発掘された明石の至宝

2019年11月2日~12月8日

明石市立文化博物館


2019/11/9

 春成秀爾先生の講演会があるというので、明石の文化博物館に出かけた。自宅から一番近い展示施設である。サクラのレキミンの名で知られる国立歴史民俗博物館の名誉教授という肩書きだが、若い頃に岡山大学におられた先生だと記憶する。その頃、私は美術史を学ぶ学生だったが、受講したことはない。美術史と考古学は近い関係にあるが、なぜか美術史は歴史学ではなく、哲学に属していて、取得単位の中に、考古学は含まれない。学芸員資格を取るのに必修の博物館学を、倉敷考古館の真壁先生に学んだが、考古学の話を聞いたのはそれだけだったと思う。岡大の考古学は定評があって、入学時の専攻分けで考古学希望を蹴られて美術史に回された学生もいた。

 この日は歴史のロマンを感じたひとときだった。しかも自宅から目と鼻の先にある古墳の話だった。30年以上も住んでいるが、誰れの古墳だという関心はなかった。郷土への愛着がまったくないことに、我ながら愕然とする。春成先生は明石で中学高校時代をおくり、大学は岡山で考古学を学び、現在は千葉に40年以上を暮らしているとのこと。発掘現場でもあった明石との関わりは、今でも深い。

 この日のパワフルな推理の骨格は、白水瓢塚(しらみずひさごづか)古墳が女性のものだという点にある。加えて同じ形をした、もっと大きな墓(スメリ山古墳)が奈良にもあって、同じ設計図を用いたと考えられる。そちらは男性の墓で、規模から考えて国を治める権力者の可能性が高い。相似形の女性の墓は、何人もいた妃の一人ではなかったかという。もちろん奈良に住んだが、没後に出身地であった明石に葬られたとする。帰葬という専門語もあり、慣例的なことであったようだ。みごとな前方後円墳だが、近隣には方墳(天王山4号、5号墳)もあって、そちらは彼女の父のものではないかと推測される。4世紀はじめの話である。

 宮中に仕える女性のサクセスストーリーが思い浮かび、おもしろいの一言につきる。遺骨も何も残らないが、考古学の雄弁はミステリアスに一編の松本清張をなぞっている。あっと驚くこの着想を実証するには、気の遠くなるような地道な発掘時間が蓄積されているはずだ。なぜこんなところにみごとな古墳があるのか。これが第一の出発点だが、その後の宅地開発が功を奏し、発掘を加速した。私は今、神戸市となったこの宅地に住んでいる。発掘品は女性特有のものだったようで、貝殻を模した腕輪を思わせる円盤の石(車輪石)が展示されていた。大型の円筒埴輪とともに優雅で美しい装飾が、女性的な柔らかな潤いを含んでいる。

 前方後円墳は鍵の形をしているが、春成先生は女性の手にする手鏡にも似ていると言った。墓の主を古墳名から白水姫と呼んで、笑いを誘った。このシンボリズムは興味深い。「鍵」はしばしば男性のセクシャルシンボルとして用いられるが、凹凸で見るとそれは鍵穴の形でもある。両者の交わりが男女の契りを伝えるものだとすると、大きさはちがえども、奈良と明石に分かれた男女の死後の結びつきを暗示してさえいる。万葉集にまでつながりそうな文学的想像力に根ざしたロマンスを感じる。久しぶりに天王山古墳に登り、淡路島を眺めて見たいと思った。海を見おろす高台から黄泉の島へと続くパノラマには、今では死後線上に架かる明石海峡大橋が連なっている。

 海を眺める古墳群は瀬戸内海に点在している。近年できた直島の地中美術館なども現代の古墳といってよいが、あと何千年も経てば直島姫伝説を生む歴史的ロマンに満ちている。その優れた建築美に安藤忠雄という棟梁の存在を、考古学者はなんとかして探し出そうとするだろう。


by Masaaki KAMBARA