上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー

20211116日(火)〜2022116日(日)

京都国立近代美術館


 よい立ち位置にいた人物だと思った。もちろん戦争の影を宿した変動の時代を生き抜いたということはできる。埋もれていたわけではないが、よく知られているというわけでもなかった。それは東京中心の美術史からはずれていたからか。日本人の血が流れていなかったからか。あるいはデザインという分野の特性からだろうか。


 作家精神を表に出すアートの世界とは異なり、自作という意識を抑え込むデザイナーあるいは工芸家とのコラボレーションを通じて、埋もれようとしていたというほうが適切かもしれない。こんにちウィーンのアールヌーヴォーが、魅力的に語られることは多い。クリムトの人気は日本でも根づよい。世界の檜舞台にいたのだが、それが日本人となる前の上野リチの実像だ。その後日本にやってきて、日本人建築家の妻となり昭和という動乱の時代をまるごと生き抜いた。


 画家の個展を展覧会の定番だとしてきた常識が崩れてきている。グループ制作の一員として加わった経験は、個を前面に押し出すのではなくて、時代のニーズに従おうとする。パートナーである夫の存在も、妻が一歩下がる謙虚を売り物にしてきた日本文化の伝統に乗り合わせる。著名な建築家を夫にもった妻の立ち位置という点では、オノヨーコや久保田重子の今日での再評価とも連動するものだろう。


 ドイツ語表記の名をもち、日本人の妻としてもう一つの名をもつ。イサムノグチとも共有するが、国籍によって引き裂かれたというわけではない。むしろ相乗効果として高めあった成果を認めることができるだろう。ノグチの場合のように国に引き裂かれることで負のエネルギーが、創造のパワーとなることはある。ことに両国が敵同士で戦い合う場合は悲惨だが、ここではそれは回避されている。ユダヤ系という血筋からはヒトラーの影がもっと強く宿っているだろう。


 コンプレックスが生み出す造形性は、健全なものとはなりにくい。鬱積して溜まり込んで、爆発の機会を待ち続ける姿は、インパクトの強いものにはなるが、こころ和むものとはなりにくい。悲劇のヒーローやヒロインになることで、瞬発力はたくわえられる。


 上野リチの場合、求めに応じて才能を開かせたと見れば、野望はなく肩を張らない生き方が共鳴を得ることになるだろう。名声を求めて名をなすという剥き出しがない限り、名を知られることにはならない。埋もれることをよしとする人生観は、人を払い退けて前進する欲望からは解放されて、心地よいものだ。後世発掘される期待さえもない自然体が、清々しく感じ取れる。才能は求めに応じて場を移動し、それぞれに開花したといってよいだろう。デラシネという放浪者精神が、無国籍的な自我の形成に作用したが、いつまで日本にいても日本語がうまくならないという例はある。リチもまたドイツ語のもつ文化的土壌を捨てきれずにいた。それがメルヘンのように響く幻想を個性として確立させていく。


 デザインに身を染めながら、個性が満載された造形性が残されている。それらの確実な物質性が、埋もれれようとする本体を無化していく。デザインファンタジーという語を用いたようで、夢見心地の少女の幻想が、自己主張を試みている。ときにマティスのような奔放なまでの色彩が氾濫する。上野リチ展のあと訪れたフィンレイソンの服飾や先日みたミロコマチコの絵本とも共通する世界に向けて、万遍なく拡張していく増殖力が感じ取られる。もちろん上野のほうが時代に先行し先輩である。


 京都という風土もぬきにはできない。東京との対向姿勢というのもあるだろう。千年の古都がつちかってきた艶やかな雅びの伝統がほとばしる。アールヌーヴォー以来ウィーンに根づいた装飾には、江戸時代に継承された琳派の色彩感覚が読み取れる。屏風という形式に反映するものもあるが、壁紙のままでもパターン化されたリズミカルなファンタジーの繰り返しはエキゾチックで、光琳の型紙を下敷きにしたような印象を残す。ときには東洋趣味はメソポタミア文明やロシア的旅情を彷彿とさせるプリミティブな造形にまで、広がりを見せている。とりわけ「木立1925-35と「そらまめ1928と「クレムリン1929と「象と子ども1943がいい。


by Masaaki Kambara