だ。映画と演劇とのちがいに対応する。考えようによれば映画館で演劇もできる。

パフォーマンスをともなうということはどういうことか。映像をスクリーンやモニターでみるのはこれまで普通に行われてきた。小さなモニターを使ってパフォーマンスとして、演者と観客に身体の動きを導入する。これまで映画館では静止して鑑賞してきた。それがここでは身体の動きを強要される。じっとすわっているだけではすまされない。映画館と美術館のシステム、映画館はホールで客席に固定した椅子が並ぶ。美術館には座席はないが、今では多くのヴィデオ作品が取り入れられている。

そこでは立ったまま見る場合が多い。足がくたびれてうろうろ歩きまわる場合も多い。そういうなかでたとえばスクリーンを中央にもってきて、裏表で異なった映像を見せて一点の作品とする。一度に裏表は見れない。ビル・ヴィオラ(1951-)のヴィデオアートでは、轟音に誘われて、見ると滝のような水が歩く男の頭上から落ちている。裏にまわると火炎のなかを同じ男が歩いている。轟音は水の音であり、火の音でもあるのだ。

映像にパフォーマンスがともなっている。ヴィデオパフォーマンスだが、現代ではメディアアートに分類されるものだ。じっとしておれないものが美術館で上映される。映画ではないから長時間に及ぶものはない。物語ではないものを求めていく。ストーリー展開はじっと聞き耳を立てておこなわれる。見る側と聞く側は劇場映画ではなかった動きを要求される。

第503回 2023年2月14

テレビブッダ

パイクが1974年に「テレビブッダ」を制作した。仏像が自分の前に置かれたテレビを見ている。このモニターの上にはカメラがあって仏像を写している。ブッダ自身が映っていて、それを見ているということだ。ここでパイクは仏像がテレビのことだということを言わんとしている。外形は確かに似ている。今は液晶になったが、かつてのブラウン管テレビは仏像のように鎮座していた。ここではテレビとブッダの間には鏡が置かれているということだ。仏像はモニターを見るわけではないから、第三者としての私たちの解釈である。双方向性の興味はモニターとカメラがなければ成立しない。仏像がテレビを見るというユーモアを取り込んだ他愛のない作品だが、鑑賞者の目は固定されずに、あちこちからのぞきみる。作品としては古くはなったが、仕組みがわかっているので今でも再現は可能だ。再現というよりも再演というほうがよいだろう。

ここで何がおもしろいかというと、自分が映るということだろう。仏像と並べば観客もモニターに映る。自分自身が作品に入り込む。テレビに自分が映るというのは、極めてまれな体験だ。テレビ撮影の場に出くわし、一般人が画面の端に映ることはある。自分を客観的にみることはヴィデオ誕生以前ではそんなにあることではなかった。自分自身がヴィデオに映ることが次の展開となる。最初は仏像とモニターとカメラを客観的にとらえていた。仏像の後ろに立つと自分もモニターに映り、ヴィデオの登場人物や主役にもなっていく。仏像の肩越しに自分が写っているのを見る。仏教徒ではないとしても、いつのまにか仏像を取り巻く信奉者になってしまっている。

セルフポートレイトというかたちは、現代アートで大きなウエイトを占める。その場合も多くは写真から映像へという流れのなかで作品化されていく。自分を表に出すという点ではアートの原理にはそっている。世界の情勢を写すのではなくて自撮りということだ。やがてヴィデオ自体が加速度的に普及し可能性を広げる。コンピュータは、はじめ0と1の組み合わせだけで、文字情報のみだった。それが変換されて音になったり、映像になる。高画質に進化して、今では写真以上のものになる。カメラとモニターというワンセットからスタートし、広がりをみせていった。

第504回 2023年2月15

ヴィデオ彫刻

パイクの作品では映像オンリーが出発だが、それを取り巻くモニター、その頃はブラウン管だがそれを山ほど積み上げた作品がある。四角い箱なので上に積むことができる。パートナーであった久保田重子(1937-2015)のアイデアをともなってヴィデオ彫刻の名で存在感のある映像を実感させる。画面の方向もそれぞれ変えることができた。映される映像もワンパターンではなく、一か所ですべてを見ることができない。鑑賞者は移動を強いられる。映像にストーリーがあるわけではない。マルチメディアは映像だけではなく、音も加わるし、モニターそのものが作品のパーツとなる。映像や音が身体性をなくしかけた時代の、美術からの言い返しだったように見える。

映像表現ではスクリーンやモニターは問題にはならず、そこに写し出されるイメージだけを問うものだった。パイクの積み上げられたモニターの場合は、写し出されているイメージよりも積み上げられたモニターのほうにインパクトがある。今はブラウン管の時代ではなくなったので、新たにつくることはできないが、当時つくった記録映像や再生可能なブラウン管を集めての再現を試みることはできる。1970年代のヴィデオアートが始まったころのパイク展は可能だ。

一方で作曲をしたり、交遊も美術だけではなくて、音楽家やサウンドをともなうマルチ系に広がり、パフォーマンスに重きを置き出していく。パフォーマンス集団は現代美術の一角を占める。それが映像と組み合わされて、今までにない新しいメディアアートとして打ち出されていく。パイクの頃ではフルクサスというグループがあった。中心人物はいるがフルクサスというチーム名で呼ばれた。グループサウンズの時代に対応しており、やがて解散を経てソロの活動に移行するのも、時代の趨勢といえるだろう。日本人ではオノヨーコも加わっている。いまではチームラボからダムタイプライゾマティクスに引き継がれて、メディアアートのメインストリームを築いている。デジタルアートと読んでもいいが、パフォーマンスを見せ物とする点では、メディアアートの名がしっくりくる。

第505回 2023年2月16

オノヨーコ

オノヨーコのパフォーマンス「カットピース」は今では映像でしか残ってはいない。美術家としてアメリカに行き、ジョンレノンと出会う。しばらくは美術の活動から遠ざかる。ジョンが亡くなってからあと、パフォーマンス性の強いメッセージを美術表現として打ち出していく。ベースになるのは地球環境や人種差別など、社会性の強い愛の問題、あるいは平和の問題ラブ&ピースを合言葉に、地球に環境を取り戻す活動を続ける。

自分で何かをつくるというよりも、人を集めて何かをおこなう仕掛け人という立場にある。たとえば一枚ずつ紙を配って何かを書かせる。何を書かせるかが一つのアイデアである。書かれたものを壁面いっぱいに貼り付けると、世界ができあがる。それが夢であったら夢がただよう壁面ということだ。あるいは壁面に色を塗らせる。子どもの場合もあるし、大人が入ってもいい。指示書きだけをオノヨーコが箇条書きにする。それにしたがって観客は参加して、最後できあがったのはオノヨーコが音楽でいえば指揮者の役割をして、大きなオーケストラのような壁面が誕生する。「カットピース」は繰り返し再演は可能だが、繰り返し流されるのは若き日のオノヨーコの映像である。初演者が演じ続けることも可能だが、代役を立てることもできる。このときパフォーマンスが作品となり、映像は記録に戻されていく。 それはシナリオであって楽譜でもあるということだ。

展覧会当初は壁面には何もない。会期中に書き加えられて、会期が終わるとみごとな壁画が誕生する。それが平和を合言葉にするものだったら、壁面全体から平和が聞こえてくる。画家がひとりで描いた絵ではない。みんながオノヨーコの思いをくみ取りながら、そこにそれぞれの文脈で多様化させていった。みんなでつくりあげていこうという志向は、メディアアートということだろう。パフォーマンス性をともなっていて、作品というものは確かにあるが、展覧会の最後にできあがる。そこで展覧会は終わるので、作品は破棄される。記録した写真だけが手がかりとして残される。

ヴィデオアートは何度も繰り返してみることができる。エンドレスでリピートさせて、展覧会場に置いておくことが可能だ。映像の場合ははじまりがあって終わりがある。一回ごとに観客は席替えをする。だが美術館ではエンドレスで途中から見て途中で立ち去ることも想定しながら映像化する。起承転結のドラマトゥルギーも想定されない。

第506回 2023年2月17

ジョーン・ジョナス

パフォーマンス系のヴィデオアートへの道筋は、ジョーン・ジョナス(1936-)の実験が刺激的に受け止められる。日本でも2018年に京都賞に選ばれて知られるところとなった。長い実績はヴィデオアーティストからメディアアーティストへという歴史を体現する。自分自身で自撮りをするが、パフォーマンスをともない、映像なのかパフォーマンスなのかがわからないという、曖昧模糊とした状態で作品化されている。

私にもアッと驚くジョナス体験があった。おもしろいのは現物なのか映像なのかがわからないという点だ。スクリーンに映像が映っている。その前に人が歩いて通り過ぎる。それをもう一つ別のカメラが写している。もちろんスクリーンに映っているのは映像で、その前を歩くのは生身の人間だ。しかしそれを映像に撮っているから、どちらも映像だ。生身の身体だと思っていたものが、今度はさらにカメラが引かれて、それがもうひとつのフレームをもっていて、頭が混乱しはじめる。オーソンウェルズが鏡をおもしろがってサスペンス映画に用いたのが、たぶんこれに先行している。そこでは銃を向け発砲すると鏡が粉々に割れる。

映像と人体が入れ子になり、二重構造になっている。鏡写しといってもいい。ジョナス自身も登場する。ほんとうは舞台上の出来事だが、私が見たのはその記録映像にあたるものだ。ジョナスが舞台上で打楽器演奏をしている。その横にはピアノが置かれていてピアニストが伴奏をしている。最初の映像ではピアニストは映らない。ピアノそのものは映像のバックグラウンドミュージックとして聞いている。しばらくしてカメラが引かれると、映像ではなくて舞台上で演じられていたのだと判明する。同時に舞台のわきにピアニストが写される。そうすると舞台を写した舞台中継となる。

最初に舞台の上にスクリーンがあって、そこに写される映像自体は観客の側からか、うしろから投影されていた。ことばで語ると混乱するが、映像で見るとあれっという感じになる。そういう肩透かしが魅力的に目に映る。記録映像だとカメラの移動を受け入れてじっと見ているだけだが、実際には舞台上のパフォーマンスであり、観客も席はないようで、自由に移動して鑑賞する。


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