仏像 中国・日本

2019年10月12日~12月08日

大阪市立美術館


2019/10/26

 中国から渡来の仏教彫刻が日本の仏像と抱き合わせにされている。見比べていくとさまざまな観察ができて面白い。重たいものだから誰かが、意図をもって持ち込まなければ、ここにはないはずだ。中国仏を目にできる条件は、いくつかの可能性に分類できる。

 本展のために今回、中国から借りてきたというのが第一のケース。それにしては所蔵先は大阪市立美術館はじめ、日本のコレクションが目立つ。次には仏教伝来以降、その折々に中国から船に乗って伝えられたもの。これは信仰のあかしであり、小品にはこの可能性が高い。日本美術に影響するには仏像自体がもたらされている必要がある。それらは今も奈良京都の諸寺に残されている。

 一方で展示中に大きな頭だけの石像が混じる。そこからは第三のケースとして、宗教戦争による斬首の跡とも取れるが、胴体から切断して略奪されてきたのではないかという疑惑に至る。フランスやイギリスの博物館に、エジプトやインドの石彫が収蔵されるのと同じ理屈だ。

 仏像という切り口で彫刻の芸術的特性を綴ると、仏教伝来以前のその土地に根差した人間観が知りたくなってくる。中国もまた仏教は伝来されたものだった。中国では仏教の時代は、限られた期間だが、日本では長らく定着していく。時には神道と交わり、キリスト教とも融合しようとする。白磁のマリア観音というのが、興味をひく。仏教にカモフラージュしたキリスト教だが、神像とともに日本の特性を物語るものだ。宗教戦争は簡単に協調することはないが、日本では見事に同一化している。

 石から金属へという素材の変遷の陰で、日本の仏像は木の文化史に組み込まれていく。それは石器とも土器とも青銅器とも異なる独自の美意識を形成していくことになる。禅宗と結びつくと「寒ければ燃やしてもよい」というように、造形性を精神性に置き換えた木の美学に同調してゆく。それは仏像の時代の消滅を意味するが、一方で厚い信仰心のあかしにもなっていった。そこでは神が人の姿を取る必然性もなく、自然物に神が宿る原始宗教に回帰するものでもあった。


by Masaaki KAMBARA